著者インタビュー 第3回 2012年10月掲載

枯木灘夫-2~
『躍る古文書〜苦い確執〜』 発売中

前回に引き続き、枯木灘夫氏に語ってもらった。『青い瑕』は歴史小説だったが、『躍る古文書』は現在が舞台の推理小説。しかし、内容には共通するものがあり、両書はリンクして読むことができる。『青い瑕』を読んで、家康や土井利勝対する著者の思いを知った読者は、今度は、秀忠と本多正純の心理解釈に触れることができるだろう。同時に、意外なところで、西行や人麻呂、いろは歌がネタに使われていて、歴史ファンにとっては興味深い記述に目をみはる。そういうことを含めて、その意図を著者に語ってもらった。話は原発問題にまで及んで白熱した。


秀忠側近の土井利勝に陥れられた知者本多正純
将軍暗殺計画など企むはずはなかった

 ―― 『躍る古文書』は推理小説なんですね。それも、舞台が現代。しかし、推理の舞台背景がかなり複雑になっていますね。江戸初期、幕末、それに、西行や空海まで出汁に使われていますね。
 枯木 読者の方には、少し戸惑いがあるかもしれませんね。
 ―― 引き出しが多すぎて、読む方には大変かもしれませんね。蛇足になるかもしれませんが、ストーリーはこんな感じでしょうか。
 主人公の浜木が、会津田島の古道具屋で2通の古文書を手に入れる。1通には西行の歌が書かれ、もう1通には「いろは歌」が書かれていた。書いたのは江戸時代初期の勘定奉行伊丹康勝。一般には知られた人物ではないようですが、それなりに重要な役割を果たしてきた人物ではあることは間違いないですね。その人物がなぜ、西行の歌といろは歌を書き写したものを残していたのかということになるわけですが、実は、江戸幕府、老中のひとり本多正純が改易されたとき、それを伝えに行った使者がこの伊丹康勝だったわけですね。で、もし、この古文書が本物であるならば、いろんな意味で重要な発見になる。浜木は、その古文書のコピーを持って同郷の幼馴染みであり、江戸文化研究家としてすでに名の知られている小西教授を訪ねるわけですね。
 枯木 そうです。大発見とまではいかなけれど、家康亡き後の幕閣の権力闘争に関わった人物の胸の内がわかるという意味では、興味深い史料の発見にはなりますね。本多正純は、家康の信頼が厚く側近時代は権勢をふるった。家康の死後は、2代将軍秀忠に老中として迎え入れられるのですが、秀忠の最側近には切れ者の土井利勝がいるわけです。将軍の座は秀忠に譲っているが、実権は駿府にいる家康が握っていた頃、いわゆる二元政治の頃は、たとえ、2代将軍秀忠の側近土井さえも、正純を介さずに家康の意向を聞くことはできなかった。それほどまでに正純は家康に信頼され、それゆえに大きな裁量権を与えられていたのですが、家康の死後、秀忠の幕閣になるものの、立場は、土井利勝とは逆転してしまうわけです。主導権を土井に握られ、正純の影響力は徐々に衰えていく。その過程で起こるのが釣り天井事件です、いわゆる正純が秀忠の暗殺を企てたという。当時、正純は宇都宮13万石の藩主だった。 
 ―― 秀忠一行の日光参詣の帰りの宿舎が正純の宇都宮城になっていて、受け入れ態勢も万全を期していたが、直前になって秀忠は予定を変更して、宇都宮には寄らずに帰ってしまった。そしてしばらくして、山形に出張していた正純のもとに使者がきて改易を告げるわけですね。
 枯木 使者は、伊丹康勝と高木正次の二人ですね。

咎なき正純に改易を伝えた勘定奉行伊丹康勝
複雑な心境は「いろは歌」の暗号文、西行歌に託された?

 ―― 小説のなかの重要な局面での推理は、伊丹と正純はサシで渡り合ったことにしていますね。
 枯木 そうです。正純は、家康の側近だった人物ですから切れ者です。ですから、表向きの改易理由はことごとく論理的に否定されてしまうわけですね。提示された10の罪はことごとく否定されてしまう。しかし、伊丹もおいそれと引き下がるわけにはいかない。さらに3つの罪状を提示するわけです。しかし、これもたいしたものではない。罪には違いないが、それは、あくまでも徳川家の安泰のためになるものとしてやったものであって、正純に後ろめたいことは何ひとつない。ここからは人間関係の機微になりますね。正純の改易、失脚のシナリオは土井利勝主導でつくられ、それを正純に伝え将軍の威光を示す役割が伊丹に託されていたわけです。そこで、伊丹と正純のサシのやりとりのなかで何が起こったか、というのがポイントになります。正純は、確かに法度に違反しているが、そんなことは将軍家のためを思ってやったのだということはいくらでも説明できる。もとより、謀叛や将軍暗殺なんて考えたことはない。ただただ将軍家のために良かれと思って動いている。一方の伊丹は、正純にどんなに反論されても引き下がるわけにはいかない。すでに、利勝主導で正純の改易が決定し、将軍秀忠もそれを認めているからだ。つまり、陰謀なわけですね。初めから正純を失脚させようという陰謀があって、そのための都合のいい理由を見つけているわけですから、正純がどんなに反論しても、決定が覆るわけがない。しかし、それでも、ふたりは生身の人間です。立場は相反しているけれど、激論を交わせば交わすほど、互いの人間性がさらけ出されてくる。すると、そこに、微妙な感情の変化があらわれても不思議ではないはずです。特に、伊丹の正純を見る感情ですね。もとより、陰謀によって正純を失脚させ、それを通告する役割を担っているわけですから、伊丹の内面に徐々に後ろめたい感情が芽生えてきても不思議ではありません。伊丹は、正純と真正面から話をして、正純の意外な面を見たのではないでしょうかね。家康の側近の頃は冷徹で抜け目のない嫌な人物、評判の芳しくない人物のように思われていたのに、目の前の正純はそうではなかった。私心のない、ただひたすら徳川家の安泰のために尽くそうとする正純の姿が、伊丹に複雑な感情を呼び起こしたのではないかと想像されます。
 ―― その伊丹の複雑な感情を、西行の歌といろは歌に託して記したということになるのですね。
 枯木 なぜ、自分がつくった歌ではなく、他人の歌に託したかといえば、自身がまだ幕府の要職に就いている身だからですね。直接的に正純を擁護する文を残すわけにはいかなかった。書いたのは、正純が配流先の横手で死んだという報を聞いてからですね。
 ―― いろは歌の作者が誰なのか、不明ですよね。かつては、空海説があったし、柿本人麻呂説もありますね。人麻呂は、島根で刑死したといわれている。本人には咎なくて、無念のうちに死んだと。それが、いろは歌ともリンクするわけですね。
 枯木 そうですね。よく知られている説ですが、面白いので、使ってみました。歌の文字の並び位置をずらして行をそろえて各行のいちばん下の一文字を拾って読んでいきますと「とがなくてしす」の暗号文になるのですね。伊丹がそれを意識して使ったと想定してみたわけです。正純に対する鎮魂の意味を込めてですね。あんなに徳川家のために頑張ってきたにもかかわらず最後は秋田・横手の配流先で無念の死を迎えたわけですからね。

伊丹康勝の古文書を会津田島に運んだのは?
幕末会津戦争時、会津援護に向かった郡上藩凌霜隊

 ―― その伊丹が残した古文書がなぜ、会津田島で発見されたのかについては、幕末の戊辰戦争、会津戦争の話が絡んでくるわけですね。
 枯木 岐阜の郡上藩が、会津藩支援のために凌霜隊を組織して送っています。表向きは藩から離脱した独立の組織になっていますが、藩が指示して結成し送り出した隊ですね。なぜ、そうしたかというと、薩長軍が官軍になる勢いで江戸に攻め上ってくる時期、各藩は自藩の立場をどうするかに大いに悩むのですね。大勢は、薩長軍有利に進んではいるが、勝負は最後までわからない。このまま徳川家を見放して、万が一、徳川幕府側が息を吹き返して逆転勝利するかもわからない。そのときのための保険が凌霜隊だったわけですね。ちゃんと援軍を出しましたよという。しかし、悲惨なのは凌霜隊の隊員たちですね。そのときの隊長は、17歳の若者で、江戸家老の息子ですね。家老が藩のために、自分の息子を犠牲にした側面も見られます。総数は50名に満ちません。会津に行く途中で数名が行方不明になっているし、戦闘で命を落とした者もいます。結局、戊辰戦争は官軍となった薩長軍の勝利に終わり、会津に入っていた凌霜隊も捕縛されて郡上に罪人として送り返されるわけですが、郡上藩は官軍に対する体面上、彼らを罪人扱いのままでの厳しい処置をするわけです。
 ―― その凌霜隊が、江戸湾から江戸川をさかのぼり、古河や宇都宮、今市、日光、塩原などを経て会津鶴ヶ城に入る過程で、秀忠時代を生きた伊丹康勝が残していた古文書が、その隊員のひとりの手によって会津田島に移動したという推理、設定ですね。
 枯木 そういうことです。
 ―― そういうひとつひとつの仕掛けは面白いと思うのですが、よほどの歴史好きでなければ、その面白さに気づいてくれないというところはあるのではないでしょうかね。凌霜隊についても、一般にはあまり知られていないのでは?
 枯木 そうかも知れません。しかし、幕末や戊辰戦争について少しでも調べたことのある人なら必ず知っているはずです。これまで、数人の作家の方も小説にして取り上げていますし、会津の飯盛山には戦死した凌霜隊隊員の墓もつくられていますね。有名な白虎隊の自刃した少年たちの墓のすぐ近くです。

人は信頼している人間には簡単に騙される
人間の心理とは不思議なものである

 ―― で、小説の現在に戻りますと、会津田島の古道具屋に無造作に置かれていた伊丹康勝の古文書を主人公の浜木が買い取るわけですね。そして、この古文書をネタにして、浜木と同郷で今はマスコミの世界では有名人になっている江戸文化研究家の小西教授に対する企みが始まるわけですね。
 枯木 この企み自体はたいした仕掛けではありません。重要なのは人間の心理ですね。自分に近寄ってくる相手を、こいつはオレを騙そうとしているなという目で最初から見ると、その相手には絶対に騙されない。どんなに巧妙な仕掛けをしてきても警戒して相手を見ているから騙されない。逆に、全く信頼している人間、こちらが無防備に接している人間には、大雑把で、欠陥だらけのお粗末な仕掛けにでも簡単に騙されてしまうわけです。
 ―― 小西教授は、同郷の浜木は自分を騙す人間だなんて全く思っていないわけですね。しかも、1度は、その浜木が提供してくれた古文書のおかげで自分の名がマスコミの世界で知れ渡るようになった。だから、2度目も信じてしまう。
 枯木 小西は浜木を全く疑ってないわけですね。小西は、むしろ、浜木が説明する緻密な論理に興味を覚えてしまう。加えて幼馴染み。相手が浜木だから、幼馴染みの浜木の言うことだからと無意識のうちに警戒感をなくしてしまっていて、研究者ならば絶対に怠ってはならない裏取り、最後の詰めが甘くなってしまうわけですね。詰めを確実にするよりも、早く発表したいという功に逸ってしまうというのが人間の心理として正解かもしれませんね。
 ―― そうですね。つまり、この小説の面白さは、史実と史実をつなげていく際の論理の正当性にあるということですかね。説明されてみると、なるほどそういうことがあってもおかしくないなあと思わせてしまう論理ですね。
 枯木 ある種の真実は論理の正当性をもって説明できます。真実だから正当性が必然的に備わっているわけです。しかし、その逆は真かというと必ずしもそうはならない。論理が正当だからといってそのすべてが真実であるということにはならないのですね。つまり、真実ではないものを真実らしく見せるためには論理を、より正当性っぽく、そしてより緻密に構築していかなければならないということですね。
 ――よくわかりました。で、この小説では、その役割を主人公の浜木が担っているわけですね。小西教授を納得させるための、史実をベースにした緻密な論理。読者の最大の楽しみは、この論理の正当性に引きずり込まれていくところにあるということでしょうかね。
 枯木 ついつい騙されてしまうということですね。浜木の言い分にうなずいてしまう。読んでいる方もそういう風にうなずいてくれると作品としては成功したことになります。

『躍る古文書』は内容的に前作『青い瑕』とリンクする
興味深い、秀忠が正純を頼りたかった心情の分析

 ―― 他に興味深く感じたのは、2代将軍秀忠の、正純を見る目の分析ですね。これは、通説とはだいぶ違っていますね。ある意味では、この小説の読みどころの部分ですね。
 枯木 その通りですね。通説では、正純は秀忠から嫌われ疎ましく思われていた、だから陰謀によって失脚させられたということになっています。しかし、そうではないんですね。本当は、秀忠は、正純を信頼していてもっといろんなことを相談したいと考えていた。しかし、できなかった。秀忠のそばには、小姓時代から仕えている土井利勝がいるからです。利勝は、家康の側近だった頃の正純と同じように、秀忠を支えることに自身の命を捧げているわけです。だから、秀忠は悩みながらも、どうしても利勝の意見を無視するわけにはいかなくなるわけですね。
 ―― その秀忠の苦悩を、小説では浜木の分析で語らせているわけですね。
 枯木 そうです。
 ―― 前作の『青い瑕』では、利勝が家康との心理葛藤の末に、自身が、家康亡き後の秀忠を命をかけて支えていこうと決意するまでのプロセスを巧みに描いていますが、今回は、秀忠の心理分析にも焦点が当てられていて、その結果、利勝がどうしても正純を陥れなければならなかったプロセスの解明も行なっています。秀忠、利勝、正純の3人の関係性におけるそれぞれの心の動きは非常に微妙ですね。そういう意味では、今回の作品は、形態は違うけれども、『青い瑕』の続編としても読める気がしまますが。
 枯木 実は、作品の完成時期としては、『躍る古文書』のほうが早かったのですね。2011年の1月にはほとんどでき上がっていて、最後の描写をどうするかでいろいろ考えていたときに発生したのが、3月11日の大震災です。その後は、それまで考えていた形では書けなくなってしまったわけです。舞台が現在で、まだ作品が完成していないのだから、大震災に関係した話が何も入っていないというのでは、作品にリアリティがなくなってしまいます。で、何を書くか。ではなくて、ひどい空虚感に襲われまして、しばらく何も書けなくなったのですね。自分のやっていることが卑小なもののように思えてきましてね。

いま、人はなぜ「ふるさと」を歌うのか?
人間の未来に立ちふさがったタチの悪い原発事故

 ―― そういう喪失感を覚えた人が多かったようですね。それに輪をかけたのが、原発の事故ですね。人間の未来を遮断するように立ちふさがってきています。地震、津波の自然災害だけならば、確かに大きな打撃を受けたけれども、幸いにも生き残った者たちは、亡くなった人たちの分までそこから立ち上がろうという気力を奮い立たせることができます。人間ならできるわけです。その知恵ももっている。しかし、原発、放射物質の被害というのは、そういう気力をなくしてしまうほどタチが悪いものですね。
 枯木 たとえば、津波で押し流された家の跡を見るのは、そこに住んでいた人にとっては非常につらいことです。しかし、だからといって、彼らはそこに二度と足を運ばないということにはなりません。何度も何度も足を運びます。そうして、そのうちに、もう一度やり直そう、くよくよしていても仕方がないからもう一度生まれ変わったつもりで前向きに生きてみようという気力を奮い立たせるようになってくるんですね。そうすることができる大きな要因のひとつが、そこに「家の跡」があるからですね。建物はなくなっているけれど、家族がひとつの共同体となって営んできた生活のシンボルの痕跡、証がそこにあるわけですね。日常の喜怒哀楽、辛いときもあったし、楽しいときもあった。いろんなことがあったけれど、それらを分かち合ってきた家族が家族として生活のなかで成立していたんだという思いが、「家の跡」を見ることで強烈にシンクロしていくんですね。「家の跡」を見ることが、次を生きる、未来に向かって生きる自分を支えてくれるんですね。ところが、どうでしょうか。第一原発近くの強制避難させられた人たちの思いは? 自分たちが生活してきた家や土地をもう二度と、永久に見ることができなくなったかもしれない人々は、本当に、未来に向けて自分を奮い立たせることができる青写真を素直に描けるでしょうか。
 ―― 確かにそうですね。人間には、心の糧、心の支えというものが必要ですね。それによって苦しいときの踏ん張り方が違ってくる。それは物に限りませんね。言葉も、大きな要素のひとつですね。
 枯木 その通りです。石川啄木の歌に、「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」がありますね。啄木は才能に恵まれ上昇志向も強かったが、現実にはあまり評価されず、生活は苦しかった。その苦しい心情を抱えた啄木がふるさとの地に立って岩手山を眺めたときの思いがあふれていますね。私は、この歌を、啄木が岩手山に励まされてまだまだ頑張ろうとする前向きの歌としてとらえています。啄木と同じ境遇に陥った人たちにとっては、故郷の山と啄木の歌がシンクロします。故郷を出てくるときに駅のプラットホームで恩師がかけてくれた言葉「夢を簡単に捨てるな。先生はおまえを信じているからな」が、その人の生涯の心の支えになるということもあるでしょう。
 ―― 啄木のふるさとに対する心情は複雑ですよね。「石をもて追はるるごとく」に出て、北海道に渡ったという記述もあります。
 枯木 そういうことがあってもなお、ふるさとは、啄木にとっては心の糧であったことは間違いないですね。人は、自分の故郷の思い出は、必ずしもいい思い出ばかりではない。だから、故郷を出ると、その故郷をなんとか見返してやろうという気持ちで頑張る人もいるわけです。そういうことを含めて、故郷は、ひとの気持ちを奮い立たせる要因になっているのであり、心の支えにもなっているということが言えるのではないでしょうか。啄木の『一握の砂』のなかの「煙 二」には54の歌がおさめられていますが、その1番目が「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみのなかに そを聴きにゆく」で、16番目が「石をもて追わるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆるときなし」、そして最後が「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」ですね。上野駅の構内には、「ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみのなかに そを聴きにゆく」の歌碑が建てられています。かつて、東北から出てきた人たちにとって「上野駅」がどういう存在だったかというのが象徴されているんではないでしょうか。
 去年の大震災以降、各地で、最も多くの人に歌われたのが、唱歌の「ふるさと」ですね。作曲が岡野貞一、作詞が高野辰之ですが、3番の詞が、高野の心情そのものであり、また当時、多くの人々が抱いていた心情と共有するのではないでしょうか。「こころざしをはたして いつの日にか かえらん」とする対象として、同時に大きな心の支えとして故郷は人々のなかに存在しているわけです。人々の故郷での思い出はいろいろあり、気持ちは愛憎半ばするけれど、自分が困難のなかで生きていく心の糧になっていたのは間違いないでしょう。今なお、この歌が多くの人に歌われているということは、人々の心情が、その歌の心情と相通じるところがあるということではないでしょうか。
 ところが、原発の放射性物質による影響というのは、そういう人々の非常に大事な情緒的な部分を、地震や津波による被害とは別の次元で根こそぎ持っていってしまうのですね。あとには何も残らないというところまで完膚なきまでにたたきつぶされてしまいます。

原発をなくすことに議論の余地はない
除染だけでは戻ってこない本当の故郷

 ―― 第一原発近くの立ち入り禁止区域だけでなく、第一原発から30キロ、40キロ、50キロ、60キロ、70キロ、80キロ、90キロ、100キロ……と離れている地域でもそれぞれに、事故の影響がボディーブローのように効いてきています。精神的ダメージが少しずつ溜まって大きくなってきている。そこがこわいですね。たとえば、100キロ地点でも、事故前と事故後では全然違ってきているんですね。事故前は、毎年、庭の畑にキュウリ、トマト、ナス、ピーマンといった野菜を植えて、収穫を楽しみにして何の抵抗もなく食べていたのが、2011年にはほとんど作らず、秋にキャベツと小松菜の種を播き、年を越して収穫したものを市役所に持ち込んで放射線量を測ってもらうと、100ベクレル以下だけれどそれなりの数字は出ている。ブルーベリーは23ベクレル、コマツナ42ベクレル、キャベツ23ベクレル、といった具合に、それなりの影響は間違いなく出ているわけです。ひとつひとつの数字が少ないからといって全部を食べるわけにはいかない。そういうことが続くと、自分が住んでいる土地に対しての見方が、これまでとは少しずつ変わっていってしまうのではないかという気がします。田舎で、少しでも自分で野菜を作って食べる。豊かな自然の風景を見て、土をいじって、野菜や果樹を作ることを楽しみにしていた人たちにとっては、自分の土地が呪われた忌み嫌う対象になってしまうのではという危惧があります。原発事故前までは、今年の収穫の良し悪しから次の年に何を作るか、どういうふうに作るかなどの対策をいろいろ考えたりすること、それが楽しみであり、生活のなかのハリをつくっていた。しかし、事故後はそうはいかない。何もしないでそのままにしているという人が多くなっている。未来への希望が塞がれているわけですね。畑を見ていても希望が湧いてこないし、気持ちが奮い立ってもこない。気持ちの落ち込みが、少しずつボディーブローのように効いてくる。これが、こわいですね。除染などと簡単に言いますが、そう単純な話ではない。家の周りだけを除染したからといって以前の生活が戻ってくるわけではない。山に入れば線量が高い、川の鮎は食べられない。田舎で生活する良さがほとんどなくなってしまっているんですね。先ほど、「家の跡」を見ると気持ちが奮い立つという話が出てきましたが、放射性物質で汚染された地域の場合は、その土地を見ていると、逆に気持ちが萎えてしまうということも起こってくるのだと思いますね。
 枯木 何度も繰り返しますが、原発の事故、放射性物質の拡散による被害の影響がそれだけやっかいだということですね。長い年月にわたって影響が残るわけですから、キリのいいところでの気持ちの切り替えがなかなかできないですね。そういうことも含め、原発をつくってきた罪は計り知れないほど大きいといえます。日本のあちこちにつくられている原発に万が一のことがあれば、日本に住むところがなくなってしまいます。どうすればいいか。結論ははっきりしています。原発をなくすことですね。それを前提にして、いかに早く、どういう方法でそれを実現できるか、そのための知恵の出し合いこそを競争すべきです。原発が必要か否かを論じている場合ではありません。未だに、経済的にも必要だと考えている人は、自分だけは何があっても安全だということを前提にして原発を考えている全く能天気が人だと思いますね。想像力が欠如してしまっているのですね。むしろ、こういう人たちに限って、何かあるとすぐに自分だけは安全なところに逃げようとするのかもしれません。
 ―― 全くその通りですね。ずいぶん話が横道にそれてしまいましたが、非常に重要な問題なので、また別の機会をもって話をお聞きしたいと思います。で、ここで、少し次回作の話を。やはり、『青い瑕』の続編は出るというふうに考えていてよろしいんですね。
 枯木 続編というよりは3部作で考えています。『青い瑕』の次が、江戸城での、本多正純と土井利勝の心理対決をメインに描き、年内アップの予定です。その次が、失脚した本多正純の、配流先横手での最後の生活に焦点を当てたいと考えています。
 ―― ありがとうございました。
 
(2012.10.07)

枯木灘夫(かれき・なだお)

出版社・新聞社勤務を経て作家に転身。歴史、文学、心理、科学……幅広いジャンルの編集、記事を扱った経験を生かし、これまでに類を見ない独自の作風の確立に意欲的に取り組んでいる。 

枯木灘夫インタビュー

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