燈台物語

平松富士夫(ひらまつ・ふじお)
ノンフィクションライター

第1回 塩屋埼灯台1〜「喜びも悲しみも幾歳月」の記憶

 
私は名作「喜びも悲しみも幾歳月」を観た?

 2011年の年が明けて間もなく、高峰秀子の訃報が流れた。亡くなられたのは、暮れの12月28日だったようである。享年76。
 昭和の大女優に数えられる高峰の代表作のひとつに「喜びも悲しみも幾歳月」がある。
 資料を読むと、この映画が上映されたのは1957年(昭和32年)。年代的には、私が小学校に入って間もなくの頃である。
 当時、私は、この映画を観た記憶がある。まだ、テレビを知らない時代。それは、一瞬のことだった。一瞬のことなのに、長い間ずっと、私は映画を観た気分になっていた。
 紀伊半島の南端に近い田舎町。人口は1万にも満たなかった小さな町。しかし、驚くべきことに、この小さな町に2軒の映画館が存在した。
 1軒は東映系で、もう1軒では日活系の映画が主に上映されていたようだった。そんな上映傾向のことを知るのはもっと時を経てからだったが、ともかくも、この2軒の映画館は、小さな町の唯一の娯楽の場になっていたことは間違いなかった。大人たちは、新作が上映されるたびに、仕事の合間を縫い、そして自分の懐具合と相談しながら胸を躍らせて足を運んでいた。
「喜びも悲しみも幾歳月」は、きっと上映前から評判を呼んでいたのだろう。田舎町での新作の上映時期は、限りあるフィルムのせいだったのか、都市部に比べて少し遅くなっていたので、上映前には内容とすでにその映画を観た人たちの評価が小さな町にまで伝わっていたに違いなかった。塩屋埼塩屋埼灯台

映画は塩屋埼灯台台長の妻の手記をヒントにつくられた

 この映画は、現在の福島県いわき市に位置する塩屋埼灯台の台長だった人物の妻が雑誌に投稿した手記をヒントに、監督の木下惠介自身が脚本を執筆してつくられていた。
 闇夜の海を照らして船の安全航海の道標となる灯台の灯。灯が消えることは、船を危険にさらすことにつながる。この灯が決して消えることがないよう、そこに住み込んで細心の注意を払っていたのが、いわゆる灯台守といわれる人たちだった。映画は、転勤を重ね全国各地の灯台を転々して本来の使命を全うする灯台守の夫婦とその家族の物語である。時代背景は、支那事変が始まる1932年から太平洋戦争を経て戦後の1955年まで。夫婦役を演じたのは佐田啓二と高峰秀子だった。
 私が住んでいた地域は漁師集落だった。漁師にとって灯台の灯は日々の生活と無縁ではない。いや、自分たちの生死と密接につながっていた。だから、灯台守の話は漁師やその家族の興味を十分に引きつけていたのだろう。映画が上映されると、集落の多くの人が足を運んでいるようだった。漁に出ない日を選び、そして暇を見つけて。
 私も家族の誰かに連れていかれた。誰と一緒だったのかは、記憶がはっきりしない。しかし、その誰かが言った「ものすごー、いい映画なんやて」という声が記憶の奥底で今も響いている。
 映画館の中に入るとすでにぎっしりの満席。席に座れなかった観客が立ち見であふれていた。上映の途中。人垣をかき分け、大人たちの脚の間を縫うようにして前に出た。とたん、目の前のスクリーンに現われたのは、強風にあおられて髪の毛を振り乱している女性の顔のアップだった。
 そのとき、私は意味もなく恐怖を感じた。女性の顔を怖いと思ったのだ。私はすぐにスクリーンに背を向け、立ち見の大人たちを再びかき分けてロビーに出た。それからどうしたのか、その後の記憶はない。
 私が、映画「喜びも悲しみも幾歳月」を観たというのは、この一瞬の記憶のみであった。私のこの記憶が正しいのかどうか、高峰秀子の訃報に接して気になりはじめ、DVDで確認してみた。だが、あのシーン、記憶のなかのシーンはどこにもなかった。

映画には木下監督の重要な思想が隠されている

 私は、果たして、あの名作を観てはいなかったのか。そんなはずはない。不思議なことだが、私は、あのとき映画館に足を運んだという記憶だけであの名作を観たという気分になっていたのだ。それに内容もわかっているし、何よりも、若山彰が歌う主題歌が身体のなかでずっと響いているのだ。
 内容もわかっている?
 どういうことなのか。
 映画が公開された後、同時にヒットした主題曲「喜びも悲しみも幾歳月」が、ラジオや、その後に登場したテレビのなかで頻繁に流された。流されるたびに、映画の内容が紹介されていたのだろう。そういう状況が繰り返されているうちに、歌を覚え、映画の内容も身体のなかに染み込んでいっていたに違いない。そしていつしか、あの一瞬の記憶と相まって、私のなかでは映画を観たという思いが増幅していたのだ。
 映画を観たというのはまぎれもなく錯覚だったのだ。
 が、映画館に連れていかれ、一瞬だったが、その映画を観たというのは紛れもなく事実である。記憶は歪んではいたが、DVDを観て確認したことで、記憶のなかの一瞬のあのシーンが、どのシーンと勘違いしていたかがわかった。
 佐田啓二、高峰秀子が扮する新婚ほやほやのふたりが夫婦になって初めて赴任する地が観音崎灯台。
 佐田啓二扮する有沢が父親の危篤で故郷に帰り、その死を看取る。葬儀の後ですぐに見合いをし、結婚した相手がきよ子(高峰秀子)。有沢はきよ子を連れて勤務地の観音崎灯台に戻ってくる。映画は、有沢が自分の妻になったきよ子を連れて灯台に戻ってくるシーン、灯台に至る石段を重い荷物を提げて上っていく場面から始まる。
 灯台には数組の台員家族が住み込んで暮らしている。その夜、有沢夫妻は、彼らからささやかな祝福の場をもうけられる。そして祝宴の後、有沢は勤務につく。その夜が彼の勤務当番なのだ。夫婦で過ごす最初の夜だから誰かに替わってもらうという甘えは許されない。
 灯台上部の狭い機械室。海上を照らすレンズが回転するその下の狭い空間に置かれた机で手紙を書いている有沢。そこにお茶を運んできたきよ子。ふたりはこれから夫婦として生活していく決意の会話を交わした後、きよ子は上ってきた螺旋階段を今度はゆっくりと下りていく。
 しばらくして、きよ子の悲鳴があがる。画面に映し出されたのは、髪が乱れ、異様な形相をしている女性の姿。着ている和服も乱れている。
 私が錯覚していたのは、このシーンだったのだ。女性の髪が乱れていたのは強風のせいではなく、女性その人が精神に異常を来していて自身の身だしなみにまで気が回っていないためだった。
 驚いて再び螺旋階段を駆け上っきたきよ子に夫の有沢が説明する。
 女性は、同じ灯台に勤務する先輩の妻。7、8年前に離島の灯台に勤務していたとき、子どもの学校の関係で別居生活を強いられたのだが、先輩の妻は、夫が漁師の娘と親しくなっているのではという妄想に取り憑かれるようになる。そして最悪なことに、たったひとりの子どもまで事故で亡くしてしまう。以来、先輩の妻の精神がおかしくなってしまったのだという。そういうわけで、先輩の妻は、新しい女性がやってくると、当時の妄想が甦るのか、必ずその女性の顔を確認しに来るのだという。ここで有沢は、各地を転々とし、厳しい環境の地にも赴かなければならない灯台守とその家族にもたらされる苦難をきよ子に率直に語っていく。
 私が恐怖した一瞬のシーン。このシーンにこそ、映画全体におよぶ重要なテーマのひとつが隠されていたと言えるである。木下監督は、この映画のなかに、いくつかの興味深いテーマを織り込んでいる。そして、それらはこれまであまり語られてこなかった部分である。その部分を、私は、「燈台物語」を書き続ける全体のなかでひとつずつ明らかにしたいと考えている。(続く)

平松富士夫プロフィール

出版社勤務を経て、フリーのライターに。主にサイエンス関係の記事を書く。執筆を担当した書籍に『科学大事典MEGA』(講談社)『身体のしくみと病気がわかる事典』(日本文芸社)『面白いほどよくわかる深層心理』(日本文芸社)などがある。

灯台物語

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