いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第50回:入れ替えられた9条の提案者

 『東京新聞』(2016年11月6日付)1面、トップの記事を読んで妙な気持ちになった。たしかに記事を読んだものの、ぼくにはよく理解できなかったのだ。
 その記事の見出しは次のようなものである。
 「学習漫画『日本の歴史』」「入れ替わった9条提案」「『幣原』→『マッカーサー』に」「ドイツ人研究者指摘『湾岸戦争で世界の批判影響か』」
 憲法9条の提案者については、この8月にも幣原喜重郎説がマッカーサー書簡によって裏付けられたという記事を読んだばかりだが、納得のいくものではなかった。今回の記事もその後追いかと思い目を通したのだが、小学館の学習漫画『日本の歴史』で、ある時期に憲法9条の提案者が入れ替えられていたということのようだ。

 憲法9条の提案者については以前も触れているが、もう一度おさらいをしておきたい。
 マッカーサーが明治憲法の改正の必要を口にしたのは1945年10月4日で、当時東久邇宮内閣の無任所大臣近衛文麿との2回目の会談の席であった。10月10日には幣原喜重郎内閣が成立、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会が設置され、憲法改正作業が始まる。
 しかし1946年2月1日、「憲法問題調査委員会試案」が『毎日新聞』にスクープ報道されてしまうが、それは明治憲法に若干手を加えた程度のものでしかなかった。日本側には民主的な憲法をつくるつもりがないとさとったマッカーサーは、ただちにGHQ案の極秘裏での作成を民政局に指示する。
 2月3日、「マッカーサー三原則」と呼ばれる憲法改正の必須要件が民政局長ホイットニー将軍に示されたが、その2番目には、すでに戦争放棄条項が盛り込まれていた。
 「二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も考えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」(古関彰一『新憲法の誕生』中公文庫、1995年より引用)
 ホイットニーはすべての作業を行政部に任せ、ケーディス陸軍大佐を中心とした運営員会が起草作業にあたった。
 2月8日、日本政府案をGHQに提出。憲法問題調査委員会の松本委員長は「憲法改正要綱」とともにその説明書を提出し、それに対し13日、民政局行政部より批判のための「覚書」とともにGHQ草案が提示された。ホイットニーは開口一番次のように述べ、日本側は呆然とする。
 「日本案ハ全然受諾シ難キニ付自分ノ方ニテ草案ヲ作成セリ」
 持ち帰ったGHQ草案がはかられた閣議では、首相幣原をふくむ3人の閣僚が受諾を拒否。のち幣原とマッカーサーの3時間の会談をへて2月22日、ようやく受け入れを決定した。日本語訳はごく一部しか作成されないままでの受け入れ決定という。
 3月4日、GHQ草案をもとに日本側で検討を加えた日本政府案がGHQに届けられ、双方による徹夜の討議をへて「憲法改正草案要綱」が発表されたのは6日。さらに口語化が施され、閣議提出、帝国議会(衆議院・貴族院・枢密院)での審議をへて1946年11月3日、日本国憲法は公布にいたった。

 こうした流れのなか、「マッカーサー三原則」が提示される10日ほど前の1946年1月24日、マッカーサーと幣原は戦争放棄条項について話し合っている。幣原提案説では、この場で幣原が戦争放棄条項を提示したことになっているが、この日に会談があったことは事実で、その点に異論が出ているものではない。
 幣原からの提案であることはマッカーサーの『回想記』にも記され、上院公聴会での証言でも述べていることだが、ケーディス、吉田茂外相はマッカーサーのアイデアだとしている。
 幣原提案説の裏付けとしてはマッカーサー自身の上記のもののほかに、幣原の友人で枢密顧問官の大平駒槌の娘、羽室ミチ子が父が語った内容を書き留めた「羽室メモ」や、憲法調査会の公聴会にて、中部日本新聞の政治部長小山武夫の証言の音声データがある。小山のオフレコでの質問に対して、幣原は自分からマッカサーサーに提案したと答えたという。
 『東京新聞』(2016年8月12日付)には、1958年12月10日付で憲法調査会の高柳賢三会長が送付した問い合わせに対するマッカーサー本人からの返信が、国会図書館で発見されたという記事があった。その返信には「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記されていたという。
 しかし、『新憲法の誕生』の著者古関氏が以前から指摘していることだが、GHQ草案の受諾に幣原は当初反対の立場をとっていることから、戦争放棄条項が幣原自身の提案とは考えにくいように思う。また、袖井林二郎『マッカーサーの二千日』(中公文庫、1976年)には次のような記述もある。
 「おそらくマッカーサーにとっては、戦後の束の間の平和期に自分の心に忍びこんだ感傷(吉田のいう「宗教的心境」)から生れた戦争放棄条項を、朝鮮戦争の勃発によってみずから否定しなければならなかったことが、心の傷となったのではなかろうか。五年後の歴史の予見に失敗したことも戦略家としては不名誉な話である。だから、せめて戦争放棄条項の発案者という十字架を幣原に転嫁することによって、歴史に対する責任をまぬがれようとしたと考えるべきではないだろうか」
 つまり、自ら戦争放棄条項を提示しておきながら、5年後には朝鮮戦争の勃発によって日本に再軍備を促すことになったことを指している。こういう事情をうけてか、当初マッカーサーの提案と語っていたホイットニーは、1950年ごろには幣原の提案へと修正している。

 『東京新聞』(2016年11月6日付)1面、トップの記事に戻ることにする。
 「学習漫画」と呼ばれているものは集英社、学研、小学館、大月書店、中央公論新社など各社から出版されているが、小中学生を対象として漫画形式でわかりやすく解説したものである。問題となったのは、小学館発行の『少年少女日本の歴史』で、1981年以来、増補・改訂を加えて刊行されているベストセラーである。
 さて、先にも紹介した1946年1月24日のマッカーサーと幣原の会談のシーンである。絵柄に変更がないにもかかわらず、刊行時期によって吹き出しの向きやセリフの内容が異なっているという。つまり戦争放棄を言い出した人物が、刊行時期によって幣原からマッカーサーへと変更されているというのだ。具体的には、1993年3月発行の第33刷では幣原の提案としていたが、94年2月発行の第35刷ではマッカーサーへと変更され、さらに現在発行されている版ではふたりの会談シーンは削除されているという。
 このことに気づいたのは日本在住のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏。シルヒトマン氏は9条や幣原について数十年も研究を重ねてきて、幣原提案説に立っている。氏がこのことを著書で紹介したりハガキにして国会前のデモで配布した結果、ツイッターで話題になるようになったという。
 問題は小学館サイドである。『東京新聞』の取材によると、監修者の学習院大学元学長の児玉幸多氏はすでに亡くなり、当時の担当者も退社してしまい経緯はわからないという。
 シルヒトマン氏は「日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた証しではないか」とこたえている。ぼくには、この言葉をどう理解してよいかわからなかった。記事にも説明はなく、中途半端な気持ちのまま次の記事へと移っていった。
 いったい湾岸戦争とマッカーサーや幣原の9条とどういう関係があるというのか。国内からも自衛隊の海外派遣を求める声が出てきたため、マッカーサーによる提案=押し付けへと変えて、読者を9条の改憲へと導いたということであろうか。

 その数日後、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を偶然覗いてみて驚いた。記事が掲載された当日、澤藤氏はぼくの疑問をスッキリと解き明かしてくれていた。感謝しつつ次に引用する。
 「『9条幣原発意説』と『マッカーサー発意説』のいずれが歴史的真実であるかという歴史学的論争とは関わりなく、『押しつけ憲法論』者からの圧力があったとするのが最も考え易いところではないか。(中略)『押しつけ憲法論』の陣営にとっては、幣原発意説ではプロパガンダ上具合が悪いのだ。だから、幣原発意説を攻撃し、『学習漫画「日本の歴史」』に対しては、その圧力が奏功したと見るべきだろう。教科書だけではない。国民の監視の目が届かないところでは、あるいはその目が曇れば、あらゆる場面で歴史修正主義が跋扈することになる。このことが本日の東京新聞トップの記事が語る教訓といってよいと思う」
 ちなみに澤藤氏は、「マッカーサーの証言を信憑性の高いものとして『9条幣原発意説』を有力とみるが断定はしがたい」と自身の思うところを記している

 憲法が制定されて70年も過ぎ、憲法9条の提案者がだれであろうと、さほど大きな問題とも思われない。問題なのは、憲法9条の精神からもっとも距離をおく現政権である。
 憲法9条は矛盾を抱えた存在ではあるが、安倍政権は沖縄の米軍基地を強化し、先島諸島への自衛隊配備をすすめ、軍事費を急増させて矛盾をより大きくひろげつつある。
 安倍首相にとって憲法9条は邪魔なものでしかなく、その改悪の必要性を訴えている。自身に課せられた憲法擁護義務などご存じないようでもある。しかし、安倍政権がいつまでも続くわけではない。将来のためにも、憲法9条には手をつけずにのこしておくべきだろう。ささやかな望みを託したい。 (2016/12)  


<2016.12.9>

古関彰一『新憲法の誕生』(中公文庫、1995年)古関彰一『憲法九条はなぜ制定されたか』(岩波ブックレット、2006年)袖井林二郎『マッカーサーの二千日』(中公文庫、2004年改版)

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



第11〜20回LinkIcon
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 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
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 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
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 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く


第31〜40回LinkIcon
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 第39回:原発の行方
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第46回:『帰ってきたヒトラー』LinkIcon  


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第49回:権力に狙われたふたりLinkIcon


第50回:入れ替えられた9条の提案者LinkIcon 


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第54回:那須岳の雪崩事故についてLinkIcon

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第60回:衆議院議員選挙の陰でLinkIcon

第61回:幻想としての核LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon