いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第59回:沖縄とニッポン

 沖縄をめぐる最近の動きをまとめておきたい。
 8月21日、アメリカのサンフランシスコ連邦高裁は、日米の環境保護団体がジュゴン保護のため辺野古新基地建設工事の中断を求めた訴訟で、アメリカの裁判所には工事中止を求める権限がないとして訴えを退けた一審の判断を破棄し、サンフランシスコ連邦地裁へ差し戻した。
 この裁判は2003年、ジュゴンを筆頭に日本の環境保護保団体、法律家団体、アメリカの団体などが原告となって、絶滅危機にあるジュゴンを保護するために辺野古新基地建設の中止を、アメリカ国防総省を相手にサンフランシスコ連邦地裁に訴えたものである。
 アメリカの文化財保護法では、アメリカが外国で活動する場合、相手国の法律で保護されているものであれば、アメリカも守らなくてはならないとしていて、この法律を、日本の文化財保護法で国の天然記念物に指定されているジュゴンに適用したものだった。連邦地裁は2015年、日米政府間の協定に基づく工事の中止を命じる「法的権限がない」と判断し訴えを棄却、原告側が上訴していた。
 今回の判決によって原告が国防総省を訴える権利が認められ、地裁では新基地建設でジュゴン保護の義務が尽くされているか再検証を迫られる可能性が出てきたという。また原告側の弁護士によれば、アメリカ政府が文化財保護法に基づく保護手続きを終えるまで日本政府による建設先米軍基地への立ち入りを認めないよう求めていて、原告側が勝訴すれば建設工事は止まるとしている(『東京新聞』2017年8月23日付/『沖縄タイムス』「社説」同日付などによる)。

 日本政府は今年の2月、沖縄本島北部と西表島、奄美大島、徳之島からなる地域について、世界自然遺産としてユネスコに推薦書を提出、2018年夏の登録を目指している。『東京新聞』(2017年9月7日付)によると、世界自然遺産登録の可否を勧告する国際自然保護連合(IUCN)は、今秋行われる現地調査の際に辺野古の環境問題について日本側と議論が必要と沖縄県に伝えていたことが6日にわかったという。これは沖縄県からIUCN側に対して要請した日米両政府への基地建設断念の働きかけについて、事前審査を担当する責任者名で回答が寄せられたもので、日本の関係機関を交えての会合の開催を調整するよう促してきたという。

 8月31日、国際平和団体「国際平和ビューロー」(IPB)は、「オール沖縄会議」に対して、2017年のショーン・マクブライト平和賞を授与することを決定した。
 オール沖縄会議の正式名称は「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」。政党、財界団体、労働組合、市民団体からなる辺野古新基地建設阻止を目指す組織であり、翁長雄志[おなが たけし]知事の支援母体ともなっている。
 他方IPBは1891年にスイスのベルンに設立された団体で、現在本部はドイツのベルリンにあるようだが、積極的な平和活動が評価されて1910年にノーベル平和賞を受賞している。ショーン・マクブライト平和賞は、アイルランドの政治家で元IPB会長ショーン・マクブライト氏の功績をたたえて1992年に設けられた。平和や軍縮、人権の分野で活躍した個人・団体に贈られ、日本では日本原水爆被害者団体協議会(2003年)、平和市長会議(現平和首長会議、2006年)が受賞している。今回のオール沖縄会議は「たゆまぬ軍縮への業績と、軍事化と米軍基地に反対する非暴力的な必死の頑張り」が評価された(『東京新聞』2017年9月1日付/『朝日新聞』DIGITAL、同日付による)。

 そして辺野古の抗議活動にて、沖縄平和運動センター山城博治議長が威力業務妨害の罪に問われている刑事裁判で、那覇地裁(柴田寿宏裁判長)は9月4日、国連特別報告者デービッド・ケイ氏の報告書、国連人権理事会が市民の抗議活動で許容される基準を定めたガイドライン(指針)など、弁護側による証拠請求の一部を却下した。
 国連のガイドラインでは、長期的な座り込みや場所の占拠は「集会」という扱いで許容するように提言していて、辺野古や高江での政府側の警備活動はガイドラインに反したものとされる(『琉球新報』同年9月5日付)。

 記事の紹介に多くを費やしてしまったが、辺野古新基地建設が国際的な話題になってきていることを実感した。とくにジュゴン訴訟の連邦高裁判断は日本ではなかなか出にくい判断だと思うが、か細いながらも、光が差し込んだ思いがした。
 ただ気になるのが審理に要する時間である。2003年提訴で連邦地裁が棄却したのが2015年。上訴をへて高裁の判断が出るまでさらに2年を要している。こんなペースでは工事はどんどん進んでしまう。地裁の2回目の判断が出るのはいつになるのかと心配になる。それでもかすかな望みがみえてきたことを素直に喜びたい。
 2番目の国際自然保護連合の反応はいいニュースには違いないのだが、推薦書を提出した日本政府に対して、IUCN側がもっと強く動いてくれないものであろうか。これでは立場の弱い沖縄県を叱咤しているように思えてくる。
 オール沖縄会議の国際的な平和賞受賞の報道にも驚いたが、その抗議活動の中心となっていた山城氏の裁判では、世界基準からずれている日本の司法の姿を露わにしたことを実感する。この裁判を通して日米軍事同盟の実態、沖縄県の米軍基地問題や司法のあり方をふくめてひろく国際的に認知されることを望みたい。いまの日本では沖縄の民意が国会の多数派になることは絶望的な状況である。海外から盛り立てていくしかないように思う。
    *
 この8月、作家の辺見庸、目取真俊両氏の対談『沖縄と国家』(角川新書、2017年)が出版された。本欄の「55.沖縄の平和主義」でもちょっぴり紹介した『琉球新報』『沖縄タイムス』(2017年4月16 日付)に同時掲載された対談の全容をまとめたものである。
 目取真氏は小説家であるが、辺野古の大浦湾でカヌーに乗って連日抗議活動をつづけ、昨年は海上保安庁に逮捕された。自身のブログ「海鳴りの島から」で、抗議活動の紹介もしている。
 全体の印象としては辺見氏が聞き役・引き出し役に回って、目取真氏が一方的に話しているように感じられるが、重く衝撃的な内容が多い。
 11歳だった目取真氏が、いつものように小学校に出かけると特別のホームルームが行われ、「今日からみなさんは日本人になりました」と教師から告げられた。1972年5月15日、沖縄返還の日である。
 「日本人になったのだ。いや、本当に日本人になったのか? 日本人になれたのか? 私は、と口にして、日本人である、と言い切ることができない」と記す。
 このエピソードを皮切りに、目取真氏は日本本土と沖縄の間の溝のようなもの、潜在的に日本人の中にあったと彼が指摘する沖縄への差別意識について、執拗に突きつけてくる。さらに、鉄血勤皇隊として14歳で銃を手に動員された父が体験した沖縄戦を通して、目取真氏の日本に対する不信感は小さくはない。
 目取真氏や山城氏が、辺野古の現場で体験している抗議活動をつぎのように紹介する。
 「機動隊に殴られようが蹴られようが、引きずられてアザができようが、歯を食いしばって座り込んで米軍車両を止めれば基地機能をストップできるという覚悟。非暴力は自分は痛い目に遭わないということではない。どんなに痛い目にあっても非暴力を貫くというのは大変なこと。機動隊や海保は周囲にメディアの目がなければやる。琉球新報と沖縄タイムスの望遠レンズがむいているから抑制している」
 そして、つぎのようにくくる。
 「沖縄の反基地運動が大きくなって海兵隊が撤退する、となったら、ヤマトゥのメディアや市民の反応は大きく変わる。反基地運動をつぶそうという動きが露骨になるだろうし、最後には自衛隊が出てくる。沖縄の自衛隊は反基地暴動が起こったときに鎮圧するために置かれていると思う。(中略)いざというとき権力は容赦しません。機動隊に殴られ、海保に海に突き落とされて海水を飲まされたらわかります。おめーら、まだ手加減してんだぞ、あんまり調子こいてんじゃねーぞというのが、彼らの本音です」
 この結果が山城氏の微罪による逮捕、長期拘留である。沖縄の米軍基地を本土に引き取る運動もあるが、目取真氏は「そんな夢物語のようなことをしている間に工事は進む」と述べ、そんな時間があるなら現場に来て裏方の仕事でも手伝ってほしいと訴える。
 日本人の8割近いひとびとは日米安保条約によって定められた米軍基地が必要と考え、目取真氏が本土で行う講演の質疑応答では「やはり日本全体のために沖縄に基地があるのはやむを得ない」と発言する人も多いという現実がある。
 辺見氏は「おわりに」で、「わたしには確信がない。沖縄がニッポンであるべきかどうかについて」と記す。
 9月10日夜放送の「NHKスペシャル」では、米軍統治下の沖縄に1,300発の核兵器が配備されたうえ、那覇空港では核ミサイルの誤射事件まであった事実が明らかにされた。いま「核武装論」や「核配備論」が語られるようになっているが、核が持ち込まれるとすれば、やはり沖縄ということになるらしい。 (2017/09)


<2017.9.15>

国会周辺をまわるジュゴン(2015年)

同上

辺見庸・目取真俊『沖縄と国家』(角川新書、2017年)

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
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 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く


第31〜40回LinkIcon
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 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
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 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと


第41回:寺離れLinkIcon 


第42回:もうひとつの「日本死ね!」LinkIcon 


第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問LinkIcon 


第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰でLinkIcon


第45回:バーニー・サンダース氏の闘いLinkIcon 

  

第46回:『帰ってきたヒトラー』LinkIcon  


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第50回:入れ替えられた9条の提案者LinkIcon 


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第53回:まだ続く沖縄の闘いLinkIcon

第54回:那須岳の雪崩事故についてLinkIcon

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第60回:衆議院議員選挙の陰でLinkIcon

第61回:幻想としての核LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon