いま、思うこと21 of 島燈社(TOTOSHA)

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いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第21回/工藤茂
民主主義が生きる小さな町

 『東京新聞』5月23日付夕刊に小さな記事が載った。「国、竹富町を訴えず」という見出しに「教科書問題で文科省」という小見出しがついていた。これでこの数年がかりの竹富町の教科書騒動は、一件落着ということになりそうだ。
 沖縄県八重山郡竹富町。人口3,979人の小さな町である。そもそも国がこんな小さな町を相手に訴える、訴えないなどという話は尋常ではない。竹富町がなにをしたというのか。日本という大国家がちっちゃな町をいじめているという構図は分かりすぎるほど分かるのだが、少し詳しく掘り下げてみることにする。

 発端は民主党政権時の2011年8月にさかのぼるのだ。東日本大震災直後の混乱のなかで菅直人首相が辞任、次期首相は? というころのことである。沖縄県石垣市、竹富町、与那国町からなる教科用図書八重山採択地区協議会(以下、採択地区協議会、または協議会)が、2012年度から使用する中学校向け公民の教科書に育鵬社版『新しいみんなの公民』を選んだことに始まる。
 教科書は「教科書無償措置法」第13条で「採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一の教科書を採択しなければならない」と定められている。ところが「地方教育行政法」では、教育委員会の職務権限として市町村それぞれの教育委員会の判断で教科書の選定ができることになっていて、教科書選定に関して矛盾したふたつの法律があることになる。このことを踏まえて1997年、橋本龍太郎内閣は「将来の学校単位の教科書採択に向け、整備を検討する」と閣議決定したのだが、行政の怠慢というべきか、まったく検討もされないまま10年以上も放置されてきたのだ。
 中学校向け教科書『新しいみんなの公民』『新しい日本の歴史』の発行元育鵬社は扶桑社を100%株主とするフジサンケイグループ企業で、「新しい教科書をつくる会」から内部分裂した「教科書改善の会」が支援する教科書会社である。『新しいみんなの公民』も非常に保守色の強い教科書で、他社の教科書に比べて沖縄戦や米軍基地についての記述が不充分な傾向にあり、2014年度では、八重山以外の沖縄県内5地区では育鵬社版以外の教科書を採択している。
 沖縄県八重山地区は、10年ほど前から保守・極右色を強めている地域である。石垣市長の中山義隆氏は37年続いた革新市制を転換させ、石原慎太郎東京都知事(当時)が尖閣諸島購入を言い始めた際には共同購入を持ちかけた人物で、自衛隊の配備も容認。与那国町長外間守吉[ほかま しゅきち]氏は島の活性化の面から自衛隊誘致に積極的である。この2者に対して竹富町長川満栄長[かわみつ えいちょう]氏は、「自然や景観、歴史は町の財産」を基軸にした町づくりで竹富島の世界自然遺産登録を目指し、政治姿勢の違いは歴然としている。
 ところで、3市町の教育委員会に採択教科書の答申をする八重山採択地区協議会を主導する玉津博克会長は石垣市教育長でもあるが、教育長は首長が任命した教育委員のなかから教育委員会によって選任されるため、その選任には首長の政治姿勢が大きく影響することになる。この玉津会長がなかなかのくせ者のようだ。

 採択地区協議会は従来、学校現場の経験を持つ教育委員会の専門職員を加え、専門性の高い調査員による推薦教科書の順位付けを行い、これを参考に採択教科書を各教育委員会に答申してきた。ところが今回、玉津会長はこのような慣例を変え、上記の専門職員を除外したうえ独断で調査員を委嘱した。会長から委嘱を受けた調査員は、それでも東京書籍版を1位、育鵬社版を推薦外とした報告書を提出したが、協議会は育鵬社版を無記名投票で選び答申した。この経緯について『琉球新報』(2014年3月26日付)社説は、「協議会会長の玉津博克石垣市教育長が2011年に採択手順を独断で次々と変えたことから始まった」としている。
 この答申をうけて、石垣市教育委員会、与那国町教育委員会は育鵬社版を採択したが、竹富町教育委員会は「手続きがおかしい」として育鵬社版の不採択、東京書籍版の採択を決定した。沖縄県教育委員会は3市町に合意形成を求めるもそれもならず、さらに3市町の教育委員全員で行われた5時間におよんだ協議会の臨時総会では東京書籍版が選ばれ、県教育委員会はその決定を合法としたが、文部科学省は法的拘束力がないと判断し全員協議の決定を無効とした。
 教育関係者もただ見守っているわけにはいかなくなった。八重山地区の中学校・小学校校長会や教職員組合、PTA連合会などによる、育鵬社版教科書採択阻止を訴える運動がひろまるなか、野田内閣も苦しい判断を迫られる。2011年11月、文部科学省は竹富町に対し、教科書の自費購入を求める方針を明らかにしたうえで、「自ら教科書を購入して生徒に無償で給与することは、無償措置法でも禁止されるものではない」との答弁書を閣議決定した。協議会の決定に従わない竹富町は無償給付の対象にならないが、教育委員会の採択権を斟酌すると国としては強制できないという判断である。「教科書無償措置法」施行以来、初めてのケースだという。 
 2012年3月、竹富町教育委員会ではやむなく政府の閣議決定に沿う形で、中学公民教科書については保護者や教員OBらの寄付で東京書籍版を購入し、2012、13年度で計約50冊(約4万円)を配布してきている。
 しかし、これでは根本解決になっていない。竹富町のみを「教科書無償措置法」違反として「勝手にしろ」とばかりに放り出し、竹富町が正当性の拠りどころとする「地方教育行政法」には触れずじまいである。それ加えて、玉津会長の強引な手続きについては不問である。

 竹富町にとっては不本意な形とはいえ、いったんは収まったかにみえた教科書問題だが、2012年12月、自民党による第2次安倍内閣が成立すると、とたんに慌ただしくなる。文部科学相に就任したのは下村博文氏。「今の教科書は、我々がいうところの自虐史観、そういうトーンが非常に大きい。これをぜひ安倍政権のなかで見直していきたい」と公言する人物で、安倍首相の意向に100%沿った最適任者であり、竹富町にとってはなかなかの強敵である。
 翌年の3月1日には、自称「ヤンキー先生」の義家弘介政務官を竹富町に派遣した。特別法の「教科書無償措置法」は一般法の「地方教育行政法」に優先するという判断を示したうえで、3月31日までの期限付きで、適切な対応をしなければ法的措置も辞さないと求めたが、慶田盛安三[けだもり あんぞう] 教育長は「瑕疵はないので、改めるところはない」、竹盛洋一教育委員長は「採択の決定権は教育委員会にある」として聞き入れなかった。「あっぱれ!」である。南の小さな島には、国の恫喝にも屈しない筋金入りの教育者がいた。どうにかこの場はやりすごしたが、これが安倍内閣の強権的な姿勢の始まりとなった。
 2013年10月、文部科学省は沖縄県教育委員会に対して、教科書無償措置法違反の竹富町教育委員会への是正要求を指示。しかし、県教育委員の多くが国の強硬姿勢に反発し、5回の協議を重ねたうえで「教育環境に混乱を招く」と判断を留保。2014年3月には文部科学省が竹富町に直接是正要求を出したうえで、下村文部科学相は「重大な事務の怠り」と県教育委員会を批判した。この是正要求は地方自治法に基づく最も強い措置であり、異例の事態だという。是正要求をうけた自治体は改善義務を負うのだが、従わないとしても罰則はなかった。
 「下村文部科学相が是正要求に踏み切ったのは子供たちにルールの大切さを教える教育現場で、このまま違法状態を続けるわけにはいかないと判断したからだ。竹富町教委は教育機関として、早急に是正要求に従うことが求められている」(『産経新聞』2014年3月24日付)という記事もあるが、初めにルールを破った側、竹富町の正当性、行政の怠慢には触れない。
 72歳になる竹富町の慶田盛教育長は「平和の大切さを伝えるのが教育の役目だ。生徒は平穏に授業を受けている。狙いはどこにあるのか」といぶかる(『東京新聞』2014年3月16日付)。慶田盛教育長は文部科学省に初等中等教育局長を訪ね、是正要求に応じないと決定した経緯を伝えたが、初等中等教育局長は育鵬社版の採択、東京書籍版を副教材での使用を提案し、今後の町の取り組みをみて違法確認訴訟を判断するとした。訴訟をちらつかせながらの恫喝である。国は、もはや竹富町を屈服させることしか考えていない。正当性の有無など関係ないようだ。
 4月9日、教科書無償措置法が改正された。法的根拠がなかった採択地区協議会について設置義務を明記し、協議会の決定に従うことを義務づけた。したがって協議会を構成する自治体は自主判断で教科書を選定できなくなる。また、協議会の構成単位が市郡から市町村に細分化され、八重山地区から竹富町を分離し、町単独で採択することも可能で、その最終的な決定は都道府県教育委員会にあるとした。竹富町にとっては朗報である。
 国はそれでもあきらめない。文部科学省は4月22日、採択地区を決定する権限をもつ諸見里沖縄県教育長を呼びつけると、あくまでも共同採択が望ましいと、改善を促すよう求めている。察するところ、法改正はしたが、改正した法には従うなとでも言いたいようだ。
 しかし5月21日、沖縄県教育委員会は「竹富町の意向は尊重せざるを得ない」として、竹富町の離脱を認めることを決定した。諸見里沖縄県教育長も踏ん張った。これによって来年度から竹富町単独での教科書採択が可能となり、無償で生徒たちに配布されることになる。
 5月23日夕刊に「国、竹富町を訴えず」と見出しが出る。違法確認訴訟を検討していた下村文部科学相も「訴訟には時間がかかり、違法が確認されても、4月から使っている教科書を年度途中で変えられるのかという問題もある」と述べ、提訴しない考えを明らかにした。『東京新聞』は穏やかだが、『琉球新報』(5月24日付)では、下村文部科学相は沖縄県教育委員会の判断を強く批判したうえで、「今年度については違法性が継続される。法律論として提訴することは可能だ」と、相変わらず振り上げた拳の落としどころを探っている様子である。
 沖縄県、竹富町の両教育委員会は筋を通して闘い抜いたが、慶田盛教育長の言葉どおり「狙いはどこにあるのか」である。国の方針に沿って育鵬社版の歴史、公民の教科書を普及させていく過程で、全国あちこちで竹富町と同様の事態が起こることを見越しての「見せしめ」であろうか。「逆らうなら覚悟しろ!」とでも言いたいのであろう。
 「ウィキペディア」によれば、育鵬社版の教科書で学ぶ生徒数は歴史、公民を合わせて5万人になるという。当然ながら、歴史・公民ともに育鵬社版の教科書で学ぶ生徒たちも少なからずいるだろうし、石垣市、与那国町は来年度からそうなる可能性が高い。

 これは日本の小さな島の出来事だったが、世界が注目していた問題でもあった。『ニューヨーク・タイムズ』(2013年12月29日付)には「教科書闘争で、歴史の書き換えを狙う日本の指導者たち」という長文の記事が掲載され、ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』(明田川融・吉永ふさ子共訳、NHK新書、2014年)でも、この問題に11ページを割いていて、その末尾は次のようにまとめられている。
 「八重山地区の教科書採択問題に対する文科省の態度は、辺野古への基地移設計画で日本政府が見せた態度と同じく、法や民主的手続きを軽視する、きわめて粗雑なものであること見せつけた。(中略)辺野古と同じように、竹富町(人口四一一六人)対日本政府の闘いは馬鹿げているほど不公平な力関係である。しかし、日本の将来は、その闘いに大きくかかっている」(ガバン・マコーマック)
                                         (2014/07)



<2014.7.16>

工藤21/04.JPGジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』(明田川融・吉永ふさ子共訳、NHK新書、2014年)

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon

工藤21/04.JPGジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』(明田川融・吉永ふさ子共訳、NHK新書、2014年)