本と音楽の未来を考える

いま、思うこと 第41〜50回 of 島燈社(TOTOSHA)

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

工藤茂(くどう・しげる)/1952年秋田県生まれ。フリーランス編集者。15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

第41回:寺離れ

 少々個人的な話になるが、田舎のぼくの生まれた家では、毎月寺の住職がやって来た。仏壇にロウソクと線香を灯し、お経をあげては御布施をもらって帰っていった。「毎月、御布施は大変だ」と、母は口癖のように言いながら包んでいた。それから「仏さまは大事にな」というのも口癖だった。
 最近、いま暮らしている東京でのことだが、ある寺に行く用件があり、帰り際に住職から封筒を渡されて帰ってきた。なかには「年忌法要『お布施』の目安」という紙が入っていた。
 どういうものかといえば、戒名の位に応じて、その後に行われる年忌法要のお布施の金額の目安を示したものだった。一般にいわれる戒名料かと思ったが、よく見るとそうではなかった。あくまでも年忌法要の際の御布施のことであった。
 ぼくはこういうことには疎い。いわゆる戒名料と呼ばれるものは、その位によって金額が大きく異なるという知識はあった。しかしその戒名の位が、その後の法要のお布施の金額に反映するとは知らなかった。そういうことを知らずに立派な戒名などをねだると、御布施を包む段になって後悔することになりそうだ。
 そもそも御布施は読経のお礼のように僧侶へ渡しているが、法要や読経の対価ではないそうだ。僧侶を通して寺のご本尊に供えるもので、金額も定められているものではない。そうはいっても、現実問題としていくら包んでよいものか見当もつかず、僧侶に尋ねることになる。そんなことが何度もあって、寺としてはおよその目安を示すところが多くなってきている。もちろん、寺の経営上の観点から計算された金額にもなっているはずである。またやせ我慢しながらも、御布施本来の意味から「お気持ちで結構です」とこたえている僧侶もいる。

 まずは、渡された紙に示された御布施の目安というものを紹介してみる。
  ○○院殿○○○○○○大居士(清大姉) 本堂20万円以上 墓前10万円以上
  ○○院○○○○居士(大姉)      本堂10万以上 墓前7万以上
  ○ ○○○○居士(大姉)         本堂7万以上 墓前5万以上
  ○○○○信士 (信女)          本堂5万以上 墓前3万以上
 これとは別に、ぼくはある地方の寺の例をメモしてある。それは本堂を借りることが前提で、戒名の位は関係ないようである。
  一周忌〜十三回忌 8万円前後 
  十七回忌以降   5万円前後
 地方のほうが若干安いように思えるが、ぼくにはけっして安い金額とは思えない。年忌法要をお願いするにはちょっとした覚悟がいるのではなかろうか。前回取り上げた串田孫一氏は浅草の寺の檀家総代をつとめていたというが(『こころ』Vol.13、2013年6月、平凡社)、彼は財閥系銀行家の御曹司である。ぼくと同じ環境だったはずがないが、どういうことを考えていたのだろう。
 こういったことが絡んでくると、法事をやるかどうかということは、先祖を供養する、大切にするという心の問題とは別の話になってしまう。ぼくは金のかかるような法事は積極的にはやりたくないが、先祖への感謝の気持ちは忘れないつもりだ。
 ところで、浄土真宗・真宗は他の多くの宗派とは異なり法名に位はないというが、最近は院号をつけるひともいるようだし、御布施の額に関しては大差がないとも聞いた。
 御布施は年忌法要だけでは済まない。ぼくの生家のように住職が月命日に檀家をまわってお経をあげ、御布施をもらう慣習がある。祥月命日には月命日よりも多く包む。この慣習は地域にもよるし、菩提寺と檀家の付き合いにもよるものだろうが、ネット上で調べてみると、月命日をどうしてよいのかわからない、この慣習をやめたいという相談が少なくなく、思いのほかひろがりのあることのようだ。
 ほかに正月、盆、春秋の彼岸には寺に墓参りに行ってご本尊に御布施を供える。さらに宗派によって異なるが、涅槃会、大般若法要、お施餓鬼法要、お十夜法要などの年中行事もいくつかあってこちらにも回向料(御布施)が、そして護持会費や墓地管理費などもある。いくら少なめに包んだとしても、法事がまったくない年でも、合計するとかるく10万円を超える金額になる。70歳近い知人が「お寺のために働いているようなもんだ」と言っていたが、まさに身をもって経験しているひとの言葉である。

 このように、檀家から金が集まるように巧妙につくられた仕組み=檀家制度によって寺は支えられている。まったく素晴らしいシステムをつくり上げたものと驚くばかりである。みんな喜んで従っているわけではないだろうが、とりあえずのところ、どうにかこのシステムは維持されていて、寺は成り立っている。
 寺の檀家となった当人は、物理的にも経済的にも覚悟をもってしたことであるからまだしも、祭祀承継者の代替わりにしたがって寺と付き合うことが難しい事態も起こりうる。もし、さほど裕福でもないぼく自身が祭祀者となった場合、どうなるのであろうかと考える。
 御布施をケチっていると、住職は親の例を小出しにしながら、親と同等の金額を出すように要求してくる。僧侶がそんなはしたないことを言うはずがないと思うのは勝手だが、おそらく裏切られる。場合によってはありのままの経済状況を訴え、最低ラインでの御布施で檀家として付き合っていくしかないであろう。
 こんな先祖代々の墓を質にとって御布施を強要するような檀家制度は自然消滅するとしか思えないのだが、さっさと自分の代で終わらせたいのであれば、離檀、墓じまいの話し合いに入るのも選択肢のひとつだ。納骨許可書、改葬許可書などいくつかの書類手続きのほかに、菩提寺への謝礼金や墓の魂抜きの御布施、石材店には墓の撤去費用、新たな寺や霊園への永代供養料など、移す遺骨の数にもよるが、100万円で収まることはなさそうだ。

 ところで妻の実家の墓は千葉県の民営霊園にあって、菩提寺をもっていない。葬式や年忌法要を行うときは霊園近くの決まった寺にお願いしている。御布施も先にあげた例と比較すれば、驚くほど少額で済ませている。こちらから連絡しないかぎり、その寺とはなんのつながりもなく済んでいる。うらやましいくらいにさっぱりしたものだが、墓をつくるときはそれなりの、つまり100〜200万円の経費を要しているはずである。
 妻の実家が墓を買ったのは60年近くも前だというが、東京や東京近郊の場合、こうした民営霊園に墓をもっている例が多い。いわゆる「寺離れ」といわれるものだが、一歩東京圏を離れて地方へ飛ぶとこういった霊園はまだまだ整備が不充分で、多くは先祖代々決まった寺の檀家になっている。とかく地方は疲弊するばかりで、裕福な檀家など多いとも思えない。田舎になるほど寺には金が集まらず、先細りとなっていくであろう。
 そんななか檀家制度を廃止した寺がある。「市民が見性院の前を通って(無宗教の)霊園に行くのを黙って見ているわけにはいかない」と語るのは、埼玉県熊谷市の曹洞宗見性院の橋本英樹住職。著書『お寺の収支報告書』(祥伝社新書、2014年)で、寺の収支決算書や財産目録を公開し、周囲の寺から総スカンを食った(『東京新聞』2016年3月7日付)という人物である。ここでは宗教専門紙『中外日報』電子版(2015年6月10日付)の記事を参考にする。
 見性院では、寺の経営を維持するためにも信者を獲得する必要から行き着いた結果として、2012年6月に檀家制度を廃止した。かわって導入した信徒制度は次のようなものである。
 ①檀家は菩提寺に葬儀や法事を頼まなくともよい。
 ②住職は檀家以外の葬儀や法事も行う。
 ③墓地を檀家以外にも(宗旨や国籍を問わずに)分譲する。
 ④寄付、年会費、管理費などは一切ない。
 もちろん、檀家総代が集まる役員会は「住職は檀家を見放すのか。檀家離れがすすんだら寺はつぶれるぞ」と紛糾した。橋本住職は「家制度が崩壊している今、江戸時代から続く家を中心とした檀家制度は既に限界を超えている。一般信者を増やす、お寺本来のあるべき姿にしたい」と理解をもとめ、1年3カ月を要して制度廃止に踏み切った。
 見性院に新たに墓地を購入した多くのひとは檀家制度のない自由さを理由にあげ、毎月3〜4件の申し込みがあり、信徒数は3年で倍増したという。いまは遺体搬送、本堂での葬儀、バスや返礼品・料理の手配、僧侶の紹介、仏壇や墓地・墓石の販売まで自前で行い総合的に展開している。境内の掲示板には御布施一覧が掲げられていて、ちなみに四十九日・一周忌が5万円、三回忌以降3万円となっている。
 ぼくは自分を仏教徒とは思っていない。先祖は敬っているつもりだが、自分の墓など必要とも思わないし、まして骨などどうなってもかまわない。仏式の葬儀にこだわる気持ちは微塵もない。これは妻もかわりはない。ぼくは実家の墓に入ることも可能なのだが、ぼくが入ることによって、残された者はこれまでのような儀式から逃れられない状況に追い込まれる。この流れを断ち切りたかった。ぼくの葬儀は無宗教の直葬、読経も戒名も塔婆も不要である。
 このことに踏ん切りをつけるべく合祀墓を捜していた。なかなか望んだものがなく、行き着いたのが「年忌法要『お布施』の目安」を渡された寺の一画の墓だった。ぼくらにとっては桜を眺めながら散歩した思い入れ深い地で、いまでも時折出かけるところだ。
 その一画は無宗教でも結構ということだった。墓といっても直径20センチほどの穴である。購入時にさほど法外でもない金額を納めれば護持会費も管理費も必要としない。あとは納骨時に3万円の御布施を包むだけである。住職に渡された「年忌法要『お布施』の目安」も、ぼくらにとっては不要のものだ。仮に将来、地方に暮らすことになったところで、いまはゆうパックでの送骨も可能になった。
 さて、これで踏ん切りがついたのかどうか、不安がまったくないわけではない。
                               (2016年3月)

<2016.3.16>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第42回:もうひとつの「日本死ね!」

 米軍普天間飛行場の移設にともなう辺野古新基地建設をめぐる代執行訴訟で、日本政府が沖縄県と和解したことについて、アメリカのオバマ大統領は不満をあらわにしたようだ(『東京新聞』2016年4月2日付)。
 どうにも腑に落ちない不思議な記事だった。この和解の舞台裏については、『沖縄タイムス』や『日経新聞』、共同通信による配信記事などですでに詳しく報道されている。早くからアメリカ側と協議しながらすすめられていたもので、3月1日には谷内[やち]正太郎国家安全保障局長からライス大統領補佐官(国家安全保障担当)に和解の結論が伝えられている。そして2日午前にはオバマ大統領はライス補佐官が作成した報告書に目を通し、「分かった。しばらく動かないということだな」と述べ、納得しているのだ(『沖縄タイムス』電子版、2016年3月20日付)。
 いや、この記事がどうであろうが、オバマ大統領は工事が遅れることに懸念を示すべきではなかった。大統領の言葉は間違いなく安倍晋三首相にスイッチを入れ、沖縄への強硬姿勢となる。沖縄は反米一色と化す。辺野古の現場は流血の事態となり、1970年のコザ暴動の再現ともなりかねない。彼の任期は2017年1月までだ。次期大統領にお任せでよいではないか。わざわざけしかけるメリットなど、どこにあるというのか。4月1日の目取真俊氏の不当逮捕以来、沖縄では連日の抗議集会が開かれ、米軍との間で睨み合いが続いているのだが、本土の新聞では報道されない。
 と、そんなところにオバマ大統領の不満の記事は間違いだという情報もあった。「オバマ大統領は辺野古新基地計画の現実性に疑念を示した」というニュアンスが正しく、安倍政権の判断力に疑念を抱いているというのが真相というものだが、正確なところはよく分からない。

 少々さかのぼるが、3月4日午後、安倍首相は福岡高裁那覇支部が示した和解勧告案を受け入れる方針を決め、工事中止を中谷元防衛相に指示した。それでも首相は「辺野古への移設が唯一の選択肢という国の考えに変わりはない」とわざわざ付け加えている(『時事ドットコム』2016年3月4日付)。和解というよりも、一時中断という意味合いのようだ。
 福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎[たみや としろう]裁判長)が、つぎのふたつの和解案を提示したのは1月29日だった。
 A案=翁長知事が埋め立て承認を撤回するかわりに、国は移設後30年以内の新基地返還か、軍民共用化をアメリカ側と交渉するという「根本的な解決策」。
 B案=国が訴訟を取り下げて工事を中断したうえで沖縄県とあらためて協議する「暫定的な解決策」。
 沖縄県にとってはB案が有利で、国はアメリカ側との交渉が必要なA案にも、工事中止をともなうB案にも乗れないだろうといわれていたが、国はB案を受け入れることにした。これは、沖縄県側にとっても意外な展開だった。ただ、たしかに和解成立ではあるが、工事を中断して話し合いのテーブルにつくというものでしかない。こうした協議なら2015年8月にも1カ月間集中的に行われたが、ただの時間稼ぎ終わっている。それでも工事を少しでも遅らせられるのであるから無意味ではないといえば、そうなのかも知れない。
 『沖縄タイムス』(2016年3月5日付)によると、安倍首相は「円満解決に向け県との協議を進める」とする一方、協議決裂後の訴訟を念頭に「司法判断が下された場合は、国も沖縄県もその判断に従う。互いに協力して誠実に対応することで合意した」とも語っている。
 じつはB案には10項目の和解条項がふくまれていて、安倍首相が語った「司法判断が下された場合は……」は、そのうちの第9項をふまえたものだった。その条文を示しておく。
 9. 原告及び利害関係人と被告は、是正の指示の取消訴訟判決確定後は、直ちに、同判決に従い、同主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続を実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する。
 『日経新聞』(2016年3月12日付)の検証記事によると、和解案受け入れに際して安倍首相がもっともこだわったのは「不可逆性」だという。つまり、ふたたび元の状態にはもどさないことである。「昨年末の慰安婦問題を巡る日韓合意で用いたこの言葉を用い、再び訴訟合戦にならないよう法務省に指示した」とある。
 ここに示した第9項も和解の前提のひとつである。翁長知事の承認取り消しの違法性が確認できれば、国は堂々と工事をすすめられ、沖縄県側は工事阻止にむけた他の法的手段には訴えにくくなるという国の読みがある。最高裁判決による決着までは1年あまりを要するが、菅官房長官は法務省幹部と協議したうえで和解案を受け入れても「勝てる」と判断したという。
 ここに「法務省に指示した」「法務省幹部と協議して」とある。菅官房長官が法務省と協議しても不思議ではないが、両者とも裁判所に関して権限をもつことはない。にもかかわらず菅官房長官が「勝てる」と判断した根拠はなにか。あとに触れることにするが、裁判所と検察庁(法務省)は互いに連絡を取り合っていて、人事交流制度があることもたしかである。

 『日経新聞』の記事から2週間ほど過ぎて、共同通信が決定的な記事を配信したという。ネット中を捜し回って『Web東奥』(2016年3月24日付)で、ようやく全文を読むことができた。「検証・辺野古訴訟和解/急旋回、透ける打算/菅氏主導、極秘徹底」という記事だった。
 記事によると、1月29日の和解勧告は国側にとっても想定外のもので、菅官房長官はそれまで100%勝てると思っていたという。歯車が狂った国側は2月2日、法務省の定塚誠訟務局長らに対してなんらかの対応をとるように、安倍首相が直接指示している。
 そして2月12日、菅官房長官から安倍首相へ「裁判所は和解の意思が強い」との報告がある。それ以降、沖縄県側に方針が悟られないようにすすめるため、菅官房長官主導で岸田文雄外相、中谷防衛相、法務省の定塚訟務局長にしぼり、極秘裏の扱いとされた。
 記事には次の記述がある。「菅氏らは和解勧告や裁判所の訴訟指揮を分析。その結果、国が訴訟をいったん取り下げて県と再協議する暫定的な解決案(B案)の受け入れに傾く。関係者は『定塚氏は高裁支部の多見谷寿郎裁判長と連絡をとっていたとみられる』と証言する」
 多見谷裁判長とは、福岡高裁那覇支部で和解勧告案を提示した当人である。定塚訟務局長は和解案提示後の多見谷裁判長から、このままでは国側に有利な判決を出すことが困難なこと、あくまでも和解の方向ですすめるとの意思を得て、2月12日までに菅官房長官に報告したことが分かる。この情報を得て菅官房長官らは裁判を乗り切る策を練ったのだ。もちろん多見谷裁判長とも連絡をとりながらのことである。ここに『日経新聞』の記事中の「勝てる」の根拠があった。

 3月23日、菅官房長官、翁長知事らが出席して和解成立後初めての協議が行われたが、作業部会の設置と今後の協議の継続を合意したにすぎない。両者ともこれまでの主張を変えたわけでもなく、歩み寄る見通しもないままである。その協議後の記者会見のなかで、和解条項の解釈をめぐって大きな食い違いが露呈した。
 第9項の解釈をめぐって、翁長知事はこの解釈についても作業部会で議論の対象になるとの認識を示したが、菅官房長官は「和解条項に明快に書いてある」として、議論の余地はないとの考えを示している(『毎日新聞』電子版、2016年3月23日付)。
 沖縄県としては、敗訴した場合、埋め立て承認取り消しの撤回には応じるが、その後の対応まで縛られることはない。たとえば工事の設計変更があれば、変更のたびごとに知事の承認権によって拒否し、是非の判断を新たな訴訟に求めることが可能だという解釈である。一方国は、国側が勝訴すれば沖縄県は新たな法的措置を取れなくなるという見方である。
 この件について、2011年に退官した元裁判官、仲宗根勇氏による「辺野古訴訟『和解』を考える・中」(『沖縄タイムス』2016年3月24日付)が、自身でも調停や和解を多数あつかってきた経験から重要な指摘をしている。
 仲宗根氏は和解案について具体的に3つの指摘をしたうえで、これらは裁判所から出された和解案とは考えにくく、裁判実務・理論に不案内な法務官僚と安部官邸が共同作成した裁判手続きに無効原因を含む政治的な和解案と思われるとして、和解案自体に疑義を投げかけている。また第9項をふくむ和解案を受け入れたことが、沖縄県にとって今後の法廷闘争で大きな制約となることにも危惧する。つまり裁判で国側が勝った場合、沖縄県が取り得る他の手段が封じられてしまいかねないというのである。そして最後に、「案の定、官邸と法務省幹部が舞台裏で協議し、和解案を受け入れたことなど、驚くべき報道が一部でなされている。もし報道が事実だとすると、ことは司法権の独立に関わる重大な事件へと発展すること必定である」としめくくっている。
 昨年の『日刊ゲンダイ』電子版(2015年11月19日付)は、つねに体制寄りの判決を下してきたという東京地裁立川支部総括判事だった多見谷裁判官を、辺野古訴訟のために福岡高裁那覇支部長へ異動させた疑いがあることを指摘している。憲法違反の集団的自衛権行使を正当化するために内閣法制局長官のクビをすげ替えたことと同様の手法である。「菅官房長官は『司法の判断を仰ぐことにした』などと言っているが、本音は『多見谷裁判官よ、分かっているな』というプレッシャーがありありではないか」と記事はまとめている。共同通信配信記事の菅官房長官が「100%勝てる」と思っていた根拠がこれだ。
 明確な国の司法権侵害であるが、共同通信の記事も坦々と報じるのみ、そして大手紙はまったく報じる気配がない。いったい沖縄県はどう対応するのであろうか。

 裁判官、最高裁調査官をへて大学教授となった瀬木比呂志氏の『絶望の裁判所』(講談社新書、2014年)には、「談合裁判」という語が登場する。談合事件の裁判ではない。そこには、国が申立人となる裁判において事前に国が裁判所へ申し立て内容を問い合わせ、何人もの裁判官たちが集まって知恵を絞った話が紹介されている。日本の司法では、こうした不正はさまざまな形で存在していて、表に出さえしなければ、大抵のことは許されるという感覚なのだという。今回は表に出ているにもかかわらず、多くは素知らぬふりをしている。数年前、ジュネーブの国連拷問禁止委員会の場で「日本の刑事司法は中世」と指摘されたことがあったが、ことは刑事司法に限らない。まったく「日本死ね!」とでも言いたくなるレベルなのだ。
 いまアメリカの大統領選の共和党指名争いで首位を走るドナルド・トランプ氏は、在日米軍を撤退させ、日米安保条約も見直すと発言している。おおいに結構ではないか。「日本には自衛隊がある。世界第4位の軍事力だ。狭い国土の防衛に米軍は要らない。憲法9条は変える必要はない。解釈で自衛隊は合憲化されている。その解釈は定着している。あくまで戦争放棄と軍隊放棄の理想をめざせばよい」(「世に倦む日日」ツイッター、2016年3月27日付)ではいかがだろうか。これで辺野古の問題も片が付く。と思いきや、いまの安倍政権下ではまったく逆に、憲法9条は姿形も失せ、自衛隊は完全な軍隊につくり変えられてしまうのかも知れない。「日本死ね!」と、何度でも言いたい。そして沖縄県の闘いを、これからも注視していかなくてはならない。 (2016/04)

<2016.4.13>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問

 2015年10月下旬のことである。国連総会第三委員会(人権)において、表現の自由を担当するデビッド・ケイ特別報告者は、同年12月1〜8日の予定で日本を公式訪問することを発表した。ところが、その1カ月後、日本政府からの突然の要請で、それが延期になったことが報じられた(『東京新聞』2015年11月20付)。
 当初の予定は、もちろんケイ氏側からの一方的なものではない。日本政府と合意のうえで設定されたものだ。ホテルも航空券も手配済みだった。日本側からの延期申し入れは11月13日で、ケイ氏側は再考を促したのだが、17日に重ねて延期を求められたという。外務省の説明は「予算編成などのため万全の受け入れ態勢が取れず、日程を再調整する」ということだった。
 この特別報告者は、国連の独立した専門家として、中立の立場から政府(中央・地方)と民間(NGO、関係当事者)にインタビュー調査を行う。その後報告書をまとめ勧告を出し、当該国政府が勧告を実施するよう国連として促す役割を担っている。
 表現の自由に関して特別報告者の公式訪問は初めてだが、もちろん国連が日本の言論状況に危機感をもったことによるものだ。安倍政権についてはかねてより恥ずかしい思いをしてきているが、「国連の公式調査を2週間前にドタキャンするなんて、国際社会から見たら異例の状況」(『日刊ゲンダイ』web版、2015年11月22日付)だそうで、恥ずかしさが嵩増しした思いがした。よほど具合が悪いことがあると受け止められてもやむを得ない。
 延期要請は明らかに日本政府の判断ミスである。メディアに新たな話題を提供することになり、マイナスにしかならない憶測を呼び起こし、国際的にも注目を浴びることになった。
 イギリスに本部がある国際人権NGO「アーティクル19」が早速「日本政府の拒否に懸念を表明する」という声明を発表した。このNGOは特定秘密保護法審議中にも否決を求める声明を発表しているが、今回は「批判が高まる中で、日本政府が国際基準を順守しているかどうかを審査する国連の専門家に会いたがらないのは驚くべきことだ」とキャンセルの再考を求めている。もちろん日本のNGO、9団体も共同文書を外務省に提出して、調査の受け入れを求めた(『東京新聞』2015年11月25日付)。

 ところで、日本はどれほど危機的な状況なのか一例をあげる。特定秘密保護法が成立したのは2013年12月6日だが、その翌年5月、来日した元アメリカ国防総省高官モートン・ハルペリン氏は、特定秘密保護法についてのインタビューで次のようにこたえている。
 「21世紀に民主政府によって検討された秘密保護法のなかで最悪のものだ」
 特定秘密保護法はアメリカの関与ともいわれているが、ハルペリン氏はそれを否定しなかった。しかし「今回制定された秘密保護法は広範囲。必要な秘密保護法はもっと狭い範囲に秘密を特定するものだ。日本は、何か独自の目的があってこのような法律の制定を急いだのだろう」と、アメリカが意図したものを超えていることを指摘した(2014年5月8日、岩上安身による単独インタビュー)。
 2013年11月、ケイ氏の前任者フランク・ラ・ル氏は国会審議中の特定秘密保護法案に懸念を示す声明を発表した。ほかにも国連の人権高等弁務官、自由権規約委員会なども懸念を表明していた。2014年8月に特別報告者に任命されたケイ氏もそうした流れをうけ、日本の研究者やNGOと連絡をとりながら調査をすすめてきたのである。
 日本政府は世界のそういった動きを知っているにもかかわらず、認識が甘かった。予算編成を延期の理由にした外務省の説明など、たんなる言い訳にすぎないことは誰にでもわかる。日本政府は今年の秋を希望したというが、批判的な勧告が夏の参議院選挙の前に出されることを避けたかっただけのことである。
 ケイ氏はひるまなかったらしい。少しでも早期にと粘り強く受け入れを求めた結果、日本政府が折れて4月に実現となった。日本政府としては「4月の調査なら、報告書は春の人権理事会には間に合わず、先送りできるという読み」(『週刊現代』2016年5月7・14日号)だったらしい。

 ケイ氏は4月11日から19日まで日本に滞在し、短期間にもかかわらず国会議員をはじめ政府関係者やジャーナリスト、NGO関係者などに精力的にヒアリングしている。同氏にブリーフィングを行った日本のNGOに所属する弁護士のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」によると、「多忙を極めているご様子」だったという。そして19日の離日直前、日本外国特派員協会において暫定的な報告会見を行った。
 会見翌日の『東京新聞』(2016年4月20付)はスペースを割いて報じ、テレビ朝日『報道ステーション』も取り上げていた。ぼくは偶然読んだ『週プレNEWS』(2016年5月13日配信)の記事に興味深い内容があったので、そちらを参考にしたい。まず、ケイ氏が会見で報告したおもな内容は次の4点にまとめられている。
・政府がメディアをコントロールできる根拠となる放送法4条の廃止

・政府に代わり、放送機関を監督する機関の設立

・大手メディアだけがアクセスできる排他的な記者クラブ制度の廃止

・ 取材者と情報提供者が罰則を受ける恐れのある特定機密保護法の改正
 『週プレNEWS』の記事は触れていないが、ほかに沖縄の辺野古新基地建設予定地周辺(陸上・海上)での抗議活動に対する過剰な圧力について、ケイ氏は来日前に個人的に調査してきていること、日本政府、警察庁、海上保安庁などへ懸念を伝え、今後もこの問題を監視していくことを伝えたという。

 ところでケイ氏は、面談した多くのジャーナリストたちが共通して使った言葉に、日本の報道の自由の危機を感じたという。
 「多くのジャーナリストが、安倍政権について独立性を保った状態で報道することが難しいと話してくれました。その際、興味深かったのは、ほぼすべての人が『面談は匿名でお願いしたい』と言ったことでした」
 仮に実名で調査に応じたことが明らかになった場合、自分がどのような状況におかれるのか危ぶんでのことである。そんななかでただひとり、元経済産業省官僚の古賀茂明氏が実名も会談内容の公表も認めたうえで面談している。安倍政権から圧力があったという証言のみでは不充分なので、証拠のあるケースに絞って証言したという。
 とくに、自民党がテレビ朝日の『報道ステーション』のプロデューサー宛に出した文書で、アベノミクスの恩恵が大企業や富裕層にしか及んでいないかのようなニュースを放映したとして、名指しで抗議してきたものだ。そこには「ニュースは放送法4条に照らして、十分に意を尽くしたとは言えない」と停波の脅しまでもあって、この文書にはケイ氏も驚いていたという。
 さらに重要な「高市発言」の問題もある。ケイ氏は、政権の意向に沿わないテレビ局の停波に言及した高市早苗総務相の発言について、政府機関からも確認し、何度も高市総務相に会見を申し入れているが、国会会期中を理由に断られたと語っている。

 ところで、この暫定報告会見だが、これは当初の予定にはなかったものだったという。報告書は来年の公表に間に合いさえすれば済むはずのものである。それをケイ氏は徹夜で暫定報告書を仕上げ、滞在中に公表することにこだわった。それはすべて、安倍政権の不誠実な対応に危機感を覚えたからだという。
 「安倍政権の不誠実な対応」とはなにか。まず、訪日調査延期要請を快く思っていないことは当然である。そして高市総務相が面談を拒否し続けたことである。国連を代表しての調査である。高市総務相個人ではなく、日本政府の判断である。日本政府は明らかに対応を誤り、その結果、予期しない時点で世界に向けて報道されることになった。
 そして放送法については手厳しいコメントがつけられた。
 「(放送法を読むと)放送法そのものが政府の規制を認めている内容になっていて、非常に大きな懸念がある。過去にそれによって罰せられた事実はないとしても、やはり脅威となる。したがって(政治的な公平を定めた)放送法第4条は取り消す必要がある。政治的公平性を判断するということは非常にオープンな議論を必要とするもので、それを政府がコントロールするということであってはならない。独立した規制機関が存在しないことが原因になっているのではないか」と提言している(「logmi」 2016年4月19日付)。
 
 新聞報道だけをみていると、ただの訪日調査としかみえないのだが、その裏では国連側と日本政府間のバトルがあったことが『週プレNEWS』によって明らかにされた。
 この会見の2日後、国際NGO「国境なき記者団」が発表した2016年の「報道の自由度ランキング」が報じられ、日本は前年の61位から順位を大幅に下げて72位となった。いまの安倍政権の姿勢では順位を上げることは容易ではないだろう。
 この「報道の自由度ランキング」やケイ氏の厳しい指摘について、イギリス『ガーディアン』紙の東京特派員ジャスティン・マッカリー氏は次のように述べている。
 「(日本)政府の反応は『予想の範囲内』という感じですね。菅官房長官は例によって『報道の独立は極めて守られている』と、こうした指摘を全面的に否定しましたが、反論の根拠を具体的に示して議論するのではなく、(中略)頭ごなしに否定するだけです。(中略)こうした批判を単なる誤解だと否定するのならば、来日したケイ氏に直接会ってきちんと日本政府としての見解や認識を伝えればいいのに、高市大臣との面会さえ断ってしまうのはなぜなのでしょう? もし『正面から議論せずに放っておけば、そのうちやり過ごせるだろう…』と考えているのなら、あまりにも子供じみたやり方で、そのうち国際社会からも強い反撃を受けることになるはずです」(『週プレNEWS』2016年5月12日配信) 
 いま、ぼくらはこういう国に暮らしていることを自覚しなければならない。いまのところ安倍政権の支持率には大きく下がる傾向はみられない。 (2016/05)

<2016.5.18>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第44回:G7とオバマ大統領の広島訪問の陰で

 G7伊勢志摩サミットを1週間後にひかえた5月19日のこと、沖縄県うるま市の女性の遺体が発見され、元海兵隊員の軍属が死体遺棄容疑で逮捕された。その後、容疑者は暴行殺人を認めており、6月9日にも殺人容疑で再逮捕となるようだ。
 この事件の捜査・報道に関して、『LITERA』(2016年5月20日付)の記事から、まず在沖縄メディア記者の話を紹介する。
 「沖縄県警はすでに、事情聴取段階で相当な証拠を固めていた。ところが、県警内部で、捜査に圧力がかかっていたようなんです。安倍官邸の意向を忖度した県警上層部が『オバマ大統領の訪日前でタイミングが悪すぎる』と、言いだしていた。それで、このままだと、捜査を潰されてしまう、と危惧した現場の捜査関係者が『琉球新報』にリークしたということらしい。つまり、新聞に報道をさせて、既成事実化して、一気に逮捕に持って行こう、と」
 『琉球新報』が5月18日付朝刊で、「沖縄県警が米軍関係者を重要参考人として任意の事情聴取」と報じたのが県警のリークによるものだった。続いて『沖縄タイムス』も後追い記事を出し、本土の全国紙やテレビ局も18日の昼までにはこの情報を確認したが、逮捕が確定的になった夜になって、ようやく「米軍関係者が事情聴取」「米軍属の男が捜査線上に」と報じた。
 次のような証言がある。「万が一、参考人聴取だけで終わったら、安倍官邸、安倍応援団からどんな嫌がらせをされるかわからない、そのことを恐れたんでしょう。どの社も上からストップがかかったようです」(全国紙社会部記者)
 沖縄県警には沖縄生まれ、沖縄育ちの捜査関係者も少なくないはずだ。以前より米軍、日本政府のやり方に不満を抱いていた内部の良心的なひとたちによるリークがなかったら、この事件はどの程度オープンにされたものか、危ういところだった。

 米軍属の男性逮捕の報が流れたとき、翁長雄志[おなが たけし]知事はは訪米中で留守だった。したがって事件の対応には安慶田光男[あげだ みつお]副知事があたっている。
 5月19日、ニコルソン在沖米四軍調整官は安慶田副知事に謝罪の電話を入れたが、民間人の犯行だと強調したため、「明日も『民間人の犯行』だと責任放棄のようなことを言うなら、お引き取り願う」と副知事は怒りをあらわにしていた。20日、ニコルソン四軍調整官とエレンライク在沖米総領事らが副知事を訪ね、「会談で調整官が自身の責任を明確に認めた上で謝罪したため安慶田氏も受け入れたが、舞台裏は一触即発だった」という(『沖縄タイムス』電子版、同年5月23日付)。
 中谷元防衛相と在日米軍のドーラン司令官との会談で、司令官は「非常に心が痛ましく、大変寂しく思う事件だ」と述べたものの、逮捕された米軍属の男について「分かっていることは現役の米軍の軍人ではないということ、国防総省の軍属、職員ではないということ、また米軍に雇用されている人物ではない」などと説明し、自らの責任を回避するような発言もあった(『琉球新報』電子版、同年5月20日付)。
 アメリカ国防総省のデービス報道部長は、記者会見で次のように強調した。「米軍人でも国防総省の軍属でもなかった。米軍施設にサービスを提供する会社で働いていた人物で、地位協定上の地位の資格を与えられるべきではなかった」「繰り返すが、民間契約業者で地位協定上の地位を持つべき人物ではない」。国防総省のクック報道官も「契約業者であり、軍属ではない」と指摘し、米軍と容疑者の関わりの薄さを強調している。
 報道からみえてくるアメリカ側の言葉は、他人事のようだった。容疑者が米国籍であることを否定してはいないが、この事件から距離をおきたがっているように感じられた。そう思っていたところ、21日になってカーター国防長官は、中谷防衛相との電話会談で、再発防止に向けて「できるすべてのことをする」と強調したうえで、「日本の法体系で対処されることを望む」と述べている。このままでは事態は悪化すると懸念したのか、少しは誠意をみせたというところであろうか。
 そのあたりの事情について、『琉球新報』電子版(同年5月25日付)の「容疑者”民間人”を強調 米政府、事態の収拾急ぐ」が詳しく紹介してくれていた。
 先の国防長官の「日本の法体系で対処されることを望む」という言葉にアメリカの誠意を感じたぼくは、ただのお人好しだった。容疑者は民間人であり、日米地位協定の適用外だから「日本の法体系で」と言っているのにすぎないのである。
 容疑者は日米地位協定上の地位ではないということは、軍人でも軍属でもない。ただのアメリカ国籍の民間人による犯罪であり、沖縄県側が主張する「事件は米軍基地があるから起きた」ことにはならない。そして日米地位協定とは無関係の事案となる。
 もし仮に軍人や軍属による事件となると、米軍基地問題に直結してくる。辺野古の新基地建設計画も頓挫し、沖縄の全米軍基地撤去運動へのひろがり、さらに影響は日本全国の米軍基地にまでもおよぶ。日米関係筋はこのことをもっとも恐れたのである。
 今回は容疑者の確保が、たまたま基地の外で日本側によって行われている。もし基地内に逃げ込んでいたとしたら、アメリカ側は容疑者を日本側に引き渡したであろうか。ぼくの推測になるが、日米地位協定を盾に引き渡すことはなかったかも知れない。日米地位協定の「合衆国軍隊の構成員および軍属ならびにそれらの家族」という文言は、そのくらい曖昧なものではないだろうか。

 しかし、今回のアメリカ側のやり方は必ずしもうまくいったとは思えない。どのような立場であれ、容疑者はあくまでも米軍基地に出入りし、基地内で仕事をしていた。どう言いつくろってみたところで、「事件は米軍基地があるから起きた」という印象を完全にぬぐい去ることはできないのだ。
 23日に安倍首相と会談した翁長知事は、日米地位協定の見直しと来日するオバマ大統領との面談を申し入れたが、まったく無視された。アメリカは米軍基地を受け入れている国とそれぞれ地位協定を結んでいるが、日米地位協定はもっとも不平等なものである。これまでどおり米軍基地が残るのであれば、日米地位協定を改定する必要があるだろう。
 イタリア、ドイツ、フィリピン、アフガンとも、少しでも平等なものにしようと強大国アメリカとの困難な改定交渉をへて現在の地位協定がある。もっとも劣悪だった韓国はようやく日本並みとなったほか、イラク占領終結後も駐留を維持しようとしたアメリカは交渉に失敗し全基地を撤退させた。沖縄の事件は地位協定の見直しを切り出すよい機会だったにもかかわらず、日本政府はまったくその動きを見せることはなかった。しかし共同通信による最新の世論調査では、日米地位協定を改定すべきという回答が71.0%となったいま、翁長知事はもう一度大きな声をあげてよいはずだ。世論が後押ししてくれる。

 来日したオバマ大統領と安倍首相の日米首脳会談は25日夜に行われた。沖縄の事件のため、日本側の要請で1日前倒しされたという。共同記者会見で、安倍首相は開口一番「日本の総理大臣として断固抗議しました」と述べ、沖縄の事件の対応に多くの時間を割いたと意気込みを見せた。しかしながら、続いてのオバマ大統領のスピーチは冷めたものだった。
 一般的な外交問題から話し始め、あたかも事件は最重要の問題ではないことを主張しているかのようだった。彼にとって、沖縄の問題への対応は他の者に任せておけば済む程度のものでしかない。そして「ちょっと、おかしいだろう?」と思い始めたころ、「沖縄で起きた悲劇的な出来事について話し、心からの哀悼と遺憾の意を表明した。アメリカとしては日本の司法制度のもとで、きちんと裁かれるよう、捜査に全面的に協力をすると申し上げた」と、さらりと触れて次の話題に移っていった。そっけない印象のみがのこった。
 翁長知事が直後の記者会見で憤りをあらわにしたのは当然である。知事の要望にはゼロ回答だったのだから。ぼくは、オバマ大統領みずから知事との面談を求め、すでに知事は伊勢に行っているのではないかと思っていたのだが、これも甘かったようだ。政権寄りの佐藤優氏さえ「首相官邸が外務省に対して『沖縄県知事とオバマ大統領が面会する時間を二十分作れ』と指示すれば、(中略)時間を捻出することは可能だ。安倍政権の冷酷な対応に、沖縄の反発は沸点に近づきつつある。このままでは、在沖全米軍基地閉鎖要求が沖縄の民意になる」と書かざるを得なかった(『東京新聞』同年5月27日付)。
 アメリカ側はこのような展開をもっとも恐れていたはずではなかったか。事態は次第に深刻化していく。沖縄県議会は海兵隊の撤退の要求を決議した。初めてのことである。菅義衛[よしひで]官房長官は「犯罪抑止対策推進チーム」の初会合をたった6分間開き、街路灯などの設置を検討するという。翁長知事は「あの娘さんが襲われた状況を見たら、街路灯でどうやって防ぐんだ」と痛烈に皮肉った(『沖縄タイムス』同年5月27日付)。

 5月27日、オバマ大統領は広島平和記念公園の演台に立った。スピーチは「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました」と始まった。あたかも自然に死神が降りてきたかのようではないか。いったい誰が落としたのか。長いスピーチには「アメリカは新たな核兵器開発をやめる」という言葉もなければ、いまも中東で空爆を行っている当事者でありながら「戦争に対する考え方を変える必要があります」など、違和感あふれるものだった。それでも各メディアは沸き返った。沖縄はまったく忘れ去られてしまっていた。
 英国人ジャーナリストのジョン・ミッチェル氏が、情報公開請求で入手した在沖縄米海兵隊が新任兵士を対象に行う研修用に作成された資料を明らかにした。ミッチェル氏は「米軍が沖縄の人々を見下していることを示しており、新任兵士の認識や態度にも悪影響を与えかねない」と指摘した(『毎日新聞』同年5月29日付)。
 そしてここに、辛淑玉[しん すご]氏の記述を紹介する。「10年ほど前、米国で軍人たちにインタビューしたことがある。沖縄での女性への暴行や殺害について聞くと、『アメリカではできないことをしたいんだよ』『自分たちは、沖縄では何をしても裁かれないことを知っている。だって、パスポートを持って入るのではないからね』と、あっけらかんと語っていた」(『琉球新報』同年5月26日付)
 彼らは入国審査を受けることなく日本国内の米軍基地に直接降り立ち、自由に日本国内を行動することができる。これらの記事をみると、米兵や軍属によるどんな事件が起きても不思議ではない。そんな米軍基地外での飲酒禁止命令下の6月5日、米兵同士が基地外で酒を呑み飲酒運転事故で逮捕された。今度は飲酒全面禁止だというが、事故や事件はまた起きる。もはや米軍基地をたたんでもらうしかないのだ。
 6月19日には、沖縄で8万人規模の抗議集会が開催予定だ。日米地位協定改定、辺野古新基地建設断念の要求は当然だが、全米軍基地閉鎖要求、そして沖縄独立の声も一段と高まる可能性もある。 (2016/06)

<2016.6.8>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第45回:バーニー・サンダース氏の闘い

 参議院議員選挙が終わった。テレビの開票特番を観ていたところ、最初の当選確実に自民党の三原じゅん子氏の名前が出てイヤな予感がしたのだが、まさにイヤな結果に終わった。ぼくが入れた候補者は、選挙区・比例とも落選だった。
 そんな選挙戦の最中だったが、小さな新聞記事に目がとまった。
 アメリカの大統領選挙の民主党予備選で、候補指名獲得を確実にしたヒラリー・クリントン氏が支持者向けに野外ステージでコンサートを開いた。スティービー・ワンダー氏やリッキー・マーティン氏らが歌い、支援を呼びかけたが、最前列の豪華料理付きの特別席は5,000ドル(約54万円)だったという。同じ日にバーニー・サンダース候補が芝生の上で開いたコンサートは、入場無料だった(『東京新聞』2016年6月30日付、夕刊)。
 同じ民主党でありながらも、両候補の立つ位置の違いがよく表現された記事だった。少し前の5月のことになるが、「空席の国会演説 バーニー・サンダース」という動画をネットで観た。いまから25年前の、日本語の字幕がついた4分半ほどの映像である。
 1990年8月のイラクによるクウェート軍事侵攻に対して、翌年1月17日、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領は多国籍軍によるイラク空爆(「沙漠の嵐作戦」)を開始した。当時バーモント州選出の下院議員だったサンダース氏はその翌日(1991年1月18日)、国会で抗議のための演説を行った。
 当時サンダース氏は50歳。政治家としてはバーモント州最大の都市バーリントン市長を2期経験してきているが、前年の1990年に無所属で下院議員に初当選したばかりだった。

「私たちは間違いを犯してはいけない。今日は悲劇の日だ。人類にとって、イラクと米国の人々にとって、そして国際機関である国連にとって、さらに地球と子どもたちの未来にとって悲劇の日だ」と、その演説は始まる。

 下院本会議場でゆっくり語りかけるサンダース氏。演台後方の議長席には数人の人影が見える。カメラが大きく引くと議員席はすべて空席で、サンダース氏の姿が小さく見える。議員たちはみなボイコットしているのだ。いや、そうではなかった。たったひとりの議員が、紙を手にしてサンダース氏の熱弁に聴き入っている。

「昨夜〈解き放たれたもの〉は、長期的な視野からみて、いつか中東において米国に大きな損害をもたらすと確信している。明らかに、米国と連合国はこの戦争に勝つだろう。しかし、これによって引き起こされる死と崩壊は、途上国の人々、とりわけ中東の人々から忘れられる日はすぐには来ないだろう。
 私がとくに恐れるのは、戦争および米国軍の甚大な武力行使が、この複雑で悲惨な中東危機の解決策として、選択されてしまったことだ。いつか私たちは、この決断を後悔する日が来る。この地域にこれからも何年にもわたってあらゆる戦争を引き起こすきっかけが、今つくられようとしている」 
「戦争が始まってしまった今、ただちに行うべきことは、米国ができるあらゆる手段を使って、不必要な流血を阻止し、この国の兵士たちを生きて健康な状態で母国に戻すことだ。
 議員諸君に呼びかけたい。大統領にただちに空爆を停止することを求めよう。そして、国連総長はただちにイラクへ行き、クウェートからの撤退を求める話し合いの開始を要求しよう。私たちのできることすべてを行い、不必要な流血を回避しよう。以上」

 ほかに貧困層や高齢者の救済にあてるべき財源を戦争に投ずることの愚を非難している。静かだが、力強い演説である。アメリカという国は、無所属の一年生議員にも抗議演説を行う場を与え、その映像はしっかり保管されていた。このとき多くの議員はボイコットしたが、25年前のこの演説を、いま世界中のひとびとが何回も観て、ぼくと同様に感動を覚えたにちがいない。彼は本物だと。
 世界の混乱の一端は間違いなくここから始まった。もし、サンダース氏の提案が活かされていたら、2001年9月のアメリカ同時多発テロはなかった。2003年のイラク戦争はどうだろうか。あのイスラム国は存在したのだろうか。ヨーロッパに押し寄せる難民問題も、バングラデシュのテロ事件も起きたのだろうか。バラク・オバマ大統領はもう少し楽な政権運営ができたのかも知れない。

 今回のアメリカの大統領選挙では、共和党の候補指名を確実にしたドナルド・トランプ氏の言動に多くの注目が集まっているが、民主党候補のサンダース氏とヒラリー・クリントン氏の争いも話題となった。しかしながら、すでにクリントン氏の候補指名が確実となり、最終的に彼女が大統領として有力視されている。
 クリントン氏は懸案となっていた私用メール問題では訴追を免れたが、国民の半数は大統領としての資質に疑問を抱いていて、大統領となってからもこの問題が再浮上することもありうる。またつぎのような論文も目にすることができる。「大胆な野望を掲げるイスラム国は、奥行きと能力を備えた集団だ。われわれはこの集団の勢いを食い止め、背骨を折らねばならない。われわれの目的をイスラム国の抑止や封じ込めではなく、彼らを打倒し、破壊することに据える必要がある」(『FOREIGN AFFAIRS』2016年1月号掲載論文)。
 安倍晋三首相も同様のスピーチを行っていたが、これはイスラム国への宣戦布告にほかならない。第三次世界大戦への拡大を不安視する識者もいる。安倍首相はヒラリー新大統領が求める軍事面での協力に積極的に応じ、米軍と自衛隊の一体化は一気にすすめられる。もちろん、辺野古新基地建設や高江の基地は沖縄の意思を踏み潰すかのように強引にすすめられる。

 ところで、民主党候補指名争いで事実上敗れたサンダース氏だが、容易に撤退を表明することはなかった。「バーニー・サンダース上院議員(74)は29日、支持者向けのメールで、7月下旬の党大会で採択される政策綱領に、環太平洋連携協定(TPP)の承認採決阻止を明記するよう要求していることを明らかにした。受け入れられなければ、党大会まで選挙戦から撤退せず、大会で自身の考えを訴える意向を示した」(『時事ドットコム』同年6月30日付)
 民主党全国大会は、7月25〜28日にフィラデルフィアで開催される予定で、民主党の正副大統領の指名候補が選出されることになる。クリントン氏陣営は、サンダース氏が無条件でクリントン氏を支持してくれることを望んでいるが、こういったデータがある。
「サンダース氏が獲得した票、勝利した予備選、そして党大会に連れてくる代議員の数は、民主党内におけるここ数十年の反主流派候補の誰よりも多いのだ」「オバマ政権下とは異なる方向に米国が進むことを望む有権者が60%もいる。オバマ大統領の政策が継続されることを望む者は全体の3分の1しかいない」(『ロイター』2016年5月18日付)
 そして6月末、英文のツイッターに添付されていたという写真が紹介されていた。サンダース氏支持者があふれる会場で、Tシャツ姿の女性が「RUN BERNIE RUN」と書かれたプラカードを両手で大きく掲げている。その写真を紹介している日本語のサイトでは「走るんだ、バーニー、走るんだ!」と翻訳されていた。さらに「America needs YOU to Run![アメリカはあなたの出馬を必要としている]」という英文のツイッターも紹介されていた。

 サンダース氏の訴えをクリントン氏はみずからの政策に反映させ、サンダース氏支持票を取り込むしかないのだが、政策綱領に「TPPの議会採決阻止」を盛り込むことを拒否した。そして、7月12日に開催されたクリントン氏の集会に登場したサンダース氏は、クリントン氏支持を正式に表明した。
 すでにサンダース氏の主張のいくつかは政策綱領に取り込まれており、党内が結束してトランプ氏との闘いに望むべきと判断したという。当然だが、支持者の一部からはブーイングも出ている(『BBCニュース』電子版、2016年7月13日付)。
 サンダース氏の事実上の撤退表明である。氏がこだわった「TPPの議会採決阻止」は、12日にまとめられた共和党側の政策綱領に含まれていないことから、大統領となったクリントン氏が取り上げようとしても、議会承認が得られないことになる。結果的にサンダース氏の要求の多くは通ったことになる。
 7月末の民主党全国大会でなにかが起こることを期待したいところだが、おそらくなにもないだろう。サンダース氏の闘いはこれで終わったのかも知れない。しかし今回の予備選では、サンダース氏はクリントン新大統領に対する影響力のようなものを手にしたことは間違いないだろう。クリントン氏が強硬姿勢に走りだしそうなときには、盾となって食い止めてほしいものである。
 日本の米軍基地問題も変わることはない。安倍政権も安泰だ。参議院議員選挙投開票日の翌朝、機動隊員の乗ったバス3台、工事業者のダンプ、重機が沖縄、東村高江の北部訓練場メインゲート前に集結してヘリパッド工事の準備に取りかかったという。選挙が終わったと思ったらいきなりである。19日にはわずか150人の村に500人の機動隊員を投入するという。沖縄選挙区で当選した伊波洋一氏の活躍にも期待したいが、必死の思いで立ち上がった小林節氏を国会に送り込めないこの国は、もう終わってしまったように思う。 (2016/07)

<2016.7.14>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第46回:『帰ってきたヒトラー』

 6月上旬のこと、ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』(2015年)の試写会に出かけた。映画の試写会に行くなど滅多にないことだが、比較的よいところに席を確保して、後ろを見上げてみて驚いた。都心にある1,000人以上も入る会場なのだが、ほぼ満員になるくらいのチケットを配ったようだ。
 映画の原作は、2012年にドイツで発表され国内で200万部を売り上げた小説で、約41カ国で翻訳されている。日本では2014年に河出書房新社から出版され、16年には文庫化された。
 ところで、アドルフ・ヒトラーは1945年4月30日に、ベルリンの総統地下壕の自室で自殺した。本人の指示に従って遺体は焼却されたが、焼却が不完全なままソ連軍に回収され、秘密裡に埋葬された。のち1970年に掘り返されて充分に焼却されたうえ、北海へと注ぐエルベ川に散骨されている。これが史実とされている。

 映画はヒトラーが目覚めるシーンからはじまる。2014年のベルリン市内。自殺した総統地下壕跡地、いまは空き地となっているところである。服装は当時の軍服のままでだいぶ汚れ、自殺直前からの記憶を失っている。立ち上がって総統地下壕に行こうとするが、すれ違うひとが自分を総統と認識していないことに違和感を覚える。近くのキオスクの主人から、いまは2014年であることを聞き、ナチス・ドイツの崩壊、戦争の終結……その衝撃から倒れ込む。
 ヒトラーはキオスクの居候となって総統服のままで働きはじめるが、テレビや新聞を通して現代の政治・社会について充分に知識を蓄える。そんな折、キオスクの主人からテレビ番組製作会社の男を紹介され、スカウトされる。テレビマンは変わったモノマネ芸人と思ったのだ。
 ヒトラーをテレビ局に売り込もうと考えたテレビマンは、総統服の彼を車に乗せてドイツ中をまわり、ドキュメンタリー作品にまとめる。ヒトラーが街のひとびとから生活振りや政治への不満を聞きだし、実際の政治家やネオナチの事務所にも押しかけるさまなどをビデオに収めてまわった。念のために断っておくが、この部分は出演者にも了解のサインをもらったうえで撮影された真のドキュメンタリーであって、原作にはないものだ。
 こうした撮影がテレビや新聞でも話題となり、本名、年齢など、すべて非公開の「まさかの芸人」として、テレビのバラエティ番組に出演する。ヒトラーは多くの社会問題を取り上げて政府を激しく攻撃し、聴衆を煽動する。その堂々と自信に満ちた演説は評判となり、次第に聴衆の心を捉えはじめる。一躍人気者となると同時に、彼はテレビ、インターネットが「使えるツール」であることにも気づいていく。
 はたして、彼は「不謹慎なモノマネ芸人」なのか、はたまた「妄想狂のビッグマウス」なのか。本人はいたって真面目。「誰のマネもしていない。本人である」と繰り返すのみだが、彼を本物のヒトラーと思っている者など誰もいない。しかし彼をスカウトしたテレビマンは、ある機会にユダヤ人に対する憎悪を剥き出しにした瞬間を見て、彼が本物のヒトラーであることを確信し驚愕する。周囲の者にそのことを訴えるが、誰にも信じてもらえず精神病棟へ隔離される。
 自分の信奉者を集めはじめたヒトラーは自らの出番がきたことを確信し、「もう私は失敗は繰り返さない」とほくそ笑む。これがおよそのストーリーである。

 この作品はパロディ映画であることはわかっているので、多くのひとは笑いながら観はじめることになる。しかし途中でふと疑問が湧く。「笑っていていいのかな?」と。そしてシーンが変わるごとに、ここは笑っていいところなのかどうか確認を繰り返すことになる。そうなるともう笑えない。黙りこくってスクリーンを見つめ、その意味するところを探る作業に取りかかる。
 日本で暮らす者にとって厄介なのが、安倍晋三首相の存在である。ヒトラー髯が描き込まれた安倍首相のパロディ写真など、ネット上にあふれている。安倍首相が目指す方向もヒトラーにきわめて近いことくらい、誰でもご存じのこと。当然ながら、スクリーン上のヒトラーの言動に安倍首相が何度も重なってくる。笑うどころではない。そういう意味ではじつに恐ろしい映画である。
 「われわれはヒトラーを笑い飛ばしたい、この映画もある所まではそうです。しかし、ドイツの観衆は最後は沈黙でした。まだ七十年、ヒトラーを克服できていないと思います」
 これはヒトラーを演じた俳優オリヴァー・マスッチ氏が『東京新聞』(2016年6月12日付、夕刊)のインタビューに答えた言葉だが、日本のぼくらはドイツの観衆とは受け止め方が異なるのだが、同じように沈黙してしまう。
 マスッチ氏は舞台中心の仕事をやってきたたこともあって無名の実力派といわれているらしいが、現在48歳。ぼくは彼の演技力に息を呑み、眼は釘付けになってしまった。とくに演説シーンは見事だった。間の取り方、抑揚の付け方、堂々たる存在感、完璧だった。
 マスッチ氏はヒトラーの総統服で街へと繰り出したが、そのドキュメンタリー部分の撮影のために380時間も費やした。議論を仕掛けてくるひとがいることを想定して、ヒトラーの約500もの演説を聴き、その考え方を頭にたたき込んだという。そして「(ヒトラーの)スター並みの人気にがくぜんとしたが、カメラがいる前でも外国人排斥の発言を堂々とする、右傾化の進行も肌で感じた」とも述べている。
 映画が終わって席を立ちながら、この映画の続編に想いをめぐらせた。しかし、それはいまの日本にほかならないことに気づいて落胆した。その間、1分も要しなかった。日本のマスメディアはしっかりコントロールされ、右傾化の進行どころではない、すでにファシズムの真っ只中にあるのではなかろうか。マスッチ氏がインタビューの終わりで述べた次の言葉を噛み締めなくてはならない。
 「ヒトラーは邪悪なファシストだが、彼を選んだのは国民。民主主義は壊れやすい。だから、自分は誰を選ぶのかをよく見極めるべきなのです」

 日本の憲法改正に関連してナチス・ドイツについて、麻生太郎副総理兼財務大臣が次のように発言したことはよく知られている。
 「民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
 「ナチス憲法」「静かに」「気がついたら」など不正確な部分があるが、それについてはのちに触れる。これは2013年7月29日、国家基本問題研究所月例研究会での発言である。数日後に麻生氏は撤回しているが、櫻井よし子氏が理事長を務める身内の集まりで気が緩んだのであろう。つい本音が出てしまった。安倍首相の周辺、いわゆるブレーンといわれるひとびとの集まりでは日常会話のように話されていると思わせる発言だった。
 この麻生氏はいまだに政権のナンバーツーとして居座りつづけ、安倍内閣の支持率は50%を超えて安定しており、安倍(自民党)総裁の任期延長論まで聞こえてくる。そして先の参院選・都知事選の結果は、こういったひとびとに今後の政治の舵取りを委ねたこと示している。ぼくらは自ら民主主義を壊していることに気づかなければならない。
 年内にも緊急事態条項を憲法に盛り込む審議がはじまりそうな気配だが、これが麻生氏のいうナチス憲法である。ナチス憲法と呼ばれるものは存在しない。ナチスが5年間有効の時限立法「全権委任法」を可決させて、ワイマール憲法を骨抜きにしてしまったのだ。それも、ナチス突撃隊が議会を取り囲み、否決したら武力に訴える構えをみせながらのことである。
 衆参両院で改憲勢力が3分の2以上の議席を占めている現状で緊急事態条項案が提出されれば、国会通過は容易だ。国民投票は有効投票総数の過半数だから、いまの日本では、成立はそれほど難しいことではない。この条項1本で憲法は無効化されてしまうことになる。

 『東京新聞』(2016年8月19日付)に、環境広告会社代表マエキタミヤコ氏の論考が掲載されている。マエキタ氏が来日したドイツ連邦議会のエネルギー部長に、ドイツの脱原発が可能になった事情を聞いたところ、「民主主義が育ったから。コンフォーミスト教育をやめた成果だ」と答えたという。コンフォーミストとは、順応者とか従う人という意味で、自分の意見を言わずに権力者に従う人などを指す。つまり「コンフォーミスト教育」によって、そうした人間が生み出されるのだ。そして、「ドイツは、ヒトラーを生み出した原因の一つにコンフォーミスト教育があったと考え、戦後はそれをやめたという」と記している。
 戦後のドイツは、安倍首相たちのようなひとびとが台頭してくることを恐れ、そういう芽を早々に摘み取ってしまっていた。戦後のドイツは大きく転換していたことを初めて知ったように思う。いまの日本の現状をみると、ぼくは暗澹としてしまうのである。 (2016/08)

<2016.8.20>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第47回:沖縄の抵抗は、まだつづく

 7月10日は参議院議員選挙の投開票日だった。自民党を中心とする改憲・加憲に前向きな勢力は、憲法改正発議に必要な3分の2(162議席)を確保し、安倍晋三政権は勢いを増した。
 そんななかで、沖縄選挙区はまったく異なる結果となった。新人の伊波洋一氏(オール沖縄)が、現職大臣でもある島尻安伊子[あいこ]氏(自民党)に10万6,000票以上の大差をつけて当選した。これによって「オール沖縄」勢力が、参議院沖縄選挙区の2議席(非改選の1議席との合計)と衆議院小選挙区の4議席の計6議席を独占することになった。沖縄県選出の自民党の国会議員は2014年の衆議院選で比例復活した4人のみとなり、沖縄県は安倍政権がすすめる憲法改正や辺野古新基地建設を拒否する県となった。
 ちなみに島尻氏は、前回の選挙では普天間飛行場の県外移設を掲げて当選したが、今回はそれを撤回したことが大きく響いたようだ。沖縄の民意は明らかである。

 選挙が終わってホッとしたのも束の間だった。7月11日は朝から、沖縄のひとびとからの緊急事態を告げるツイッターを見て、「まさか?」と驚かされた。
 いま沖縄の東村[ひがしそん]高江では、米軍北部訓練場の新たなヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事が行われている。ヘリコプターといっているが実際に発着するのはオスプレイである。豊かな山原[やんばる]の森林を伐採し、地元住民の静かな暮らしを脅かすような施設工事のため、当然大きな反対運動も起きている。
 選挙の間は工事を中断していたが、11日午前6時、住民や支援者がまばらな時間帯をねらって機動隊員100人、警備員20人を配備して、メインゲート付近で工事準備作業がはじまった。反対派市民たちは「参院選の翌日とは。これが政府のやり方か」と絶句した(『琉球新報』電子版、2016年7月12日付)。
 その機動隊員も18日には練馬、足立、品川、柏、久留米など各地のナンバーの機動隊車両が確認され、150人ほどが暮らす集落に、全国から500人もの機動隊員が掻き集められてきた。1879年(明治12)3月、明治政府が首里城の明け渡しを求めて送り込んだ熊本鎮台分遣隊は300〜400人といわれているが、安倍政権はいったいどういうつもりなのか。
 建設予定地の県道70号線に面した通称N1ゲート前には、10年前から反対派市民によって2台の街宣車が横付けにされ、テントも設置されている。7月21日には1,600人が集まり、そこで緊急抗議集会が行われていた。そして22日未明には着工という情報が流れ、深夜12時の再結集が呼びかけられた。22日早朝5時半過ぎ、北から南からなだれ込んできた数百人の機動隊員に現場は埋め尽くされ、座り込んでいた市民たちのゴボウ抜きがはじまった。
 現場や動画を観たひとたちからのツイッターは、こんな様子である。
 「メディアは『機動隊と反対派が激しくもみあった』と報じていますが、現場で私が見た限りでは、住民たちが無抵抗だったのに対して、機動隊が一方的に首を絞めるなどの暴力を振るって無抵抗の住民を排除していました」
 「高江の昨日の様子の動画を見た。正視できないような内容だった。ショックです。 気を失って立てない女性を引きずる。げんこつで顔を何回も殴る。 これは。 どうすればいいのだろう」
 街宣車に最後までひとりのこった山城博治沖縄平和運動センター議長には、機動隊員もさすがに手を出せなかった。しかし、これ以上のけが人の増加を恐れた山城氏は10時半頃、「機動隊の暴力にこれ以上さらされたくないので、今日はこれでここを出ます」と一時撤退を宣言して街宣車を降り、次のようなコメントでインタビューに応じた。
 「乱闘の中での警察の暴力には 本当に心が折れそうになりました。そこまで暴力を振るうことができるのか。怒りがいっぱいというよりも、恐ろしさがあった。街宣車を見上げる仲間たちの姿に胸が張り裂けそうになりました」
 当日、街宣車の上にいた市民のひとり、作家の目取真俊[めどるま しゅん]氏のブログには次のように記されている。
 「機動隊員に両腕をつかまれて移動するとき、N1ゲートの前を通った。あふれかえる機動隊や私服刑事の数は安倍政権の沖縄に対する姿勢を示している。それは彼らが沖縄の民衆運動をどれだけ恐れているかの証でもある。ヤンバルの小さな集落に、全国から500名規模の機動隊員を送り込まなければ、ゲートを一つ開くことさえできなかったのだ」

 同じ7月22日午前9時、辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しに対する是正指示に沖縄県が従わないとして、国は新たな違法確認訴訟を起こした。
 沖縄県による埋め立て承認取り消しに関する代執行訴訟では、福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎[たみや としろう]裁判長)は1月29日に和解を勧告している。3月4日、やむなく双方とも和解を受け入れ、国は訴訟を取り下げて工事を中断したうえで県とあらためて協議することを約束した。
 しかし和解案を受け入れたはずの国は、わずか3日後の3月7日、埋め立て承認取り消しを違法として、県に対して是正指示を出した。菅義偉[すが よしひで]官房長官は「是正指示は裁判所の和解勧告に従って出した。お互いが確認したわけだから当然のことだ」(『沖縄タイムス』電子版、同年3月8日付)と述べている。たしかに和解条項に添った手続きの一環であることに間違いはないが、協議を避けた国の姿勢は明らかだ。地元からは「あまりに早すぎる」「政府に話し合う気はあるのか」と疑問視する声が上がった(『東京新聞』同年3月8日付)。
 これをうけて沖縄県は、国地方係争処理委員会に国の是正指示の適法性を問う審査請求を行い、同委員会は6月17日になって、それらが違法かどうか判断しないという結論を出す。
 同委員会の小早川光郎委員長は「国と県は米軍普天間飛行場の返還という共通の目標の実現に向けて真摯に協議し、双方がそれぞれ納得できる結果を導き出す努力することが問題解決に向けての最善の道である」と述べ、双方が再協議するべきとした(『琉球新報』電子版、2016年6月18日付)。裁判所も同委員会も、国に有利な判断を示すことはできなかったのだ。
 和解条項に従えば同委員会が判断を示したのち、県が国を提訴することになるのだが、同委員会が判断を避けたため、県は協議を優先し提訴しない方針とした。国は和解を受け入れた以上、工事を再開できない状態がつづくことになる。
 早く工事を再開させたい国は追い込まれ、菅官房長官は「沖縄県が是正指示の取り消しを求める訴訟を提訴すべきだとの考えを示した」(『産経新聞』電子版、同年6月20日付)と促すが、県は動かない。国はしびれを切らし、7月22日、是正指示に応じない沖縄県を違法として再び提訴に踏み切ったのである。しかも、それは高江に数百人の機動隊員を送り込み、ヘリパッド建設工事工事着手と同時であった。
 沖縄県の対応は裁判所や国地方係争処理委員会の意向に添ったものである。それにもかかわらず協議を避け、再び法廷闘争に持ち込もうとする国の姿勢は強引、強硬である。県幹部は「いろいろなものを同時に仕掛け、県を混乱させるつもりなのか」「国の行動は常軌を逸し、冷静さを失っている。激しい混乱は避けられないと分かっているのか」と憤りを隠さない(『琉球新報』電子版、同年7月22日付)。

 違法確認訴訟の担当は、またもや多見谷裁判長である。口頭弁論は8月5日、19日と2回行われた。翁長雄志[おなが たけし]知事の意見陳述は認めたものの、県側が求めた8人の承認申請を却下し、8月19日に結審、9月16日の判決言い渡しを決めた。提訴からわずか2カ月、異例の早期結審・早期判決という。
 『沖縄タイムス』電子版(同年8月20日付)の「社説」の見出しには「『辺野古訴訟』結審 異様な裁判浮き彫りに」とある。国側代理人は翁長知事に「最高裁の判断で違法だと確定した場合に是正するのは当然だという理解でいいか」と繰り返し尋ね、多見谷裁判長も「県が負けて最高裁で確定したら取り消し処分を取り消すか」と尋ねているのだ。そんなやりとりについて「社説」は次のように記している。
 「審理中の訴訟について、県が敗訴することを前提に最高裁における確定判決に従うかどうかを質問するのは裁判所の矩[のり]を超えている。多見谷裁判長と国側代理人の示し合わせたような尋問をみると、3月に成立した国と県の和解は、国への助け舟で仕組まれたものだったのではないかとの疑念が拭えない」
 ここに登場する国側代理人とは、4月の記事にも登場した定塚誠法務省訟務局長であり、多見谷裁判長とは以前、同じ訴訟の地裁、高裁の裁判官を務めた関係にあったほか、辺野古代執行訴訟の和解条項の文案作成にあたって連絡を取り合っていた疑念のある間柄である。「社説」はさらに次のように記す。
 「本来、裁判所は両当事者から等距離の第三者でなければならない。国の代理人が仲間の裁判官という構図で裁判が進行しているのだ」

 ここで舞台はアメリカに移る。8月13日、カリフォルニア州バークレー市では、全米120の支部をもつ退役軍人らの平和団体「ベテランズ・フォー・ピース(VFP)」の年次総会が開催された。そこで辺野古新基地建設と、高江ヘリパッド新設の中止、オスプレイ全機撤収を求める緊急非難決議案を全会一致で可決された(『沖縄タイムス』電子版、同年8月15日付)。
 決議可決をうけて、バリー・ラデンドルフ会長は「米軍基地を巡る強制的な工事着工は、日米両政府が現在も沖縄の人々を差別的な支配下に置いていることを示している。こうした状況を恥じる琉球沖縄国際支部のメンバーらが強い怒りを感じるとともに、当事者としての自らの責任を果たそうと提案し、採択された。われわれもできることに全力で取り組んでいきたい」と述べているが、高江の現場では早速動きがあったようだ。
 8月末以降、アメリカの退役軍人たちが高江や嘉手納基地のゲート前で市民とともに座り込み、機動隊員を相手に睨み合いに参加している。まだ10人未満の動きだが、大きなひろがりに発展していくことを期待したい。
 さらに新たな動きだが、高江のある東村の伊集[いじゅ]盛久村長が、ヘリパッド建設予定地につながる2本の村道の工事車両通行を拒否する姿勢をあらわにしてきている(『沖縄タイムス』電子版、同年8月25日付)。工事の進捗状況に直接影響を与えるため、稲田朋美防衛相が村長と直談判に向かうという情報が入った。なお、高江の抵抗はいまも連日つづいている。
 終わりに、8月5日の口頭弁論で翁長知事が述べた意見陳述から引いておこう。
 「このような違法な国の関与により、すべてが国の意向で決められるようになれば、地方自治は死に、日本の未来に拭いがたい禍根を残すことになる」
 違憲確認訴訟の高裁判決が下される9月16日はもうすぐである。最高裁判決は年内ともいわれているが、沖縄県が敗訴となれば県は判決に従うことになるが、司法は間違いなく信頼を失う。また、これで新基地建設を阻止する法的手段がなくなったということでもないという。今回の裁判も、手立てのひとつにすぎないのだそうだ(『澤藤統一郎の憲法日記』同年8月20日付)。 (2016/09)

<2016.9.9>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第48回:怖いものなしの安倍政権

 『時事ドットコム』(2016年9月25日付)にあった、「官邸、宮内庁にてこ入れ=お気持ち表明で不満」という見出しの記事に驚いた。「お気持ち表明」とは言うまでもなく、8月8日に放映された、天皇による生前退位の意向表明のことである。
 その件に関して、宮内庁長官の風岡典之氏が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格するという内容だが、「天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ」と書かれている。
 宮内庁幹部の異動は通例では春で、2017年3月末まで務めるとみられていた風岡氏の退任が早まったことになる。政府関係者は「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」とまで語っている。
 さらに、天皇の生前退位の意向が官邸に伝えられて以降、杉田和博官房副長官らは、退位の自由は憲法上認められていないとの判断から、別の負担軽減策の検討を進めていたという。天皇のお気持ち表明の動きが表面化したのはそうしたさなかのことで、天皇に思いとどまらせるべき宮内庁は、対応を誤ったというのが官邸の判断である。そこで宮内庁長官の責任を問い、「落とし前」をつけさせたのだ。更迭という語はないが、事実上同様の処分であろう。

 他の新聞・通信社には時事通信のような論調の記事はまったくみられない。共同通信では退任する風岡氏が、天皇夫妻のパラオやフィリピン訪問など海外での戦没者慰霊を取り仕切り、生前退位の意向表明でも中心的な役割を担ったとしている。多くの大手新聞には共同通信ほどの内容もなく、『東京新聞』をふくめてたんたんとしたものである。いくつかの地方新聞は時事通信の記事を掲載しているはずだが、確認できていない。
 時事通信の記事は事実だと思う。他社の現場の記者も同様の原稿を仕上げたものの、官邸の顔色を窺う社の上層部によって削られたものと推察したい。

 おそらく過去の自民党政権でも同様な人事介入はあったのであろうが、あからさまで強引なせいか、安倍政権では頻繁に起こっているように感じられる。
 2013年8月、集団的自衛権の行使を違憲としてきたこれまでの政府解釈を正反対のものに変えるために内閣法制局の山本庸幸長官を退任させ、元外務省国際法局長で駐仏大使の小松一郎氏を後任にすえた。小松氏は内閣法制局の次長や部長も経験したことのない外部の人間だが、集団的自衛権容認派として抜擢されたものだ。翌年、小松氏は体調不良のため引退、後任には内閣法制局の横畠裕介次長が昇格したが、同氏は核兵器の保有、使用も合憲という踏み込んだ見解まで述べている。
 2014年1月、三井物産元副社長で日本ユニシス特別顧問の籾井勝人氏が、NHK新会長に就任した。政権は特定秘密保護法や原発に関してのNHKの報道姿勢に不満があり、その論調を変えさせる意向があった。籾井氏は就任時の会見で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と、露骨に政権寄りの発言をしていたが、最近のNHKの放送内容をみると、内部は必ずしも一枚岩とはいえないようにも感じられる。
 2015年10月30日、東京地家裁立川支部部総括判事だった多見谷寿郎氏は、福岡高裁那覇支部長へと異動となった。そしてその18日後、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設をめぐり、翁長雄志[おなが たけし]知事の辺野古埋め立て承認取り消しは違法だとして、国は福岡高裁那覇支部に代執行訴訟を提起した。この欄で二度ほど取り上げているが、まさに辺野古訴訟を担当させるための時期的にも異例の異動だった。多見谷氏は行政訴訟では体制寄りの判決を下すことでよく知られ、那覇支部長の前任者の須田啓之氏はリベラルな判決も出したこともある人物である。
 来る10月16日投開票の新潟県知事選挙に関して、泉田裕彦知事の抹殺計画があったことを森ゆう子参議院議員が明かしているが、そこにも官邸の指示があったという(『田中龍作ジャーナル』同年9月30日付)。泉田氏のあとをうけて立候補した民進党の米山隆一氏を、連合(日本労働組合総連合会)を恐れる党は支援せず、離党にまで追い込んだ。民進党はもはや野党の体をなしていない。無所属候補となった米山氏は、自公推薦候補と大接戦となっているようだ。

 冒頭の件に戻るが、官邸が天皇の「お気持ち表明」を不満に思っていたことには正直のところ驚いた。すでに、官邸と宮内庁の間で打ち合わせ済みのこととばかり思っていたのだ。ビデオメッセージが放映された当日の『日本経済新聞』電子版(同年8月8日付)には、天皇は5年ほど前から周囲に生前退位の意向を伝えていたとか、昨年から気持ちを表明すべきと考えていたとまで記されている。
 『リテラ』(同年9月28日付)に、エンジョウトオル氏がその経緯を詳しく報じている。
 天皇は2010年頃から生前退位の意向を口にしており、宮内庁も2014年頃には官邸に非公式にその検討を要請していた。しかし安倍官邸は取り合わず、“官邸の情報将校”とも呼ばれた杉田官房副長官(元内閣危機管理監)が握り潰したといわれる。
 さらに読んでいくと唖然とする。天皇は2015年の誕生日記者会見で退位の「お気持ち」の表明を希望していたが、官邸はその要請を一蹴。風岡宮内庁長官には公務の負担軽減で乗り切れと突き放し、その計画も潰してしまった。
 天皇が日常どういった思考をするものか知らないが、普通の人間の感覚であれば、はらわたの煮えくり返る思いをしたはずである。そこでNHKのスクープ報道、お気持ち表明という強硬手段に打って出ることに至ったという。
 官邸は激怒する。天皇の意を汲んで動いた風岡宮内庁長官を、官邸の意向に背いたとして更迭。しかも、新たに宮内庁次長に抜擢したのは内閣危機管理監だった西村泰彦氏(第90代警視総監)で、杉田官房副長官の推薦で官邸入りしマスコミ対策を担ってきた人物である。今後、この西村宮内庁次長が天皇サイドの動きをいち早く官邸に伝え、天皇の意向を潰す役割を担うことになる。
 天皇のビデオメッセージのあと、官邸側の動きが少々鈍かったように感じられた。生前退位に関する有識者会議の設置は来年になるという報道もあったが、8月22日になって会議の設置が発表された。そしてすこし遅れてひと月後、有識者会議のメンバーが発表された。
 エンジョウ氏は『リテラ』の先の記事の翌日(9月29日付)も後追い記事を掲載しているが、そちらも併せて整理すると次のようになる。
 有識者会議の事務局として、前述の西村次長を宮内庁代表として参加させることによって、会議の議論もすべて官邸のコントロール下に置き、特別措置法での対応を既成事実化しようという方針のようだ。
 この特別措置法での処理という方針ゆえに、皇室問題や歴史学の専門家からは参加をことごとく拒否され、メンバーの選任にはかなり難渋したという。エンジョウ氏がベテラン皇室記者から得た言葉がある。
 「保守系の人からもことごとく逃げられてしまったようです。そりゃそうでしょう。歴史的に見ても生前退位はあり得る制度。それを天皇の希望を無下にするようなかたちで、否定できる専門家はそうそういない。まあ、日本会議系の極右の学者なら引き受けたでしょうが、そんな連中を人選したら、今度は世論の反発を招くのは必至」
 こうして有識者会議は、なんの定見ももたない、官邸の希望どおりの結論に導いてくれる安倍首相に近い人脈で構成された。こんな会議における議論によって、天皇は葬り去られてしまいかねないのだ。なんとしてでも改憲をすすめたい安倍首相にとって、平和憲法に忠実であろうとする天皇は邪魔な存在でしかない。さっさと引退してもらって結構ということであろうか。 エンジョウ氏の28日付の記事は次のように結ばれている。
 「これから先、天皇は生前退位にとどまらず、公安警察出身の新しい宮内庁次長によってあらゆる民主主義的な発言を封印されてしまうことになるかもしれない」
 12月23日は天皇誕生日である。通常であれば誕生日に際して会見があるはずだが、もしや官邸検閲済みの紙切れによるメッセージのみにならないことを祈りたい。

 今回の天皇の「お気持ち表明」にはいくつかの疑義が指摘されているが、基本的人権すら充分に認められていない天皇の存在自体が憲法と矛盾していることを考慮すれば、もっとゆるやかに受け止めてよいのではなかろうか。
 今回の表明で天皇が意図したことは自身の生前退位のみならず、皇室典範の改正による女性・女系天皇、女性宮家の問題を含めての恒久的な制度づくりだったように思う。結論がはやいにこしたことはないが、拙速な結論よりは、ひろく専門家が参集して議論が行われる場が設けられること自体を望んでいたのではあるまいか。それは今回のメンバーのような有識者会議ではないはずだ。そして議論のすべてが国民に公開されなくてはならない。
 しかし、事態はそのようにはならないだろう。どんな批判があろうが開き直って突き進む安倍首相に対し、本気で対峙する抵抗勢力は天皇だけになってしまった。もはや数十万から100万人の規模で国会を取り囲むしかないのであろうが、それも期待できないのが現実である。

 最後にひと言。ぼくは手放しで現天皇の言動を讃美しているわけではないが、皇太子をはじめとする皇族一丸となって現天皇の意思の核になる部分は引き継いでもらいたい。また、いまの皇室制度は無理を押してまで維持すべきものとも思えない。偶然にも皇室に生まれたひとびとを思うと幸せともみえないのだ。いずれひろく議論が起こることを期待したい。
 もうひと言、記事を参考にさせていただいたエンジョウトオル氏とは、某ジャーナリストのペンネームらしいのだが、真偽は不明である。 (2016/10)

<2016.10.8>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第49回:権力に狙われたふたり

 これまで何度も取り上げてきているが、いま日本政府は、沖縄県名護市辺野古に新基地を、東村高江地区にオスプレイの発着基地(ヘリパッド)の建設計画をすすめている。アメリカのために我々の税金でつくるということらしい。
 辺野古の基地建設工事は裁判のために今年の3月から中断したままだが、高江のヘリパッドの工事は7月から再開され、現在急ピッチですすめられている。アメリカの新大統領が就任する前、はやければ年内にも完成させてプレゼントとなるようだ。
 後世に残すべき美しい海を埋め立て、沖縄本島の水源となっている樹林を切り開き、騒音の元凶を招き入れるような工事だけに大きな反対運動が展開されている。

 この反対運動には、島袋文子さん(87歳)と山城博治[やましろ ひろじ]氏(64歳)という、ふたりのシンボル的存在がいる。
 島袋文子さんは文子おばあという愛称で呼ばれているが、ここでは文子さんと呼ばせていただく。沖縄戦時には15〜16歳、日本軍が沖縄の住民の食料を奪い、住民を盾とした光景を間近でみている。のち米軍の火炎放射器で上半身に大火傷を負い、両手を上げて壕のなかから投降した。収容された米軍の病院では、一緒に入院していた目の不自由な母が安楽死させられそうになり、火傷を負った背中に母を背負って逃亡した。その母は95歳まで生きたという。米軍基地関係の仕事をしていた夫とともに1960年頃から辺野古に暮らすが、アメリカ兵の家庭でメイドとして働いてもきた。
 「浅ましくも自分は生き残ってしまった」「私の命なんてあのとき終わっていたはずのオマケのようなもの」という思いを抱きながらの戦後だった。戦争を憎み、米軍を憎みながら生きてきた。こうした反対運動に参加するようになって18年になるという。
 2014年11月、辺野古で機動隊員に転倒させられて意識を失い、救急車で運ばれたことがあった。数時間も震えが止まらず、後頭部に怪我も負っていた。そのとき、多くは沖縄生まれの機動隊員たちに向かって怒鳴り散らしたのが山城氏である。
 「お前だってウチナーンチュだろう! お前の家だって家族だってわかるんだ、みんな親戚みたいなもんなんだ。なのに任務だからってひどいことをやり逃げするのか? お前の家族はそれを許すのか? おばあを傷つけて、涼しい顔でこの島で生きていけると思うのかクソッタレ!」
 これは辺野古・高江を撮り続けている映画監督三上智恵氏のブログからのものだが、さらにその様子をつづる。「博治さんがみんなを代表して怒り狂ってくれなければ、あの場はもう、どうなっていたかわからない。文子おばあのかたき! と全員破れかぶれで突っ込んでいきたいのを、いつもの歌や冗談でなんとか保っている」

 山城氏は元県庁職員である。自治労(全日本自治団体労働組合)から沖縄平和運動センターの事務局長をへて、現在は議長。右側筋からは「プロ市民」とされているが、三上氏は描く。「いつの頃からか、あらゆる反戦平和の現場には必ず彼がいた。取材に行くとどの抗議集会でも、メガホンを握っている。まさに分身の術で、ホワイトビーチの原潜入港反対でシュプレヒコールを上げていた日の夕方には、石垣島の米軍艦阻止で県警と揉み合っている。ニュースの編集をしながら、『ヒロジさんって何人かいるの?』とカメラマンが笑うこともしばしば」
 山城氏の演説は超一流である。おそらく日本全体を見回してもそうであろう。歴史に残る大衆運動のリーダーである。2013年7月の参議院議員選挙比例区に社民党から立候補し、11万2,000票あまりを獲得するも落選だった。山城氏を国会に送るべくぼくも1票を入れた。いまの日本に必要な人物である。

 87歳になる文子さんが暴行の疑いで訴えられているという事態を、ぼくは知らなかった。事件は今年の5月9日で、現場は辺野古メインゲート前抗議テントの向かい。「和田政宗氏など」が警察と相談のうえ被害届を出し、「暴行もしくは威力業務妨害容疑」で「島袋さん他数人」を、6月14日付で告訴。名護警察署からの出頭要請の通知は、5カ月も過ぎた10月初旬という。
 この和田正宗氏という人物、42歳、元NHKアナウンサーで、現在は日本のこころを大切にする党所属の参議院議員である。和田氏に同行していたのはインターネットTV「チャンネル桜」沖縄支局関係者ら数名。右翼関係者であろうか。
 和田氏と同行者たちが抗議テント前で不法占拠をやめるよう挑発演説をはじめたのに対して、文子さんらが抗議の声をあげ、腕を振りあげた。しかし、和田氏たちが証拠としている動画を観ても、腕は彼らに届いていない。
 それでも警察は和田氏たちから話を聞き、これは使えると思ったに違いない。反対派のシンボル=文子さんを容疑者として取り調べ、報道させることによって、反対派市民のマイナスイメージをひろめる。使えるカードはなんでも使うのである。

 そんな10月17日、抗議行動のリーダー山城氏が逮捕された。沖縄地元2紙、『東京新聞』をはじめどの新聞も、有刺鉄線を切断したそのあとで現行犯逮捕という報道で、すべて警察発表のままだった。警察は切断現場をみておらず、有刺鉄線の切断など何度も行われているもので、いまさら事件化するのもおかしな話だという。やはり使えるカードはなんでも使う。
 事情を聴きたいと山城氏を警察車両に引き入れ、逮捕理由も告げない不当拘束、逮捕が現実だった。どういうわけか、その数日前からネット上には「近日中に山城逮捕」の情報が、右翼サイドから流れていたという。まさに、文子さんの出頭にタイミングを合わせた逮捕なのだ。
 沖縄の多くのひとは山城氏が犯罪を犯したとは受け止めてはいない。高江のゲート前の座り込みは200人規模に膨れあがり、名護警察署前でも抗議が行われるようになった。そして20日には別件での再逮捕。これで長期拘留は避けられない。山城氏は病を抱えた身だが、手厚い扱いなど期待するほうが無理であろう。無事を祈る。こうしてリーダーは引き離された。

 10月21日午後、名護警察署前では抗議集会が開かれ、大きな声援のなか、文子さんはふたりの弁護士に付き添われ車椅子で署内へ入った。折しも、右翼街宣車が抗議集会の妨害のために大音量のサイレンを鳴らしたのだが、まるで戦時中の空襲警報だったという。心臓に持病をもつ文子さんは動悸や震えが止まらなくなり、30分ほどで取り調べは中止となり解放された。

 国は抗議行動を抑え込むために、琉球処分時の軍隊を超える500人という機動隊員を全国から小さな村に集結させたが、高江周辺は無法地帯と化している。工事用トラックの荷台に20人ほどの機動隊員が乗り込んで堂々と公道を走り、伐採許可もなしに大量の樹木伐採がすすめられている。工事用車両の整備不良や過積載などは野放しで、でっち上げの公務執行妨害、不当逮捕も繰り返し行われている。「土人」や「シナ人」で有名になった大阪府警は、殴る、蹴るの暴力も超一流らしいが、それらはけっして取り締まられることはない。彼らは数日前より全員マスク着用となったという。
 ネット上や週刊誌の記事には、山城氏たちの抗議行動をおとしめる内容のものも少なくないが、そこでは行政と司法、マスメディアが一体となった強大な権力に刃向かう闘いが行われているのだ。なぜ自国民の生活を犠牲にしてまでアメリカに貢ぐのか。フィリピンのドゥテルテ大統領の「アメリカとの決別宣言」が話題だが、その真意をさぐることは、日本のあり方を問い直すことにもなるはずだ。

 『ハフィントン・ポスト』日本版(2016年9月16日付)にて、青山学院大学講師髙橋宗瑠氏の「人権としての抗議の権利:対照的なアメリカと日本」というブログを読んだ。
 導入部分に大きく掲げられている写真は、アメリカン・フットボールの試合前の国歌斉唱のシーンである。多くの選手が起立して胸に手を当てているなかで、ひとりの選手が起立を拒みしゃがんだままの姿勢で前方を見つめている。
 この選手は、全国各地で頻発している白人警官による黒人の射殺事件に抗議の意思をあらわしているのだ。こうした行動に対してはもちろん非難もあり、また同調者も増えているのだが、それ以上にアメフトリーグの会長や政治的指導者の姿勢に注目すべきだという。
 けっして彼の意見に同調しているわけではないが、「彼には抗議する権利があり、国歌斉唱の起立を強制することはできない」というのが、この件でインタビューをうけたオバマ大統領をふくむ指導者たちの姿勢だという。いかなる内容の抗議であっても、彼の抗議する権利はアメリカ憲法によって保障されたものであり、それを阻むことは許されないのだ。
 髙橋氏は次のように解説する。「『抗議する権利』とは日本語で耳慣れない言葉ですが、国際法では『表現の自由』の権利の一部と認識されています。表現の自由の保障は民主主義にとって極めて重要で、人権および民主主義の一つの根幹であると言われる所以です」
 たしかにアメリカは見習うべき国だが、国益のためなら、他国の国土やひとびとの生活を破壊することぐらい平気な国でもある。 (2016/10)


<2016.11.4>

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜  工藤茂

第50回:入れ替えられた9条の提案者

 『東京新聞』(2016年11月6日付)1面、トップの記事を読んで妙な気持ちになった。たしかに記事を読んだものの、ぼくにはよく理解できなかったのだ。
 その記事の見出しは次のようなものである。
 「学習漫画『日本の歴史』」「入れ替わった9条提案」「『幣原』→『マッカーサー』に」「ドイツ人研究者指摘『湾岸戦争で世界の批判影響か』」
 憲法9条の提案者については、この8月にも幣原喜重郎説がマッカーサー書簡によって裏付けられたという記事を読んだばかりだが、納得のいくものではなかった。今回の記事もその後追いかと思い目を通したのだが、小学館の学習漫画『日本の歴史』で、ある時期に憲法9条の提案者が入れ替えられていたということのようだ。

 憲法9条の提案者については以前も触れているが、もう一度おさらいをしておきたい。
 マッカーサーが明治憲法の改正の必要を口にしたのは1945年10月4日で、当時東久邇宮内閣の無任所大臣近衛文麿との2回目の会談の席であった。10月10日には幣原喜重郎内閣が成立、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会が設置され、憲法改正作業が始まる。
 しかし1946年2月1日、「憲法問題調査委員会試案」が『毎日新聞』にスクープ報道されてしまうが、それは明治憲法に若干手を加えた程度のものでしかなかった。日本側には民主的な憲法をつくるつもりがないとさとったマッカーサーは、ただちにGHQ案の極秘裏での作成を民政局に指示する。
 2月3日、「マッカーサー三原則」と呼ばれる憲法改正の必須要件が民政局長ホイットニー将軍に示されたが、その2番目には、すでに戦争放棄条項が盛り込まれていた。
 「二、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も考えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」(古関彰一『新憲法の誕生』中公文庫、1995年より引用)
 ホイットニーはすべての作業を行政部に任せ、ケーディス陸軍大佐を中心とした運営員会が起草作業にあたった。
 2月8日、日本政府案をGHQに提出。憲法問題調査委員会の松本委員長は「憲法改正要綱」とともにその説明書を提出し、それに対し13日、民政局行政部より批判のための「覚書」とともにGHQ草案が提示された。ホイットニーは開口一番次のように述べ、日本側は呆然とする。
 「日本案ハ全然受諾シ難キニ付自分ノ方ニテ草案ヲ作成セリ」
 持ち帰ったGHQ草案がはかられた閣議では、首相幣原をふくむ3人の閣僚が受諾を拒否。のち幣原とマッカーサーの3時間の会談をへて2月22日、ようやく受け入れを決定した。日本語訳はごく一部しか作成されないままでの受け入れ決定という。
 3月4日、GHQ草案をもとに日本側で検討を加えた日本政府案がGHQに届けられ、双方による徹夜の討議をへて「憲法改正草案要綱」が発表されたのは6日。さらに口語化が施され、閣議提出、帝国議会(衆議院・貴族院・枢密院)での審議をへて1946年11月3日、日本国憲法は公布にいたった。

 こうした流れのなか、「マッカーサー三原則」が提示される10日ほど前の1946年1月24日、マッカーサーと幣原は戦争放棄条項について話し合っている。幣原提案説では、この場で幣原が戦争放棄条項を提示したことになっているが、この日に会談があったことは事実で、その点に異論が出ているものではない。
 幣原からの提案であることはマッカーサーの『回想記』にも記され、上院公聴会での証言でも述べていることだが、ケーディス、吉田茂外相はマッカーサーのアイデアだとしている。
 幣原提案説の裏付けとしてはマッカーサー自身の上記のもののほかに、幣原の友人で枢密顧問官の大平駒槌の娘、羽室ミチ子が父が語った内容を書き留めた「羽室メモ」や、憲法調査会の公聴会にて、中部日本新聞の政治部長小山武夫の証言の音声データがある。小山のオフレコでの質問に対して、幣原は自分からマッカサーサーに提案したと答えたという。
 『東京新聞』(2016年8月12日付)には、1958年12月10日付で憲法調査会の高柳賢三会長が送付した問い合わせに対するマッカーサー本人からの返信が、国会図書館で発見されたという記事があった。その返信には「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記されていたという。
 しかし、『新憲法の誕生』の著者古関氏が以前から指摘していることだが、GHQ草案の受諾に幣原は当初反対の立場をとっていることから、戦争放棄条項が幣原自身の提案とは考えにくいように思う。また、袖井林二郎『マッカーサーの二千日』(中公文庫、1976年)には次のような記述もある。
 「おそらくマッカーサーにとっては、戦後の束の間の平和期に自分の心に忍びこんだ感傷(吉田のいう「宗教的心境」)から生れた戦争放棄条項を、朝鮮戦争の勃発によってみずから否定しなければならなかったことが、心の傷となったのではなかろうか。五年後の歴史の予見に失敗したことも戦略家としては不名誉な話である。だから、せめて戦争放棄条項の発案者という十字架を幣原に転嫁することによって、歴史に対する責任をまぬがれようとしたと考えるべきではないだろうか」
 つまり、自ら戦争放棄条項を提示しておきながら、5年後には朝鮮戦争の勃発によって日本に再軍備を促すことになったことを指している。こういう事情をうけてか、当初マッカーサーの提案と語っていたホイットニーは、1950年ごろには幣原の提案へと修正している。

 『東京新聞』(2016年11月6日付)1面、トップの記事に戻ることにする。
 「学習漫画」と呼ばれているものは集英社、学研、小学館、大月書店、中央公論新社など各社から出版されているが、小中学生を対象として漫画形式でわかりやすく解説したものである。問題となったのは、小学館発行の『少年少女日本の歴史』で、1981年以来、増補・改訂を加えて刊行されているベストセラーである。
 さて、先にも紹介した1946年1月24日のマッカーサーと幣原の会談のシーンである。絵柄に変更がないにもかかわらず、刊行時期によって吹き出しの向きやセリフの内容が異なっているという。つまり戦争放棄を言い出した人物が、刊行時期によって幣原からマッカーサーへと変更されているというのだ。具体的には、1993年3月発行の第33刷では幣原の提案としていたが、94年2月発行の第35刷ではマッカーサーへと変更され、さらに現在発行されている版ではふたりの会談シーンは削除されているという。
 このことに気づいたのは日本在住のドイツ人平和歴史学者、クラウス・シルヒトマン氏。シルヒトマン氏は9条や幣原について数十年も研究を重ねてきて、幣原提案説に立っている。氏がこのことを著書で紹介したりハガキにして国会前のデモで配布した結果、ツイッターで話題になるようになったという。
 問題は小学館サイドである。『東京新聞』の取材によると、監修者の学習院大学元学長の児玉幸多氏はすでに亡くなり、当時の担当者も退社してしまい経緯はわからないという。
 シルヒトマン氏は「日本が湾岸戦争で国際的な批判を受けた後、漫画の表現が変わった。日本人が、改憲を現実的な問題として真剣に考え始めた証しではないか」とこたえている。ぼくには、この言葉をどう理解してよいかわからなかった。記事にも説明はなく、中途半端な気持ちのまま次の記事へと移っていった。
 いったい湾岸戦争とマッカーサーや幣原の9条とどういう関係があるというのか。国内からも自衛隊の海外派遣を求める声が出てきたため、マッカーサーによる提案=押し付けへと変えて、読者を9条の改憲へと導いたということであろうか。

 その数日後、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を偶然覗いてみて驚いた。記事が掲載された当日、澤藤氏はぼくの疑問をスッキリと解き明かしてくれていた。感謝しつつ次に引用する。
 「『9条幣原発意説』と『マッカーサー発意説』のいずれが歴史的真実であるかという歴史学的論争とは関わりなく、『押しつけ憲法論』者からの圧力があったとするのが最も考え易いところではないか。(中略)『押しつけ憲法論』の陣営にとっては、幣原発意説ではプロパガンダ上具合が悪いのだ。だから、幣原発意説を攻撃し、『学習漫画「日本の歴史」』に対しては、その圧力が奏功したと見るべきだろう。教科書だけではない。国民の監視の目が届かないところでは、あるいはその目が曇れば、あらゆる場面で歴史修正主義が跋扈することになる。このことが本日の東京新聞トップの記事が語る教訓といってよいと思う」
 ちなみに澤藤氏は、「マッカーサーの証言を信憑性の高いものとして『9条幣原発意説』を有力とみるが断定はしがたい」と自身の思うところを記している

 憲法が制定されて70年も過ぎ、憲法9条の提案者がだれであろうと、さほど大きな問題とも思われない。問題なのは、憲法9条の精神からもっとも距離をおく現政権である。
 憲法9条は矛盾を抱えた存在ではあるが、安倍政権は沖縄の米軍基地を強化し、先島諸島への自衛隊配備をすすめ、軍事費を急増させて矛盾をより大きくひろげつつある。
 安倍首相にとって憲法9条は邪魔なものでしかなく、その改悪の必要性を訴えている。自身に課せられた憲法擁護義務などご存じないようでもある。しかし、安倍政権がいつまでも続くわけではない。将来のためにも、憲法9条には手をつけずにのこしておくべきだろう。ささやかな望みを託したい。 (2016/12)

<2016.12.9>

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