いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第52回:原発事故の教訓

 2015年5月福島県は、福島第一原発事故による自主避難者へ無償で行ってきた住宅支援を、2017年3月末で打ち切る方針を示したが、これを受けて2015年6月9日、参議院会館にて「避難用住宅の無償提供の打ち切りに反対し、撤回を求める院内集会」が開催された。その様子がブログ『民の声新聞』(2015年6月9日付)で紹介されているので、引用をまじえて紹介する。
 原発事故当時、国政の最高責任者だった菅直人元首相が次のように語っている。
 「もっと早い段階でSPEEDIを避難の指針として使うべきだった。私の責任。申し訳なく思っている」「自主的避難だから、という区別はあり得ない」「住宅無償提供は絶対に打ち切るべきではない」。そして当時、福島の各自治体が住民避難に消極的だったと打ち明けた。「個人的にはできるだけ避難の基準を厳しくしたかったが、『自治体が機能しなくなる』と自治体関係者の声があった」。
 事故当時、双葉町町長だった井戸川克隆氏は「彼は正直に話した」と元首相の言葉を振り返った。「当時、福島県庁は官邸にものすごい圧力をかけた。佐藤雄平知事(当時)は俺に言ったんだよ。『県民を外に出したくない』ってね」。住民の生命を守るはずの行政が住民避難に消極的な姿勢をとった結果、多くの「自主避難者」を生んだ。そして今、彼らを切り捨てようとしている。井戸川氏は呼び掛けた。「皆さんは必要に迫られて動いたんだ。自主避難ではありませんよ。そういう考えは捨ててください」。

 この自主避難者への支援打ち切りについて、『東京新聞』(2017年1月28日付)「社説」で詳しく解説しているので、そちらを参考にしたい。
 自主避難者とは、国が定めた避難指示区域外から被曝を避けるために自主的に避難したひとたちのことである。避難指示区域内から避難したひとたちとは異なって、不動産賠償や精神的慰謝料などを受け取ることはできないが、災害救助法を適用して避難指示の有無にかかわらず仮設住宅が無償提供されてきている。
 全国の都道府県は事故発生直後から、民間賃貸住宅や公営住宅の空き部屋を借り上げることによって、「みなし仮設住宅」として避難者に無償提供してきた。家賃は福島県を通じて国庫負担金で賄われていて、これは賠償の対象外となった自主避難者にとっては唯一の補償のようなものだった。
 福島県は除染が進んだことや食品の安全が確認されたことを理由に、方針どおり打ち切りの予定だが、いまでも避難者の納得が得られているとはいえない。多くの自主避難者たちは、子どもの通学問題や放射能汚染に対する不安から現在の避難先での生活を希望しているのだが、その割合は年齢が若くなるほど高くなる。対象者は昨年10月時点で約1万2,000世帯(約3万2,000人)になるが、その7割が4月以降の住居は決まっていない。
 自主避難者の団体は住宅の無償提供の継続を要望しているが、福島県は打ち切りの方針を変えておらず、避難者側に示されたのは月額所得21万4,000円以下の約2,000世帯への家賃補助である。ほかに北海道や鳥取県、兵庫県宝塚市への自主避難者については受け入れ自治体が独自に無償提供継続を表明していて、東京都や埼玉県は有償ながら公営住宅の優先入居枠を設けるようだ。
 原発は国策で行ってきたという経緯を踏まえるならば、国の責任で支援延長を決定すべきであろう。安倍晋三首相にその気があれば、この程度のことぐらい難しいことではないはずなのだ。しかし被災者や避難者のことなど彼の眼中にはない。事故のことなど忘れてしまいたいし、何もなかったことにしたいようだ。多額の海外支援のほうがより重要だし、軍備も増強しなくちゃいけない、原発を再稼働させなくちゃいけない、オリンピックも開催しなくちゃ……というわけだ。
 ところで「国の責任で支援延長を」と書いたが、これは正しいことなのであろうか。たとえば、「避難の必要でもないところから勝手に避難したのだから、支援など不要」「自主避難はあくまでも自費が当たり前」というツイッターがあらわれる。
 しかし井戸川氏の発言にあったように、自治体維持のために行政側が意図的に強制避難区域を狭めることがあるなら、「避難の必要のないところから勝手に避難」という言い分は通らない。原発事故当時のことを思い起こしてみよう。避難指示の有無にかかわらず、必死の思いでみずから避難したひとびとは少なくなかったはずだ。様子をみながらのちに戻ったひともいただろうし、避難先に居続けるひともいる。このような動きは当然のことながら起こる。避難区域内外にとらわれず、国はそういったひとびとを支えなくてはならないように思う。

 国によるそういった支援は欠かせないが、その期間、地域となると、さまざまな問題が出てきそうだ。期間については避難者の希望や生活情況を確認しながらの個別対応となるのであろうが、支援する自主避難者の地域となると難しい。
 いま問題になっている自主避難者は福島県内のひとびとのみが対象になっているが、事故直後は東京をふくむ関東一円から北海道へ、あるいは西へと避難したひとびとがいた。関東一円ということは、すべて自主避難者といってよいのであろう。東京から避難したまま、いまも北海道や四国・九州・沖縄で暮らしているひとびともいる。そういったひとびとへの支援はどうするのかという問題は難しい。
 とくに小さな子をもつ若年層の家庭にとっては、将来の健康や生活をも巻き込んだ切実な問題だったはずだ。家族全員での避難もあるだろうし、夫のみが東京にのこって働き、母子のみの避難生活を続けている家庭もあるはずだ。そのまま生活が維持できているのならそれでよいのだが、そうではない家庭もあるはずなのだ。こうなると、どう判断すべきかわからない。

 福島から強制避難した家庭の子どもたちが、学校でいじめられるというニュースが報じられたのは昨年の暮れだったろうか。そんなことがあるものかと、ずいぶん驚いた記憶があるが、やがて、どこででも当たり前のように起きている事実を突きつけられた。新聞にはいじめられた子どもたちが書いたノートの原文が公開されて、身がひきつる思いで読まされた。
 困惑したのはいじめられた子どもだけではなかった。現場の教師も混乱したのか、いじめる側に回った教師さえもいた。横浜市の教育長にいたっては何を思ったのか、避難してきた子どもに対する150万円もの恐喝を「問題なし」で片付けようとしていた。
 原発は表向きは安全と言われ続けてきたが、その危険性や放射線被害については、半世紀も前から訴えられてきていた。しかしながらこのような自主避難者への支援問題や避難した子どもたちへのいじめなどは、いったい誰が想定できたであろうか。
 おそらく今回のような、避難がともなう大規模な事故が起きて初めて知ることになったように思う。これらの事柄を、原発事故が与えてくれた大きな教訓として受け止めなくてはならないと思うのだが、政治の世界はまったく異なる次元で動いているかのようだ。
 『東京新聞(2017年2月18日付)によると、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、三反園訓[みたぞの さとし]鹿児島県知事と会談し、国の原子力災害対策指針について次のように説明している。
 「福島第一原発事故では無理な避難で多くの犠牲者が出た一方で、福島県民の被ばくによる健康影響も過度に心配する状況ではない。(今後、福島のような)深刻な事故が起こることは考えにくいが、何かあったときには原発5キロ圏内は放射性物質が出る前に予防的に避難し、5キロ以遠は屋内退避で様子を見るのが基本だ」
 これでは避難者への支援も不要だし、いじめの問題も起きようがない。これが福島第一原発事故から国が得た教訓なのだ。 (2017/02)



<2017.2.22>

2017年3月末で避難指示が解除される予定の浪江町の風景(2016年11月6日撮影)

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
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 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
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 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く


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 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと


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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon