いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第55回:沖縄の平和主義

 この4月5日、大田昌秀元沖縄県知事がノーベル平和賞候補に認められたという報道が流れた。同氏は著書『沖縄 平和の礎』(岩波新書、1996年)のなかで沖縄の平和主義について触れていて、次のような内容が記されている。自分なりにまとめてみた。
 明治時代の琉球処分の過程で、日本政府は琉球王府に対して熊本の第六師団の分遣隊の駐留を要求したが、琉球王府は頑なにこれを拒否した。その理由は次のようなものだった。①南海の孤島にすぎない沖縄にいくら軍備を増強しても、軍備によって敵国に対処することはできない。②小さな島国に軍隊をおけば、かえって外国から危険視され、侵略をまねく恐れがある。 ③軍事力をもたずに礼儀正しく友好的に隣国のひとびとと付き合うことによって、平和を維持することが可能である。
 琉球王府が強硬に抵抗したのは当然だが、日本政府は分遣隊配備を強行する。その大義名分は、琉球処分によって日本の領域内に入ることになり、政府は域内のひとびとの安全を保障するために軍隊をおくというものだったが、その本音は、琉球処分に対する琉球王府のひとびとの抵抗を押さえることにあった。
  
 沖縄平和運動センターの山城博治議長は、有刺鉄線を1本切った器物損壊容疑での現行犯逮捕のほか、公務執行妨害や傷害容疑、威力業務妨害容疑もかけられ、那覇地方検察庁は4つの罪で起訴した。5ヶ月間拘留され、初公判が行われた翌日の今年3月18日に保釈された。
 山城氏は6月の国連人権理事会で日本政府の不当な弾圧についてスピーチを行う予定だが、裁判はまだ進行中である。偶然にも共謀罪についての氏の生の声を聞く機会にも恵まれたが、新聞のインタビューでは次のようなことを語っている。
 「沖縄戦では旧日本軍の基地があるところが攻撃された。一切の基地はいらないというのが沖縄県民の素朴な感情だ」。長期拘留中、山城氏を支えたのは「基地建設を容認できない沖縄県人としてのアイデンティティー」だったともいう(『東京新聞』2017年4月16日付)。
 山城氏の発言は、大田氏が記している内容と重なるし、当時の日本政府の姿勢と南西諸島への自衛隊配備に積極的な安倍政権が重なってくる。 
立松和平『砂糖キビ畑のまれびと』(晩聲社、1984年)
 作家の故立松和平氏が「与那国島サトウキビ刈り援農隊」に参加したのは1981年だった。3シーズンほどサトウキビ刈りの援農に携わり、著書『砂糖キビ畑のまれびと』(晩聲社、1984年)をまとめた。
 「毎朝8時に砂糖キビ畑にでていき、キビの根元に手斧を振りおろし、倒れたキビの葉や皮を鎌で削っては藁縄でしばる、単調で過酷な労働の明け暮れだ」。キビ刈りの合間を縫って水田で田植えもやれば、製糖工場へも行く。猫の手も借りたい忙しさだった。重労働からくる足腰の痛みは「どなん」を呑んでごまかした。
 キビ刈りは短期間の仕事だ。人手不足のため、毎年2〜3カ月ほどは季節労働者が必要となる。援農は国内からのみではなく、台湾や韓国からも頼んだ。なにしろ、戦前は日用品は台湾から運ばれ、国民学校の修学旅行も台湾へ行っていたという島で、島内で運転免許証をとれないひとはサイパンに行ってとっていたという。近隣の国と仲よくしなくては成り立たない島である。
 立松氏が働いたころは刈り取ったサトウキビを水牛が運んだという。人口わずか1,500人、のどかで平和な島に、昨年3月、安倍政権は自衛隊を派遣した。もちろん、それまでは自衛官など、まったくいなかったところである。
 町議会が自衛隊誘致を決議した2008年以降、町長選や町議選のたびに誘致賛成・反対両派が激突してきた。2015年2月に行われた住民投票の投票率は85.74%で、賛成49.5%、反対34.9%となった(『ハフィントンポスト』2015年2月23日付)。そして、陸上自衛隊「沿岸監視隊」の駐屯地とレーダー施設がつくられ、自衛隊員とその家族あわせて250人が新たな住人となった。
 配備された沿岸監視隊は、警備小隊、通信情報、後方支援隊、レーダー班、監視班など160人で構成される。2箇所に設置された電波傍受装置のレーダーでは、中国軍の通信情報を拾うことが可能で、尖閣有事の際の活動拠点になる。ということは武力衝突が起きた場合には、真っ先に攻撃対象となる(『八重山毎日新聞』電子版、2016年4月2日付)。しかし、いまは町民の15%が自衛隊関係者が占めることになった。いずれ彼らが町長選や町議選の結果を左右することにもなるだろう。
 2016年、あたかも時を同じくしたかのように、1976年以来続けられてきた「与那国島サトウキビ刈り援農隊」が40年目にして幕を閉じた。今年2月には記念式典も行われたようだが、存命であれば駆けつけたはずの立松氏も、世を去って7年になる。今後も、援農募集は別の形で続けられるという。
 
 与那国駐屯地を第一弾として、このような自衛隊の配備は、奄美大島をふくむ南西諸島全体ですすめられる予定だ。2年後をめどに宮古島や石垣島には地対艦ミサイル部隊などを配備。奄美大島には現在、海上自衛隊の分遣隊の基地(瀬戸内町)、航空自衛隊の分屯基地(奄美市)があるが、はさらに陸上自衛隊地対空ミサイル部隊と警備部隊(奄美市)、地対艦ミサイル部隊(瀬戸内町)を配備する計画で、両市町長とも防衛省の要請をすでに承諾している。
 こういった動きの背景について、軍事評論家の前田哲男氏は「ミサイル配備は各島の間を通過する中国艦隊への威嚇と攻撃が狙い。米中は互いの本土に三十分で到達し、破壊できる弾道ミサイルを積んだ原子力潜水艦を保有し、その位置の秘匿と護衛が最大の国益。米国の原潜を守るため中国艦隊を食い止めろというのが、日本に課された任務」という(『東京新聞』2017年3月31日付)。
 はたして、大田氏が記した沖縄の平和主義はどうしたものであろうか。八重山地方が10年ほど前から保守・極右色を強めていることは、2014年6月のこの欄でも、教科書採択問題をテーマに取り上げた。八重山に米軍基地がないことや尖閣諸島を抱えていることを根拠にするひともいるが、そもそも沖縄の平和主義といっても歴史に裏打ちされたものではない。16世紀の琉球王府は、奄美から八重山までを服属させ中央集権体制を確立したという背景もあれば、沖縄本島とその他の島には差別構造があることも否定できない。

 自衛隊配備計画に揺れる島民の姿を描いたドキュメンタリー映画『標的の島 風かたか』の三上智恵監督は、風よけを意味する「風かたか」に「日米両政府が沖縄に押しつける『防波堤』の意味を込めた」という(前掲)。
 『沖縄タイムス』(2017年4月16日付)に、作家の辺見庸、目取真俊両氏の対談「本土の視線 潜む欺瞞」が掲載された(『沖縄タイムス』『琉球新報』両紙に同日掲載だったようだ)。あるブログで紙面が紹介されていたので読むことができたが、目取真氏の発言に次のようなものがあった。
 「日本には現在も最終的に守るべき『絶対国防圏』があり、沖縄はその中に入っていないだろう」「宮古、石垣、与那国で自衛隊の配備強化が進んでいる。仮に日中間で武力衝突が起こった場合、尖閣、宮古、八重山、さらには沖縄島までは戦場にしてもいいという意識が政府にはあると思う」
 沖縄はこれまでも、太平洋戦争では「捨て石」と呼ばれ、ベトナム戦争当時は「太平洋の要石」と呼ばれたこともあったが、今度は「防波堤」である。「捨て石」だろうが「防波堤」だろうが、意味するところに大きなちがいはないだろう。
 いくら北朝鮮がミサイルを撃ち核実験を行おうが、先制攻撃に出ることはない。攻撃を仕掛けた段階で国際的に断罪され、孤立することになる。アメリカも中国も、反撃能力をもつ国に対して先制攻撃に出ることはないはずだ。あまりにも被害が大きくなりすぎる。
 最も危ういのが日本の安倍政権である。北朝鮮や中国を念頭に必要以上に危機を煽り続ける。安倍政権にこそ沖縄の平和主義が求められるのだが、対話など端から考えていないようだ。
 沖縄本島には米軍基地があり、南西諸島には自衛隊基地が配備され、戦時となった場合には自衛隊は米軍の先兵となって南西諸島全域が戦場と化すのだろうか。もしや、先方から先制攻撃を受けたことにしてこちらから攻撃を仕掛ける……。こんな悪夢はない。杞憂に終わってほしいものである。
 5月15日、沖縄返還45周年を迎えた。この国はなにも変わらなかった。いや、そうではない。政治評論家の天木直人氏曰く、いま行われているのは、権力側(安倍政権)によるクーデターなのだそうだ。我々はどう対峙すべきか。本土も沖縄もズタズタにされる前に安倍政権を倒さなくてはならないのだが、正直のところ自信はない。 (2017/05)
 

<2017.5.21>

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
LinkIcon
 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く


第31〜40回LinkIcon
 第31回:生涯一裁判官
 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
 第34回:戦後70年全国調査に思う
 第35回:世界は見ている──日本の歩む道
 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと


第41回:寺離れLinkIcon 


第42回:もうひとつの「日本死ね!」LinkIcon 


第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問LinkIcon 


第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰でLinkIcon


第45回:バーニー・サンダース氏の闘いLinkIcon 

  

第46回:『帰ってきたヒトラー』LinkIcon  


第47回:沖縄の抵抗は、まだつづくLinkIcon 


第48回:怖いものなしの安倍政権LinkIcon


第49回:権力に狙われたふたりLinkIcon


第50回:入れ替えられた9条の提案者LinkIcon 


第51回:ゲームは終わりLinkIcon 


第52回:原発事故の教訓LinkIcon


第53回:まだ続く沖縄の闘いLinkIcon

第54回:那須岳の雪崩事故についてLinkIcon

第55回:沖縄の平和主義LinkIcon

第56回:国連から心配される日本LinkIcon

第57回:人権と司法LinkIcon

第58回:朝鮮学校をめぐってLinkIcon

第59回:沖縄とニッポンLinkIcon

第60回:衆議院議員選挙の陰でLinkIcon

第61回:幻想としての核LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon