いま、思うこと19 of 島燈社(TOTOSHA)

工藤19用.JPG

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第19回/工藤茂
東京は本当に安全か?

 2013年9月、ブエノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地に東京が決定した。東京招致委員会理事長でもあったJOC会長の竹田恆和[つねかず]氏は総会に先だって記者会見にのぞんだが、質疑応答で出た6つの質問のうち4つが福島第一原発の汚染水漏れに関連するものだったという。そこで竹田氏は海外メディアに対して次のように答えて東京の安全性を強調した。
 「福島とは250キロ離れている。皆さんが懸念するようなことはまったくない」
 海外メディアからは「証拠となるデータを出すべきだ」「(投票権をもつ)IOC委員には東京ではなく福島の状況を問題視している人がいる。それに十分言及せずに支援は得られないのでは」などの不満が出たという(『日刊スポーツ』Web版、2013年9月5日付)。
 日本でも大きく報道されて、ネット上では「その言い方では、福島は危険ということか?」などと揶揄されたが、はたして東京は安全といえるのだろうか。

 東京都小平市の開業医で、おそらく東京の医師ではもっとも多くの子どもたちを被曝対応で検査してきたといわれる三田茂医師が、2014年3月末で医院を閉め岡山市へ移住、4月21日から同市に新たに医院を開業した。彼の父が50年以上も前に小平に開いた三田医院だが、自分の子どものことを考えると、この東京にはもう住み続けられないという結論を出したのである。なお、三田医師に関してはネット上の情報しかないが、自分が信頼すると思えるところを記す。
 三田医院の診療科目は「内科・消化器科(胃腸科)・小児科」である。そもそも甲状腺疾患は大人の病気のため、一般の小児科医は甲状腺の知識もなく、子どもに甲状腺検査を行うことなどまれだという。しかし三田医師は、甲状腺疾患の多発地域である長野県の信州大学医学部で菅谷昭氏(現松本市長)に学んだため、甲状腺については厳しく教えられてきた。
 そこで3.11以降、子どもの甲状腺検査(エコー検査)、血液検査を積極的に始めたところ、小平市近隣や都内各地域、近県からも不安を抱く母親たちが子どもを連れて訪ねてくるようになり、被曝懸念から診察した子どもの数は1,500人以上、述べ2,000人になるといわれる。
 ところで、三田医師と親しい放射線技師によると、2011年3月、その技師が勤めていた病院でレントゲン・フィルムがシミのように感光してしまったという。これは医療機関から富士フイルムに問い合わせが相次ぎ、公式見解が出されてもいる。レントゲン・フィルムは、病院のなかでもいちばん奥まったところに密閉して保管されているが、そういう空気の流れがないと思えるところにも多くの放射線が入り込んでいたのである。東京の鉄筋コンクリートの建物の奥深いところでも、そのくらい被曝してしまっていることを自覚してほしいという。
 まず三田医師は、三田医院の30〜80歳の患者の採血データのうち2008年以降のものを見直して、3.11以前と以後の傾向をみることから始めた。その結果、血小板、白血球、貧血などに差はなく、大人に関しては変化がみられないという。
 一方、子どもについては事故前のデータがなく、2011年12月から見始めて、血小板、赤血球には変化はない。しかし白血球、とくに好中球は2012年、13年と数が少なくなってきている。好中球減少は幼稚園から小学生に多くみられ、乳児のなかには極端に少ない子もいた。この症状が進行すると敗血症などの致命的な疾患を発症する恐れがあるという。また、本来ないはずの異型リンパ球があった子がいて、3カ月後の再検査でも変化がなかったという。
 好中球が0だった神奈川のある0歳児の場合は、熊本に移住してその後も定期的に検査を受けたところ、いまでは基準値まで回復しているという。大人でも、白血球の減少や極端に元気がなくなったという人には西への避難をすすめているという。1年間に1カ月西で過ごすだけでも充分効果があるという。
 喘息はお年寄りにひどい傾向があり、10年以上も診てきている患者のなかに事故のあと咳が3カ月、4カ月止まらない人がいて、薬をこれまでの3〜4倍使わないと抑えられなくなってきたという。これはもう治療の限界で、北海道や西へ逃げるようにすすめているという。
 甲状腺癌に関しては、子どもを連れてやって来る30〜40代の父母に何例か見つかっているが、全年齢の人が一度は検査を受けるべきだという。東京はこれまでも充分な検査が行われていないが、今からでもやるべきだし、それ以上に血液検査は優先的にやるべきだという。
 このように明らかに異変は起きているのだが、三田医師は患者ひとりひとりの被曝線量を把握しているわけではなく、首都圏の人々がどのくらい放射線を浴びたのかも明らかになっていない状態なので、放射線との因果関係を立証できるわけではないという。ただ、原発事故のあとという状況下でそれまでとは違う症状が増えてきた場合、「まず放射線の影響を考えてみる」というのが医師として本来あるべき姿勢だという。
 三田医師が懸念しているのは、三田医院で検査を受けたことで、それで安心して東京に住み続ける人がいることである。そのため、東京はもう居住に適さないことを行動をもって警告する意味もあり、家族とともに岡山へ移住することにした。これからは、西に暮らしながら関東の人々に保養や避難を呼びかけていくという。移住先となった岡山県は、東日本からの避難者を積極的に受け入れていて、東京からの避難者も数千人になる。
 気になることだが、3.11以降、三田医師自身の体調も思わしくない。ここ1〜2年、口の末梢神経のしびれが出たり、頭の皮膚炎もなかなか治らない、声も以前と変わってきたように感じられるともいう。
 三田医師は請われれば講演も行っており、新聞社やテレビ局の取材も受けていて、テレビだけでも3〜4社になるが、記事や番組となって伝えられることはないという。
 テレビ朝日の「報道ステーション」は、2014年3月11日の放送で福島県の子どもたちの甲状腺癌についてのレポートを伝え、評価も高かったようだ。番組では福島県に限らず、関東地方の子どもたちについても取材していて、古舘伊知郎氏自身が三田医師に会っている。
 取材のなかで三田医師は、子どもたちの白血球の数値が低くなっていること、ホットスポットといわれる柏市、三郷市に限らず、さいたま市、川崎、横浜、相模原などの子どもたちの数値もよくないことを伝えた。古舘氏は、顔と名前を出して放送してよいか了解を求め、三田医師は「大事なことだし、きちんとしたよい番組をつくってくれるならかまわない」と応じたという。ところが数日後に連絡があり、「じつは東京が危ないという放送はできない」ということが伝えられ、結果的に福島県のみの問題として放送されたという。
     *
 毎年春先になると、テレビでは東京湾の潮干狩りの映像が伝えられる。東京湾でもっとも早いのは富津海岸の潮干狩り場で、今年は3月15日に営業を始めたという。しかし営業開始早々の3月末、神奈川県三浦市沖の貨物船衝突事故によって流出した油の影響で一時閉鎖に追い込まれたが、4月中旬には再開できた。そしてこのゴールデン・ウィークには5万人の子ども連れの家族で賑わうだろうという予測記事も読んだ。
 少々さかのぼって新聞記事などを見ていくことにする。
 近畿大学の山崎秀夫教授(環境解析学)は、2011年8月以降、東京湾内の36カ所で海底の泥に含まれる放射性セシウム134と137の濃度を測定してきたが、半年ほど経過して、荒川河口付近の海底で濃度が上昇していることを確認した。とくに江東区の若洲海浜公園近くでは、泥の表面から深さ5センチの平均濃度が、8月には308ベクレル(1キログラム当たり。以下同様)、10月に476ベクレル、12月には511ベクレルと上昇していて、ほかの多くの地点でも同様の傾向がみられた。また、湾の中央部よりも河口付近の数値が高い傾向になっているという。それでも今回の数値は、ゴミ処分場で埋め立て処分が可能な国の基準値8,000ベクレルを大きく下回っている。同時に採取した魚介類の濃度も測定しているが、多くとも10ベクレル以下で、「このまま推移してくれれば問題のない数値」としている。山崎教授は東京湾への放射性セシウム流入のピークを1、2年後とみているが、セシウムが河口の泥のなかに深く潜ってくれるなら湾全体への拡散は抑えられるはずと語っている(『東京新聞』2012年3月2日付)。
 同じく山崎教授は、2012年4月2日、荒川河口周辺5カ所で海底の調査をしたところ、放射性セシウムの量が7カ月間に1.5〜1.7倍に増えていた。前回もっとも多かった地点では、1平方メートルあたり約1万8,200ベクレルから約2万7,200べクレルへと約1.5倍に、ほかの地点では最大1.7倍に増えていた(『朝日新聞』2012年5月10日付)。なお同じ調査結果を報じた5月14日付『読売新聞』の記事では、最大13倍に増えた地点があることが記されている。
 2012年5月26日にNHKが報じたところでは、京都大学の山敷庸亮准教授らの研究チームは、今回の原発事故で関東地方に降った放射性物質のなどの調査データを用いて、東京湾海底の放射性セシウムの濃度を、事故の10年後まで予測するシミュレーションを行った。その結果、2014年3月にもっとも高くなり、荒川の河口付近では局地的に4,000ベクレルに達すると推定している。東京湾は入り口が狭く閉鎖性が高いため外洋からの海水が流れ込みにくく、その後10年間は同じ状態が続くという。
 東京都は、2013年6月7日、千葉県が市川市の江戸川下流域で採取したウナギから基準値を超える140ベクレル(基準値=1キログラム当たり100ベクレル)を検出したことから、関係する2カ所の漁協に出荷自粛要請した。また、水産庁が5月17日に江戸川の中流で捕獲したウナギ4匹から基準値を超える放射性セシウムを検出し、最大のものは158.9ベクレルだった。
 同年9月19日、原子力規制委員会は、東京湾の海底土の放射性セシウム134、137の濃度の測定結果を公表した。事故前のデータと今年の6月採取分のデータの比較では、基準点で16倍、最大48倍の高濃度を記録した。もっとも低いのは外洋との入り口付近で、もっとも高かったのは木更津市沿岸部だった。
 同年10月18日付『日刊ゲンダイ』は、10月15日から16日にかけて伊豆大島に家屋倒壊などの被害をあたえた台風26号が、東京湾に注ぐ河川にとどまっていた放射性汚染物質を一気に湾内に押し流し、堆積していた汚染物質とともに攪拌してしまったという懸念を報じている。

 ここにあげた多くの報道が示すように、東京湾の放射性セシウムによる汚染は以前より懸念されていて、2014年3月には濃度が最大になるとみられていた。ただ、調査しているのは放射性セシウムだけで、他の核種についてはほとんど行われていない。放射性セシウムに関しては、淡水魚にくらべて海水魚は体内に取り込んだセシウムを排出するのが早いため、思いのほか魚介類のセシウムは少ないようだという報道もいくつか見受けられる。
 そうして2014年になると、懸念していたような報道がほとんどみられなくなる。テレビでは、前にあげたような家族連れの潮干狩りの話題や、東京湾の魚介類をあつかったグルメ番組が楽しそうに放送されている。美味しそうに食べている姿を映すことで、安心・安全をアピールしているのかもしれないが、ひどい汚染の実態が隠されてしまっていることがないことを祈るのみである。
 原発にも詳しい水産学者の水口憲哉氏が、2013年8月にラジオ番組で海水魚全般について語っていたが、福島県沖をのぞいてほとんどの魚は心配ないが、ときどき数値が高いものが見つかるという。ただ、セシウムのみの調査であることが気になるとのことだった。東京湾についてもほぼこのような状態でほとんど問題ないとしても、安心してよい状態とはいえないようだ。
 先に紹介した三田医師の場合は、報道されなければなにも問題はなく、安全なことになる。しかし、テレビ朝日が三田医師に取材したことはネット上で明らかになってしまっているので、放送取りやめになった経緯をオープンにしないと、三田医師の警告が真実味を帯びてくることにもなる。ただ、三田医師も述べているのだが、症状が出るかどうか、また症状の出方自体も個人差があるとのことである。
 いま騒がれている雁屋哲氏原作「美味しんぼ」の件も同様である。鼻血が出たという話はこれまでもたくさんあったし、チェルノブイリでも広河隆一氏らによる多くの報告があるが、みんな出たわけではない。気になるのは、民主党政権のときの2012年3月から6月にかけて、自民党の参議院議員熊谷大[ゆたか]、山谷えり子、森まさ子の3氏が追及していたという事実がある。いまになって初めて聞いたことのように大騒ぎや否定しているのはなぜなのか。でも、そのおかげで海外でも報道され、ひろく福島や日本の様子が伝えられることになったようだ。
 話を戻すが、三田医師のように福島から遠い東京でさえ避難したほうがよいと言う人もいる。久々にテレビに登場した双葉町前町長井戸川克隆氏は、「福島に住んでいてはいけない」と明言している。福島を離れられない人々を思うと心が痛む。先日、福島市の小鳥の森についてのレポートを見たが、いまだに空間線量が毎時1マイクロシーベルトを超え、市では部分除染を計画しているというが、ほとんど効果はないだろう。そんな生活がこれからも続く。  (2014/05)


<2014.5.16>

工藤19/01.jpg『東京新聞』2012年3月11日付

工藤19/02.jpg『東京新聞』2012年6月16日付

第31回/工藤茂
生涯一裁判官LinkIcon

第32回/工藤茂
IAEA最終報告書LinkIcon

第33回/工藤茂
安倍政権と言論の自由LinkIcon

第34回/工藤茂
戦後70年全国調査に思うLinkIcon

第35回/工藤茂
世界は見ている──日本の歩む道LinkIcon

第36回/工藤茂
自己決定権? 先住民族?LinkIcon

第37回/工藤茂
イヤな動きLinkIcon

第38回/工藤茂
外務省沖縄出張事務所と沖縄大使LinkIcon

第39回/工藤茂
原発の行方LinkIcon

第40回/工藤茂
戦争反対のひとLinkIcon

第41回/工藤茂
寺離れLinkIcon

第42回/工藤茂
もうひとつの「日本死ね!」LinkIcon

第43回/工藤茂
表現の自由、国連特別報告者の公式訪問LinkIcon

第1回〜30回はこちらをご覧くださいLinkIcon

工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon