いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第58回:朝鮮学校をめぐって

 JR十条駅近くを歩いていたところ、30代くらいの女性から道を尋ねられた。東京朝鮮中高級学校へ行きたいのだという。偶然知っていたので教えられたが、前回の記事中に「在日韓国人」という言葉を使ったことを思い出していた。
 あのときは、深く考えることなしに「在日韓国人」と書いていた。道を聞かれたついでに朝鮮学校について調べてみると、ネット上に横浜市の神奈川朝鮮中高級学校を取材した良心的な記事「朝鮮学校のいま─『在日』生徒たちの胸の内」(「Yahooニュース」2017年4月27日配信)があった。その記事を参考にしつつ、朝鮮学校をめぐる最近の動きをまとめてみたい。

 「在日韓国・朝鮮人」「在日コリアン」という呼び方があるが、南北分断以前の朝鮮半島から日本にやって来たひとびとということで「在日朝鮮人」と記すことにしたい。これがもっとも素直な言い方のように思われた。いま、これらのひとびとの国籍は「朝鮮籍」と「韓国籍」に分かれ、北朝鮮は日本と国交がないので「北朝鮮籍」はないという。
 もう少し正確に記しておきたい。1910(明治43)年の日韓併合後、日本統治下の朝鮮半島から徴用あるいは仕事を求めて日本にやって来たひとびとはみな日本国籍だった。しかし日本の敗戦時、多くのひとびとは朝鮮半島に帰るが、日本に生活基盤をもっていたり、その他の事情から日本に残ったひとびともいた。そういったひとびとは、1947年の外国人登録令により日本国籍から朝鮮籍へと国籍が変わった。
 一方、朝鮮半島は北半部と南半部が別々の道を歩むことになり、1950年には日本と国交を結んだ「韓国籍」への移行が奨励され、「朝鮮籍」から「韓国籍」へと変えるひとが増えていった。いまでも「朝鮮籍」のひとは、それぞれの事情や考え方で国籍を変えなかっただけのことで、とくにいまの北朝鮮と関係があるわけではないと思われる。

 日本の敗戦時に日本にとどまった朝鮮半島のひとびとは55万人といわれる。そういうひとびとやその子どもたちがいつ祖国に戻っても困らないように、朝鮮語を学ぶ場としてつくられたのが朝鮮学校である。貧困にあえぎながらも、1946年10月までに日本各地につくられた朝鮮学校は500校を超えたという。
 1948年に朝鮮半島が北朝鮮と韓国に分断されたとき、朝鮮学校の運営母体だった在日本朝鮮人連盟(朝連)は北朝鮮支持を打ち出し、GHQ占領下の日本政府は朝連の解散と朝鮮学校の閉鎖を指示する。そんな状況下で、教育援助金によって朝鮮学校を積極的に支援し、再建してきたのが北朝鮮政府で、現在でも朝鮮学校全体に対して年間1億円の援助金があるという。
 松山猛氏の『少年Mのイムジン河』(木楽舎、2002年)には、そんな時代の朝鮮学校生と日本の少年たちの交友が描かれている。舞台は1950年代半ばから60年代の京都。著者は中学生のとき、朝鮮中学校の友人を通して歌「イムジン河」と出会い、まだアマチュアだった仲間のザ・フォーク・クルセダーズにその歌を紹介する。それは、著者と在日朝鮮人をめぐるながい物語のはじまりとなった。そして本書刊行7年前のこと、著者は新たに親しくなった在日朝鮮人の案内でイムジン河の畔にたたずみ、半世紀におよぶ物語を語り終える。

 日本には多くの外国人学校があって、海外にも日本人学校がある。その日本人学校と同様、日本にある外国人学校は本国の教育体系にしたがった授業を行い、母国の言語や歴史も学んでいる。それは朝鮮学校に限ったことではない。
 在日朝鮮人のほとんどは日本の普通の学校に通っていて、朝鮮学校に通う子どもは圧倒的に少数派だという。それでも現在66校の朝鮮学校があり、わずかながら韓国学校もある。どの学校に通うかは親や本人の考え方次第で、海外在住の日本の子どもが日本人学校に通うかどうかという場合と違いはない。
 多くの外国人学校同様、朝鮮学校も各種学校という扱いだが、北朝鮮は日本と国交がないうえに、拉致問題などもあって良好な関係にあるとはいえない。そういう北朝鮮政府からの支援をうけている朝鮮学校は、他の外国人学校と同等に扱われているようには感じられない。
 神奈川朝鮮中高級学校は日本の中学、高校に相当する学校で、在日4世になる生徒たち174人(2016年度)が学ぶ。国籍は韓国籍が63%、朝鮮籍が32%、日本国籍が5%だが、みんな日本で生まれ育っている。教室の前方には故金日成、金正日の肖像が掲げられ、「民族教育が困難な時代に学校を支えてくれたことに対する感謝の気持ちから」だと金龍権[キム・リョンゴン]校長は話す。
 さらに、こうも述べている。「朝鮮は長い間、大国のいろいろな侵略とか、そういう歴史的経験があるわけです。その中で自主的に、自分たち民族の尊厳を持って生きていく。在日の教育でもそういう理念があり、連綿と続いている。(同じ朝鮮半島出身者やその子弟であっても軸足は)朝鮮民主主義人民共和国(の側)にある、と私たちは思っているわけですよ」
 取材に応じてくれた4人の生徒は、韓国籍が3人、朝鮮籍がひとりだったが、4人とも祖国は北朝鮮だと思っているという。それは先祖の出身地が現在のどちらの国に属するかとも関係なく、国籍はさまざまであっても軸足は北朝鮮にあるということのようだ。
 教科書は日本の学習指導要領に基づいているが、朝鮮語、日本語、朝鮮の歴史といった授業もある。朝鮮語での授業が原則だが、生徒同士の会話には日本語も交じるという。みんな母語は日本語なのだ。
  
 ところで、2010年4月より高校授業料無償化制度がはじまった。外国人学校も対象とされていたが、審査のさなかに起きた北朝鮮による韓国への砲撃事件(延坪島砲撃事件)の影響で朝鮮学校の審査手続きは中断、自民党へ政権交代後の2013年2月には対象外とされた。朝鮮学校を「在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)や北朝鮮との密接な関係が疑われ、就学支援金が授業料に充てられない懸念がある」とし、文部科学省令を変更したのである。
 この無償化制度による国からの就学支援金とは別に、朝鮮学校を各種学校として認可している28都道府県から学校への補助金、市区町からの保護者向けの補助金がある。東京都の猪瀬直樹知事(当時)は2010年に、大阪府の橋下徹知事(当時)も2011年度以降の支給をとりやめるなど、他の自治体でも支給凍結や打ち切りが相次いだ。ちなみに現在、東京都や大阪府、大阪市は支給停止中、東京23区は支給を継続している。
 さらに国は2016年3月、28都道府県に対して「補助金の公益性や教育振興上の効果の検討、補助金の趣旨や目的に沿った適性かつ透明性のある執行の確保を求める」という内容の通知を送った。文部科学省は補助金の「停止、減額を促す意図はない」としているが、明確な指示のない曖昧な通知に自治体は困惑したものの、影響は小さくはなかった。2017年度は16都府県が予算を計上していないという(『朝日新聞 DIGITAL』2017年8月6日付)。
 こういう動きに対して訴訟が起こされていたが、今年になって相次いで地裁の判断が下された。1月26日、大阪地裁(山田明裁判長)は、大阪府の補助金不支給を「裁量の範囲内」と認めた。7月20日、広島地裁(小西洋裁判長)は、朝鮮学校と朝鮮総連、北朝鮮との関係から就学支援金の流用を懸念する国の主張を追認。7月28日、大阪地裁(西田隆裕裁判長)は、国が無償化の対象外とする省令改正をしたのは「拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られないという外交的、政治的意見に基づいたもの」と指摘したうえで、「教育の機会均等の確保とは無関係なもので、法の趣旨を逸脱しており違法、無効」とした。どの裁判もまだつづいている。
 こうした現状について「Yahooニュース」の記事で、一橋大学名誉教授で在日外国人の権利拡大の活動にかかわってきた田中宏氏が次のように述べている。
 「(外国人学校の)教育内容に関し、政府や地方行政は基本的に介入しない。それが原則です。朝鮮学校が問題だと言い始めたら、じゃあ、『南京虐殺について中華学校の教科書はどう書いているのか』『アメリカンスクールでは原爆投下をどう扱っているか』となっていく。北朝鮮と日本の対立は政治外交の問題なのに、対北朝鮮の関連では何をやってもいい、という雰囲気が日本にはある。政治外交的な問題なのに、学校で差別する、排除する、それをやっているわけです」
 2013年に国連の社会権規約委員会が、その翌年には国連の人種差別撤廃委員会がこうした措置の改善を勧告したが、日本政府に応じる姿勢はない。国連はこの問題とは切り離して、北朝鮮に対する制裁決議をしているのだが、日本政府は拉致問題に進展がないことをあげて、政治外交の問題と一緒くたにしているように思える。
  
 ここで冒頭にかえりたい。JR十条駅近くで道を尋ねられた日、東京朝鮮中高級学校の正門はひとの出入りが多かった。『東京新聞』(2017年8月6日付)によると、同校OBでプロサッカー選手の安英学[アン・ヨンハ]氏(朝鮮籍)の同校企画による引退試合が校内のグラウンドで行われ、500人ほどが集まっていた。安選手はかつてアルビレックス新潟に所属していたことから、新潟からも20人以上のファンが駆けつけたという。道を尋ねた女性もそんなひとりだったのかもしれない。安選手はJリーグ、韓国Kリーグ、北朝鮮代表として活躍し、昨年退団した横浜FCが最後となった。まだ38歳である。
 新潟に入団した当時、新潟港には北朝鮮から万景峰[マンギョンボン]号が入港していたが、練習場で男性サポーターからかけられた「拉致問題とヨンハとはなにも関係もないんで頑張ってください」という言葉に救われたという。ボールを蹴って、緊張する3国を渡り歩いてきた15年の選手生活だった。 (2017/08)

<2017.8.13>

東京朝鮮中高級学校

松山猛『少年Mのイムジン河』(木楽舎、2002年)

いま、思うこと

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 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon