泉崎村「成人学級」(月1回学習講座)
~歴史探訪~ 

2016年11月25日(金)13時30分~15時30分
福島県泉崎村中央公民館(小研修室)

定員:約16名
(村外の参加希望者は事前にご連絡を)

講師:久保木寿大(くぼき・じゅだい)

問い合わせ先(TEL)
泉崎村中央公民館 0248-53-2258

 

久保木寿大(くぼき・じゅだい)
1955年生まれ。92年に証券会社を退社し、笠間にて作陶の修業に入る。95年、泉崎村太田川字原山の国道4号線沿いにギャラリー「見附屋」をオープン。97年から福島県立光南高校の「美術」(陶芸)講師も務める。  

講義内容(予定)

 時は3世紀頃。女王卑弥呼が統治していた「邪馬台国」は日本のどこにあったのか。畿内か、九州か。それとも四国か、出雲地方か。長年、多くの歴史学者や古代史ファンを巻き込んで延々と続いてきている「邪馬台国論争」だが、いまだに決着がついていない。
 その論争の有力な文献史料となっているのが、通称「魏志倭人伝」。正確には、晋の陳寿が記した『三国志』のなかのひとつである<『魏志』巻30・東夷伝・倭人の条>のことをいう。そこには、女王卑弥呼の存在や、朝鮮半島から邪馬台国に到るまでの里程、さらにはその途中の「伊都国」「奴国「不弥国」などについても記されているのだが、いずれも不確定要素が多く、邪馬台国の位置は文の解釈次第でどの説にも傾くという曖昧さをもつ。ゆえに、専門家に限らず、誰もが自説を展開できるという魅力、面白さにつながっていく。
『三国志』の「三国」とは2、3世紀頃の中国大陸で覇権を争っていた「魏」「呉」「蜀」のこという。『三国志』は、この三国の興亡が記された歴史書になるが、そのなかの通称「魏志倭人伝」によれば、長い間続いていた倭国の内乱をおさめたのが、「鬼道に事(つか)え、能(よ)く衆を惑わす」邪馬台国の女王卑弥呼。この卑弥呼に夫はなく、弟ひとりが女王を補佐していた。卑弥呼は、大夫難升米らを遣わして大国「魏」に朝貢する。対して、魏は卑弥呼に「親魏倭王」の金印を授けたとある。このやりとりは何を意味するのか。倭国の内乱をおさめるために、卑弥呼が大国「魏」に助けを求めたということなのか……。
 興味が尽きない3世紀頃の大陸と日本の関係。つい最近、中国を訪れ、『三国志』ゆかりの地を巡ってきた久保木寿大講師が、当時の中国と日本の関係、さらには、その頃の地元泉崎村がどのような歴史的状況にあったのかをわかりやすく解説する。

原山古墳

「見附屋」のすぐ横の丘に位置する5世紀末の原山古墳(原山1号墳)。推定全長22m、後円部径12.5mの前方後円墳。調査は2014年に終了し、「盾を持つ人」「相撲の力士」「帽子を被った人物」などの人物埴輪や動物埴輪が出土している。2016年6月11日に現地説明会が行われ、多くの考古学ファンが訪れた。