いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第60回:衆議院議員選挙の陰で

 いよいよ衆議院議員選挙が公示された。そもそも必要とも思えなかった選挙だが、衆議院が強引に解散されてしまったからには嫌でも逃げるわけにはいかない。安倍晋三首相から売られた喧嘩とでも受け止めるしかない。その公示2週間ほど前から希望の党、立憲民主党などをめぐって新聞・テレビは騒がしかったが、その陰ではほとんど取り上げられることのない重要な事案も進行中だ。
 東京高裁にて砂川事件の再審請求の審理がつづいているのだが、その判決を今年5月に下すことが原告側に通告されていた。それがいまだに出されていない。58年前に最高裁によって下された判断が改めて問われる重要な裁判である。普通に考えれば最高裁側に不利な状況なのだが、いつ判決を出すべきかと、東京高裁は政局をながめつつ思案していたのであろう。しかしその間に夏が過ぎ、秋の気配が……気がついたら衆議院解散である。東京高裁は頭を抱えているように思えてならない。
 以下は、おもに『東京新聞』(2015年11月8日付、2016年3月9日付)、元山梨学院大学教授布川玲子氏の講演レジメ「砂川事件と田中耕太郎最高裁長官」(2014年6月23日付)、その他のブログによってまとめてみた。

 発端は1959年12月に下された砂川闘争の最高裁判決である。
 1955年から60年代まで、東京都下砂川町(現立川市)にあった米軍立川基地の拡張計画に反対する住民運動が砂川闘争である。住民運動とはいえ住民だけではなく大学生、労働組合関係者も加わった、60年安保闘争につながることになる運動だった。
 1957年7月、この砂川闘争のなかで米軍基地内に侵入したとして学生や労組関係者7人が、日米安保条約に基づく刑事特別法違反の罪で起訴された。この裁判において1959年3月、東京地裁(伊達秋雄裁判長)は「駐留米軍は外国に軍隊を出動し得る。米軍駐留は日本政府の要請や土地の提供、費用負担などがあって可能。憲法第九条二項で禁止されている戦力保持違反だ」として被告全員に無罪を言い渡した。一般に「伊達判決」と呼ばれている。
 これに対し検察は高裁を飛ばし、最高裁に上告(跳躍上告)。同年12月の最高裁判決(大法廷、田中耕太郎裁判長)では、「安保条約のような高度の政治性を有するものは、裁判所の判断になじまない」として東京地裁の判決を破棄した。その後差し戻し審をへて1963年12月、被告全員の有罪が確定した。
 
 それから45年も過ぎ、2008年から2011年にかけてジャーナリストの新原昭治氏や末浪靖司氏によるアメリカ国立公文書館での調査、また2013年の布川玲子氏によるアメリカの情報自由法(Freedom of Information Act)に基づく開示請求によって、砂川事件関連の重要な資料がつぎつぎと発見されることになった。
 それは当時のマッカーサー駐日アメリカ大使が本国の国務省に送った、1959年11月5日付の公電その他の公文書などである。米軍駐留の合憲性が問われている裁判の判決前に田中最高裁長官がマッカーサー大使と非公式に会談し、跳躍上告のアドバイスをもらったほか、マッカーサー大使に対して判決の見通しや、大法廷の15名の裁判官による詳細な評議内容、口頭弁論の時期などを伝えていたことが明らかになった。
 布川氏は、評議内容を部外者に漏らすことを禁じた裁判所法に違反し、司法権の独立を規定した日本国憲法にも違反するとし、砂川判決自体を「無効」と指摘している。
 田中最高裁長官の政治的な動きは以前より指摘されていたことで、当時の被告のひとりで「伊達判決を活かす会」共同代表でもある土屋源太郎氏は、2009年に最高裁に日本側の関連情報の開示を求めたが文書は存在しないとして退けられていた。まさに、その動かぬ証拠がアメリカ国立公文書館に保管されていたのである。

 土屋氏らは2014年6月、米公文書などの新証拠3通を添え、「公平な裁判を受ける権利が侵害された」として東京地裁に再審請求、免訴の判決を求めた。しかしながら2016年3月、東京地裁(田辺三保子裁判長)は「裁判官が一方の当事者のみに事件に対する考え方を伝えることは、一般的には慎まれるべき不相当な振る舞いだ。また評議の秘密を漏えいしたとは評価できず、弁護側の新証拠は、免訴を言い渡すべき証拠とはいえない」として、再審請求を却下した。
 この判決について、砂川事件に詳しい龍谷大法科大学院の石埼[いしざき]学教授は、「裁判所に求められた公平さをかなり緩やかに解釈していて、今後の司法に悪い影響を与えるのではないか」と述べるほか、外交評論家で「伊達判決を活かす会」の一員でもある天木直人氏は次のように記している。
 「軽率にも、東京地裁は2016年3月の棄却判決の中で、米国の極秘文書の存在を認めてしまった。門前払いにすればよかったのに、極秘文書を認めた上で、田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー米国駐日大使と会ったことは、単なる社交だったという見え透いた詭弁を弄した。こんな詭弁を高裁や最高裁が繰り返せるはずがない。真面目に審理すれば、この国の司法が歪んでいる事を認めざるを得なくなる。もはやこの国の司法は、砂川事件再審請求訴訟から逃げられないのだ」(「天木直人氏ブログ」2017年8月26日付)

 原告の上訴をうけた東京高裁は、2017年5月に判決を下すとしていた。しかしながら連絡が来る気配がないため、8月末に担当弁護士が高裁に問い合わせたところ、「何を検討しているか明らかにしないまま、『当初の予定より検討に手間取っている。出来るだけ早期に決定する』とだけ連絡があった」という(「天木直人氏ブログ」同年9月26日付)。
 要するに加計学園運営になる岡山理科大学獣医学部新設問題と同様である。衆院選で政権与党側に不利な影響を与えそうな認可や判決は、開票後に先延ばしにするということである。いかにも日本の司法らしいが、そんなことでよいはずがない。高裁の判断がどんなものであれ原告・検察どちらかが上告することになり、最高裁の判断を仰ぐことになる。先の石埼氏も最高裁自身が検証すべきものとしている。
 「砂川裁判の最高裁判決は、高度に政治的な性格をもつ問題は裁判所の判断の対象外とした『統治行為論』を初めて採用したにもかかわらず、日米安保条約と駐日米軍を合憲だとした歴史上、非常に重要な、かつ矛盾した司法判断だ。判決が出るまでに何があったのかや、当時の最高裁にゆがみがなかったか、真実を究明する意味でも再審請求には大きな意義があるが、そもそも最高裁自身が検証すべきだ」

 1959年12月の「高度の政治性を有するものは、裁判所の判断になじまない」とした最高裁判決は、戦後日本の不幸はここからはじまったともいえるほどの重要な判決である。それ以来、日米安保・日米同盟に関わる裁判はすべてこの判例にそって退けられることになるが、それは最高裁が憲法判断をしないことをも意味した。
 日米安保・日米同盟に関わることであれば憲法違反は問われないということである。つい最近報道された岩国や横田の米軍基地の騒音訴訟においても、日本政府に対しては賠償命令を出すが米軍機の飛行差し止めは認められない。10月11日に沖縄東村高江で米軍ヘリコプターが大破炎上したが、即座にその場は治外法権の現場となった。損害補償金はもちろん日本政府から支払われる。日本は独立国なのであろうか。主権はどこにあるのだろうか。
 もし1959年12月の最高裁判決が一審の「伊達判決」を追認し、駐留米軍を違憲としていたらどうなっていたであろうか。日本にはいまのような形での米軍基地は存在しない。沖縄の米軍基地問題も岩国や横田の米軍機の騒音問題もない。イラクやフィリピンのように駐留米軍を最小限度にとどめることができたはずだし、政治や司法の姿自体がすっきりとしたものになっていたのではなかろうか。

 そういう意味でも、今回の衆院選後の動きは気になるところだが、民進党の前原誠司代表によるクーデターで野党側は分裂、自公政権に有利な状況になってしまった。こうなれば、衆院選後の最悪のシナリオを覚悟しておくしかない。
 希望の党は空中分解して自民党と立憲民主党へ吸収される。自公連立政権は維持され、安倍首相が引き続き政権を担う。森友・加計疑惑は検察が動けずうやむやのまま、今回のテーマの砂川事件の再審請求も東京高裁も最高裁も一審を追認、請求却下であろうか。日米同盟はより強化され、自衛隊基地は米軍との共同使用がすすみ、オスプレイはじめ米軍機が全国的に展開することになる。憲法はいじくりまわされ、司法はより深い霧におおわれる。
 これはあくまでも最悪のシナリオであるが、これに近いところをいくのかもしれない。 (2017/10 )


<2017.10.18>

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②



第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
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 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く


第31〜40回LinkIcon
 第31回:生涯一裁判官
 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
 第34回:戦後70年全国調査に思う
 第35回:世界は見ている──日本の歩む道
 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと


第41回:寺離れLinkIcon 


第42回:もうひとつの「日本死ね!」LinkIcon 


第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問LinkIcon 


第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰でLinkIcon


第45回:バーニー・サンダース氏の闘いLinkIcon 

  

第46回:『帰ってきたヒトラー』LinkIcon  


第47回:沖縄の抵抗は、まだつづくLinkIcon 


第48回:怖いものなしの安倍政権LinkIcon


第49回:権力に狙われたふたりLinkIcon


第50回:入れ替えられた9条の提案者LinkIcon 


第51回:ゲームは終わりLinkIcon 


第52回:原発事故の教訓LinkIcon


第53回:まだ続く沖縄の闘いLinkIcon

第54回:那須岳の雪崩事故についてLinkIcon

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第56回:国連から心配される日本LinkIcon

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第58回:朝鮮学校をめぐってLinkIcon

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第60回:衆議院議員選挙の陰でLinkIcon

第61回:幻想としての核LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon