いま、思うこと41 of 島燈社(TOTOSHA)

工藤41/10.jpg

いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第41回/工藤茂
寺離れ

 少々個人的な話になるが、田舎のぼくの生まれた家では、毎月寺の住職がやって来た。仏壇にロウソクと線香を灯し、お経をあげては御布施をもらって帰っていった。「毎月、御布施は大変だ」と、母は口癖のように言いながら包んでいた。それから「仏さまは大事にな」というのも口癖だった。
 最近、いま暮らしている東京でのことだが、ある寺に行く用件があり、帰り際に住職から封筒を渡されて帰ってきた。なかには「年忌法要『お布施』の目安」という紙が入っていた。
 どういうものかといえば、戒名の位に応じて、その後に行われる年忌法要のお布施の金額の目安を示したものだった。一般にいわれる戒名料かと思ったが、よく見るとそうではなかった。あくまでも年忌法要の際の御布施のことであった。
 ぼくはこういうことには疎い。いわゆる戒名料と呼ばれるものは、その位によって金額が大きく異なるという知識はあった。しかしその戒名の位が、その後の法要のお布施の金額に反映するとは知らなかった。そういうことを知らずに立派な戒名などをねだると、御布施を包む段になって後悔することになりそうだ。
 そもそも御布施は読経のお礼のように僧侶へ渡しているが、法要や読経の対価ではないそうだ。僧侶を通して寺のご本尊に供えるもので、金額も定められているものではない。そうはいっても、現実問題としていくら包んでよいものか見当もつかず、僧侶に尋ねることになる。そんなことが何度もあって、寺としてはおよその目安を示すところが多くなってきている。もちろん、寺の経営上の観点から計算された金額にもなっているはずである。またやせ我慢しながらも、御布施本来の意味から「お気持ちで結構です」とこたえている僧侶もいる。

 まずは、渡された紙に示された御布施の目安というものを紹介してみる。
  ○○院殿○○○○○○大居士(清大姉) 本堂20万円以上 墓前10万円以上
  ○○院○○○○居士(大姉)      本堂10万以上 墓前7万以上
  ○ ○○○○居士(大姉)         本堂7万以上 墓前5万以上
  ○○○○信士 (信女)          本堂5万以上 墓前3万以上
 これとは別に、ぼくはある地方の寺の例をメモしてある。それは本堂を借りることが前提で、戒名の位は関係ないようである。
  一周忌〜十三回忌 8万円前後 
  十七回忌以降   5万円前後
 地方のほうが若干安いように思えるが、ぼくにはけっして安い金額とは思えない。年忌法要をお願いするにはちょっとした覚悟がいるのではなかろうか。前回取り上げた串田孫一氏は浅草の寺の檀家総代をつとめていたというが(『こころ』Vol.13、2013年6月、平凡社)、彼は財閥系銀行家の御曹司である。ぼくと同じ環境だったはずがないが、どういうことを考えていたのだろう。
 こういったことが絡んでくると、法事をやるかどうかということは、先祖を供養する、大切にするという心の問題とは別の話になってしまう。ぼくは金のかかるような法事は積極的にはやりたくないが、先祖への感謝の気持ちは忘れないつもりだ。
 ところで、浄土真宗・真宗は他の多くの宗派とは異なり法名に位はないというが、最近は院号をつけるひともいるようだし、御布施の額に関しては大差がないとも聞いた。
 御布施は年忌法要だけでは済まない。ぼくの生家のように住職が月命日に檀家をまわってお経をあげ、御布施をもらう慣習がある。祥月命日には月命日よりも多く包む。この慣習は地域にもよるし、菩提寺と檀家の付き合いにもよるものだろうが、ネット上で調べてみると、月命日をどうしてよいのかわからない、この慣習をやめたいという相談が少なくなく、思いのほかひろがりのあることのようだ。
 ほかに正月、盆、春秋の彼岸には寺に墓参りに行ってご本尊に御布施を供える。さらに宗派によって異なるが、涅槃会、大般若法要、お施餓鬼法要、お十夜法要などの年中行事もいくつかあってこちらにも回向料(御布施)が、そして護持会費や墓地管理費などもある。いくら少なめに包んだとしても、法事がまったくない年でも、合計するとかるく10万円を超える金額になる。70歳近い知人が「お寺のために働いているようなもんだ」と言っていたが、まさに身をもって経験しているひとの言葉である。

 このように、檀家から金が集まるように巧妙につくられた仕組み=檀家制度によって寺は支えられている。まったく素晴らしいシステムをつくり上げたものと驚くばかりである。みんな喜んで従っているわけではないだろうが、とりあえずのところ、どうにかこのシステムは維持されていて、寺は成り立っている。
 寺の檀家となった当人は、物理的にも経済的にも覚悟をもってしたことであるからまだしも、祭祀承継者の代替わりにしたがって寺と付き合うことが難しい事態も起こりうる。もし、さほど裕福でもないぼく自身が祭祀者となった場合、どうなるのであろうかと考える。
 御布施をケチっていると、住職は親の例を小出しにしながら、親と同等の金額を出すように要求してくる。僧侶がそんなはしたないことを言うはずがないと思うのは勝手だが、おそらく裏切られる。場合によってはありのままの経済状況を訴え、最低ラインでの御布施で檀家として付き合っていくしかないであろう。
 こんな先祖代々の墓を質にとって御布施を強要するような檀家制度は自然消滅するとしか思えないのだが、さっさと自分の代で終わらせたいのであれば、離檀、墓じまいの話し合いに入るのも選択肢のひとつだ。納骨許可書、改葬許可書などいくつかの書類手続きのほかに、菩提寺への謝礼金や墓の魂抜きの御布施、石材店には墓の撤去費用、新たな寺や霊園への永代供養料など、移す遺骨の数にもよるが、100万円で収まることはなさそうだ。

 ところで妻の実家の墓は千葉県の民営霊園にあって、菩提寺をもっていない。葬式や年忌法要を行うときは霊園近くの決まった寺にお願いしている。御布施も先にあげた例と比較すれば、驚くほど少額で済ませている。こちらから連絡しないかぎり、その寺とはなんのつながりもなく済んでいる。うらやましいくらいにさっぱりしたものだが、墓をつくるときはそれなりの、つまり100〜200万円の経費を要しているはずである。
 妻の実家が墓を買ったのは60年近くも前だというが、東京や東京近郊の場合、こうした民営霊園に墓をもっている例が多い。いわゆる「寺離れ」といわれるものだが、一歩東京圏を離れて地方へ飛ぶとこういった霊園はまだまだ整備が不充分で、多くは先祖代々決まった寺の檀家になっている。とかく地方は疲弊するばかりで、裕福な檀家など多いとも思えない。田舎になるほど寺には金が集まらず、先細りとなっていくであろう。
 そんななか檀家制度を廃止した寺がある。「市民が見性院の前を通って(無宗教の)霊園に行くのを黙って見ているわけにはいかない」と語るのは、埼玉県熊谷市の曹洞宗見性院の橋本英樹住職。著書『お寺の収支報告書』(祥伝社新書、2014年)で、寺の収支決算書や財産目録を公開し、周囲の寺から総スカンを食った(『東京新聞』2016年3月7日付)という人物である。ここでは宗教専門紙『中外日報』電子版(2015年6月10日付)の記事を参考にする。
 見性院では、寺の経営を維持するためにも信者を獲得する必要から行き着いた結果として、2012年6月に檀家制度を廃止した。かわって導入した信徒制度は次のようなものである。
 ①檀家は菩提寺に葬儀や法事を頼まなくともよい。
 ②住職は檀家以外の葬儀や法事も行う。
 ③墓地を檀家以外にも(宗旨や国籍を問わずに)分譲する。
 ④寄付、年会費、管理費などは一切ない。
 もちろん、檀家総代が集まる役員会は「住職は檀家を見放すのか。檀家離れがすすんだら寺はつぶれるぞ」と紛糾した。橋本住職は「家制度が崩壊している今、江戸時代から続く家を中心とした檀家制度は既に限界を超えている。一般信者を増やす、お寺本来のあるべき姿にしたい」と理解をもとめ、1年3カ月を要して制度廃止に踏み切った。
 見性院に新たに墓地を購入した多くのひとは檀家制度のない自由さを理由にあげ、毎月3〜4件の申し込みがあり、信徒数は3年で倍増したという。いまは遺体搬送、本堂での葬儀、バスや返礼品・料理の手配、僧侶の紹介、仏壇や墓地・墓石の販売まで自前で行い総合的に展開している。境内の掲示板には御布施一覧が掲げられていて、ちなみに四十九日・一周忌が5万円、三回忌以降3万円となっている。
 ぼくは自分を仏教徒とは思っていない。先祖は敬っているつもりだが、自分の墓など必要とも思わないし、まして骨などどうなってもかまわない。仏式の葬儀にこだわる気持ちは微塵もない。これは妻もかわりはない。ぼくは実家の墓に入ることも可能なのだが、ぼくが入ることによって、残された者はこれまでのような儀式から逃れられない状況に追い込まれる。この流れを断ち切りたかった。ぼくの葬儀は無宗教の直葬、読経も戒名も塔婆も不要である。
 このことに踏ん切りをつけるべく合祀墓を捜していた。なかなか望んだものがなく、行き着いたのが「年忌法要『お布施』の目安」を渡された寺の一画の墓だった。ぼくらにとっては桜を眺めながら散歩した思い入れ深い地で、いまでも時折出かけるところだ。
 その一画は無宗教でも結構ということだった。墓といっても直径20センチほどの穴である。購入時にさほど法外でもない金額を納めれば護持会費も管理費も必要としない。あとは納骨時に3万円の御布施を包むだけである。住職に渡された「年忌法要『お布施』の目安」も、ぼくらにとっては不要のものだ。仮に将来、地方に暮らすことになったところで、いまはゆうパックでの送骨も可能になった。
 さて、これで踏ん切りがついたのかどうか、不安がまったくないわけではない。 (2016年3月)


<2016.3.16>

工藤41/09.jpg

第31回/工藤茂
生涯一裁判官LinkIcon

第32回/工藤茂
IAEA最終報告書LinkIcon

第33回/工藤茂
安倍政権と言論の自由LinkIcon

第34回/工藤茂
戦後70年全国調査に思うLinkIcon

第35回/工藤茂
世界は見ている──日本の歩む道LinkIcon

第36回/工藤茂
自己決定権? 先住民族?LinkIcon

第37回/工藤茂
イヤな動きLinkIcon

第38回/工藤茂
外務省沖縄出張事務所と沖縄大使LinkIcon

第39回/工藤茂
原発の行方LinkIcon

第40回/工藤茂
戦争反対のひとLinkIcon

第41回/工藤茂
寺離れLinkIcon

第42回/工藤茂
もうひとつの「日本死ね!」LinkIcon

第43回/工藤茂
表現の自由、国連特別報告者の公式訪問LinkIcon

第1回〜30回はこちらをご覧くださいLinkIcon

工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon

工藤41/01.jpg写真提供/筆者(以下同)

工藤41/03.jpg

工藤41/05.jpg

工藤41/06.jpg

工藤41/07.jpg

工藤41/11.jpg