いま、思うこと24 of 島燈社(TOTOSHA)

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いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第24回/工藤茂
琉球処分・沖縄戦再び

 米軍基地の新設が予定されている沖縄県辺野古沖に、海上自衛隊の掃海母艦ぶんごを差し向ける検討に入ったという報道があったのは8月だった(『琉球新報』2014年8月7日付)。基地建設工事の事前調査支援という名目だが、建設に反対する住民による抗議行動を抑える狙いだったことは明らかである。
 この記事によると、2007年5月にも日本政府は掃海母艦ぶんごを派遣していて、「環境影響評価の事前調査に使う観測機器を海底に設置する作業などを支援するために派遣されたが、『威嚇行為だ』などと批判を受けた」とされている。もしやと思って調べてみると、はやり第1次安倍内閣当時のことだった。「やっぱり」と思った次第で、第2次安倍内閣で再び同じことが検討されているということである。
 掃海母艦とはいったいどういうものか。機雷の除去や燃料、物資の補給をおもな任務とするが、重機関銃や速射砲を一基ずつ甲板に装備した立派な軍艦だという。そういう軍艦を投入してまで住民を抑え込もうとしてきたし、再び行おうとしているのである。自衛隊法第82条では、海上での人命や財産保護、治安維持のために防衛大臣が自衛隊に対して必要な行動を命令できることになっている。
 軍艦を出すも出さないも政府の解釈、判断であるとしても、自然を守ろう、生活環境を守ろうとする住民を威圧するために、重機関銃や速射砲まで装備した軍艦を派遣しようとは、いったいどういう政府なのかと思う。

 かつて、宇井純氏の「公害原論」の講義に通っていたころ、いつも東京を中心に見ている地図を、ちょっと視点をずらして沖縄を中心にして見てみることを宇井氏はすすめた。要するに沖縄から見てみると、日本本土や東京は相当遠くにあって、台湾、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシアなどが思いのほか近いことに気がつく。琉球王国と呼ばれていた時代の沖縄は、それらの国々と自由に交易もできて豊かな島だった。それが日本に組み入れられ、実際には見えもしない国境に接する辺境へと追いやられ、すぐ隣の台湾にも行けなくなってしまった。
 1609年、薩摩の島津氏によって琉球王国は征服されるが、それ以後も貿易上の配慮から形式的に琉球王国を存続させて中国(清)との朝貢関係は許されていた。それが明治政府になると強硬姿勢に転じる。1879年(明治12)3月、政府は300〜400名の軍隊(熊本鎮台分遣隊半大隊)と160名の警官で首里城に入り、城の明け渡しを要求した。これによって琉球王国は崩壊し、沖縄は47番目の県として日本に組み込まれた。これが琉球処分といわれているが、軍事力を背景とした事実上の侵略、占領である。
 辺野古沖に海上自衛艦を派遣という記事を見たときに思い起こしたのは、まさにこの琉球処分である。国民の半数以上が支持する政府のやることなのだから、諦めるしかないのだろうか。いまのところは検討だけで、幸いにも軍艦が派遣されたという報道はない。いくら強硬な安倍首相とはいえ、少しは反省していると思いたい。

 一般に「米軍普天間基地の辺野古移設」と報じられているが、その実態は、軍港と航空基地、弾薬庫を備えた、普天間基地とは比較にならないほどの巨大な要塞の建設である。この要塞新設と普天間基地返還がセットにされてしまっているが、日本政府の姿勢次第では普天間基地返還のみで済ませることも不可能ではなかった。
 『沖縄タイムス』9月13日付で、モンデール元副大統領の2004年当時の証言が明かされた。1995年の海兵隊員による少女暴行事件当時、米軍基地の撤退を視野に検討していたアメリカ側に対し、日本政府が撤退を拒否し、駐留の継続を求めてきたという。日本側の交渉相手として橋本龍太郎首相(当時)と河野洋平外相(同)の名が挙げられている。さらに翌日の『琉球新報』では、日本政府は普天間基地の辺野古への移設という結論を希望し、なんの疑問も出なかったという。河野氏には、河野談話ではなくこの問題を国会で説明してもらいたいところだ。
 話をいまに戻すが、8月14日午前7時半過ぎ、辺野古周辺海域160ヘクタールを埋め立てる巨大な要塞の建設工事に向けて、キャンプシュワブ沿岸の海上のブイの設置工事が始まった。昨年12月27日、仲井真知事が承認した結果である。キャンプシュワブ・ゲート前には子どもからお年寄りまで300人を超える住民が抗議に押しかけたが、警察は(株)ALSOKの警備員を盾にして住民と向き合った。警察は住民との直接の接触を避けたようだ。ネット上では「警察が米軍を守り、警察をALSOKが守っている」と書かれているが、7月ころからこの状態が始まっていたという。女子レスリングの吉田沙保里選手などを起用したCMでイメージアップをはかっているのだろうが、ネット上には沖縄の住民と対峙するALSOKの警備員の写真がたくさん投稿されている(ちなみに、本体工事に先立つ準備工事は大成建設が五十数億円で受注している)。
 海上では、カヌーに乗った住民が作業を止めようと現場に向かったが、海上保安庁のボートで制止され近づくことさえできなかった。ドキュメンタリー映画『標的の村』の三上智恵監督は、琉球朝日放送を辞めフリーランスとなって辺野古で取材をしているが、彼女のレポートは次のように綴られる。
 「一夜明けると、海を埋め尽くす大船団が大浦湾に展開していた。『これじゃあ沖縄戦だ』
明け方、大川から大浦湾に猛スピードで入っていた私は、フロントガラスから飛び込んで来た海に浮かぶ黒い海保の大船団に胸が潰れそうになった。
 8月14日の光景は一生忘れないだろう。私だけではない。これを、沖縄戦開始を告げる1945年3月の光景とダブらせた人は多い。
 翌15日には、水平線に連なる大型の海保の巡視艇、海保のボート、警戒船、合わせて86隻までは数えた。島は、再び力ずくで包囲された。少なくとも辺野古沖は『占領』されたのだ」
 いま、辺野古沖の海上には立ち入り制限水域を示す黄色のブイが浮き、オレンジ色のフロートが見え隠れしている。この内側は工事が終わるまで常時立ち入り禁止とされ、侵入した場合は刑事特別法適用対象となり、海上犯罪として取り締まられることになる。
 海の安全を守る海上保安庁の職員は「海猿」と呼ばれて映画やテレビドラマで人気を集めた。しかし、辺野古沖で彼らのやっていることといえば、無抵抗の住民たちを怒鳴り散らし、威圧し、恫喝することだ。住民がフロートに接近しただけでも「海猿」に胸ぐらを摑まれ、法的根拠も示さずに拘束されるのが現実である。
 住民たちもつねに合法的な抗議だけでは済まなくなり、成田闘争での管制塔占拠のような行動も行われる。少々長くなるが、再び三上氏のレポートから。
 「8月30日、決戦の日。満を持して集まった40人のカヌー隊が、この日一斉に台船を目指し、国が海に浮かべた見苦しい赤い鎖を次々と超えていったのだ。(中略)目指すは辺野古浜近くの掘削作業用のやぐら。赤いフロートに二重に囲まれたあのやぐらを占拠し、作業を止めるためだ。異変に気づいた海保のゴムボートが猛スピードで集まってきた。(中略)作戦中止を訴える海保の怒号と、抗議船の拡声器で騒然とする中、次々にフロート間際で転覆させられるカヌー。投げ出される隊員、引き上げる海保。それでも、もみ合う一団をすり抜けて、何隻かのカヌーがやぐらに迫って行った。しかし、海保のボートに追いつかれ、次々に飛び乗られて撃沈。中に入っていったメンバーはすべて海保の黒いゴムボートに拘束された。乗り手がいなくなった色とりどりのカヌーが、あっちこっちの海面でひっくり返っていた。壮絶な海上の戦いの跡。市民の無謀な行動に呆然とする海保の姿があった。この40分、私の目の前で展開されていたのは、まぐれもない[原ママ]体当たり戦、だった。海のスキルを鍛え上げてきた海保の海猿たちにしてみれば、結局は捕まり、ゴムボートに拘束される運命とわかっていて、なぜ、カヌーのような弱い存在が次から次へと無駄な抵抗をするのか、理解できないだろう」
 こんな過激な行動は、けっして連日行われているわけではないが、政府の強硬なやり方がかえって怒りを増幅させることはたしかだ。

 菅官房長官は、9月10日の記者会見で「辺野古は過去の問題だと思っている」と、ひとをバカにしたような発言をしたが、当然ながら沖縄県民の反発を招いた。辺野古では8月23日の4,000人を集めた県民大集会に引き続き、9月20日には本島各地から70台あまりの観光バスで5,500人の県民が集まった。基地建設反対を訴えて11月の沖縄県知事選挙に立候補を表明した翁長雄志[おなが たけし]那覇市長も登壇し、「オール沖縄で、辺野古の基地建設は許さない」と、辺野古はいまの問題であることを訴え、聴衆は喝采を送った。さらに10月9日は平日にもかかわらず、県庁包囲行動には3,800人が参加して、辺野古新基地と高江ヘリパッド反対を訴えた。
 沖縄は辺野古新基地だけでなく、オスプレイのための高江ヘリパッド建設の問題も抱えている。しかしながら、高江の問題は2012年のオスプレイ配備撤回の10万人の県民大会当時から要求項目に含まれることはなかった。三上氏のレポートはその複雑な内面を伝えてくれる。
 「県知事も、野党が多数を占める県議会でさえも、高江については『北部訓練場の返還に伴う移設で基地強化ではない』という政府の認識を踏襲、オスプレイが使うとは聞いていないという立場をとっていて、それを今日まで修正できないでいる。もちろん2012年9月の大会当時、高江に作っているのはオスプレイ用のヘリパッドであることは米軍の資料で明白になっていた。(中略)ところが、保革があらゆる政策の齟齬を棚上げして繋がる『オール沖縄』の駆け引きの中で、高江は抜け落ちてしまった」
 高江の人々の訴えや三上氏の『標的の村』上映会などのおかげで、いま沖縄のひとびとにもひろく高江の問題が認識され始めたところだという。
 
 11月に投票が行われる沖縄県知事選挙は、日本の行方を見定める重要な選挙だと思う。新たに選ばれた知事で辺野古基地建設を阻止できなければ、沖縄は永久に米軍基地の島となるだろう。現在4人が立候補を表明しているが、大田昌秀元知事が下地幹郎氏支持を表明し、喜納昌吉氏が立候補を表明したあたりから流れが混沌としてきた。ぼくの消去法では翁長氏が残るが、どの程度信頼してよいのか、自信はない。
 そんななか、『琉球新報』(2014年10月10日付)の「米、移設へ影響見極め」という記事で、アメリカ上院軍事委員会関係者の談話が紹介された。この記事では、普天間基地を使い続けるのは難しい、しかしながら辺野古基地建設についての沖縄県民の民主的な選択も尊重しなければならない、まずは知事選とその後の動向を見極めるしかない、というアメリカ側の慎重な姿勢がうかがえ、強行一辺倒の日本政府との微妙なズレを浮かび上がらせていた。
 さて、10月9日に福島県知事選挙が告示されたが、自公民相乗り候補のひとり勝ちという結果も見え隠れするようだ。ぼくらにできることといえば、福島や沖縄のひとびとの賢明な判断に委ねるしかない。 (2014/10)


<2014.10.16>

工藤24/01.jpg意見広告実行委員会の全面広告(『東京新聞』2014年9月5日付)

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon

工藤24/01.jpg意見広告実行委員会の全面広告(『東京新聞』2014年9月5日付)

工藤24/05.jpg「辺野古の海 写真展」銀座2丁目にて(2014/09/28)