いま、思うこと25 of 島燈社(TOTOSHA)

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いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜

第25回/工藤茂
鎮霊社のこと

 昨年暮れの安倍晋三首相による靖国神社参拝について、アメリカ政府をはじめ世界中から非難の声が届いた。そんな非難が届く直前のこと、安倍首相はいくぶん得意げに記者会見を行っている。
 「本日、靖国神社に参拝をいたしました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そして御霊安かれなれと、手を合わせて参りました。そして同時に、靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをしてまいりました。鎮霊社には、靖国神社にまつられていないすべての戦場に倒れた人々、日本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて全ての戦場で倒れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをしました。すべての戦争において、命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくるとの決意を込めて、不戦の誓いをいたしました」(『産経新聞』2013年12月26日付)
 各国政府や公の機関からの非難の一方で、即座にアメリカから支持のメッセージも届いていた。以前より安倍首相と親交のある、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は、次のようにインタビューに答えている。
 「安倍首相の靖国参拝で最も印象的なのは本殿だけではなく鎮霊社も参拝したことだ。外国の人々には、鎮霊社を訪れた意味を理解してほしい。重要なのは、鎮霊社には世界のあらゆる国の戦没者が祭られているということだ。ここには第二次世界大戦で、旧日本軍と戦った米国人や中国人なども含まれている。安倍首相が鎮霊社を参拝したのは平和を望む意思があったからであることは明白である」(『産経新聞』2013年12月28日付)
 安倍首相が得意げだったのは、この鎮霊社に参拝したことにある。彼はこれによって多くの批判をかわせるはずと目論んだのであり、そしてこの参拝は歴代首相で初めてのことだった。彼はなにがあっても鎮霊社参拝を強調したかったが、報道の多くは批判の紹介に割かれ、鎮霊社参拝にはほとんど触れることはなかった。ぼくもこの会見は、テレビのニュース映像で一度観たにすぎない。
 それが安倍首相には腹に据えかねたようで、今年の4月24日、赤坂迎賓館で行われたオバマ大統領との共同記者会見の席でも、同様の発言を繰り返していた。しかしながら、オバマ大統領にも、日本をふくむ世界中の多くのひとびとにも、安倍首相の真意は理解できなかったはずである。どうして施設がふたつに分かれているのか首を傾げてしまうのである。
 この鎮霊社について、靖国神社ホームページでは次のように紹介されている。
 「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました」
 靖国神社の前身である東京招魂社の創建は1869年(明治2)である。鎮霊社は本殿創建から100年も過ぎてから建立されている。手元にあるパンフレット『やすくに大百科』掲載のイラストでは木立で囲まれて本殿からは隔離されているように見えるし、ホームページでは木製の塀で遮られて描かれている。いずれにしても、目につかないように境内の片隅にひっそりとおかれているのである。
 「国内、及び諸外国の人々を慰霊するため」に、本殿とは別に小さな祠をつくらなければならなかったのである。素晴らしいメッセージでありながら、どこかちぐはぐな様子がうかがえる。得意げな安倍首相の言葉もそうだったが、言い訳がましさのようなものを、ぼくは感じ取った。

 今年の9月、よく晴れた日曜日だったが、靖国神社へ出かけてみることにした。日曜日はいつも駐車場のあたりで骨董市がひらかれていて、そこまではよく行くのだが、神門をくぐって拝殿付近まで行ったのは一度しかない。2006年の5月、遊就館を覗いてみようと出かけた。館内の展示よりも映像ホールで上映されている映画に目眩を覚え、そそくさと退出してきた。日露戦争時の戦場場面の再現映画だった。戦争讃美・肯定が目的とはいえ、よく練り上げられた演出・構成の作品なら、その内容に納得できないまでも観ていられたかもしれないが、そういうレベルのものではなかった。
 話を戻すが、神門をくぐって拝殿の前を左に折れ、参道はなく砂利を踏んで歩いていく。「元宮・鎮霊社」と右矢印が描かれた案内板がある。元宮とは幕末の志士たちを祀った旧招魂社で、1931年(昭和6)に京都から移され、いまは鎮霊社の右手にある。矢印にしたがって進むと鎮霊社へ行けると思ったのだが、そうはいかなかった。すぐに屋根付きの木製の縦格子の塀(垣根と呼ぶべきかもしれない)で行く手は阻まれてしまった。貼り紙が張ってある。
 「警備の為現在閉扉しております この場にて ご参拝下さい」
 この貼り紙には、いま立っている位置と、元宮・鎮霊社の位置関係を示す図も描かれてある。元宮と鎮霊社の方向に向かってこの場で参拝しろと言っているのだ。縦格子の隙間から見えないものかと顔を押し当ててみたものの無駄だった。絶対に見せないという意地のようなものさえ感じられた。
 「この場にて ご参拝下さい」という文面は、ほかの施設で見かける「○○をご希望の方は 受付までお申し出下さい」の類とは明らかに異なる。「参拝はここで」という意思が明確だ。
 靖国神社の境内は開放的である。もちろん昇殿には手続きが必要だが、拝殿前までなら基本的に開放されているし、本殿右手の神池庭園のあたりまでは自由に散歩ができる。だからこそ、本殿左手の奥、木々に覆われ閉鎖された一画はいっそう際立って感じられた。
 島田裕巳『靖国神社』(幻冬舎新書、2014年)には、「平成26年5月現在では」と断ったうえで、ぼくが見たままの貼り紙のことが記されていた。ぼくが目撃したものが裏付けられたようで心強い。
 ネット上では、2013年4月にアップされた元宮と鎮霊社に行った際の動画を見ることができた。ぼくを遮った屋根付きの塀など、その気配も見られないようだ。ほかに、2014年1月に投稿の方は、「ご参拝ご希望の方は衛士にお申し出ください」という貼り紙があって、声をかけると別の衛士を呼んで開けてくれたという。別の投稿では、安倍首相の参拝以降多くの参拝客から問われ、警備が難しくなって閉じたという事情を衛士から聞いたという。

 安倍首相の参拝以前にも鎮霊社が注目されたことがある。2006年10月12日から32年ぶりに一般公開された際、いくつかの新聞に紹介されている。そのなかから『東京新聞』の「『鎮霊社』からみた靖国神社」(2006年8月12日付)と「鎮霊社『靖国』の回答検証」(同年8月29日付)、『毎日新聞』の「32年ぶりに『鎮霊社』一般公開へ」(2006年10月12日付)は、いまでもネット上で転載記事として読むことができた。ほかに、靖国神社執行部の内部事情に詳しい「一兵士」氏がネット上に記したもの、前掲島田裕巳『靖国神社』、高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書、2005年)などを参考にまとめてみたい。
 鎮霊社は、筑波藤麿宮司の意向によって建立された、高さ3メートル、10平方メートルほどの小さな祠である。筑波氏はその名前が示すとおり元皇族である。1963年、核兵器禁止宗教者平和使節団の一員として欧米諸国歴訪の折、宗教者たち、国連事務総長らと面会し、世界平和のために全世界の戦没者を祀ることを思い立つ。しかし、靖国神社のあり方と異なるため反対も少なくなかった。靖国神社とは明治天皇の詔勅によって創建された勅祭社であり、天皇陛下の命令により国家に殉じた軍人を祀る神社である。一兵士氏のように「間違っても『平和を祈る神社』などと思わないように」という意見すらある。
 それでも筑波宮司の強い意向で1965年に建立されるが、74年には鉄柵や垣根で囲み希望者のみを案内するように方針転換となる。北海道神宮放火事件や神社本庁爆破事件のような攻撃を恐れてというが、真相は執行部内の路線の違いにあるようだ。執行部には、靖国の新しい形を模索する立場、本来の靖国に回帰する立場の両者があって、就任した宮司、権宮司の方針によるという。「本庁派」「正統派」という呼び方もあるらしい。そして南部利昭宮司の代の2006年、一般公開に踏み切ったのである。
 一兵士氏によれば、鎮霊社は最高意思決定機関である総代会にはからずに建立されたため、神社側では積極的に広報をしようとはせず、「鎮霊社については、明治天皇の聖旨とは異なる御社であることを、先ず以って認識せねばならない。よって、今日以降も密かに奉斎続けることを見解とする」という「宮司通達」(1993年、大野俊康宮司当時)も出されたという。さらに一兵士氏は、祭神名も不明で霊璽簿[れいじぼ]も鳥居もなく神社ともいえない代物、と強く反発している。事実、並んで建っている元宮には鳥居があるが、鎮霊社にはない。
 ともかく、2006年10月12日から一般公開となり、ネット上に動画が投稿された2013年4月までは自由に参拝できたようではあるが、対応には微妙な揺らぎもみられたようだ。 
 日本現代史の秦郁彦氏は2001年、「1978年に合祀する前は、A級戦犯はここで祭られていた」と月刊誌に発表し、話題を呼んだ。秦氏は『東京新聞』の取材にも詳しく答えている。
 「靖国神社の総代会がA級戦犯の合祀を決める1970年以前に、総代たちと厚生省引揚援護局との間で合祀の根回しがあり、それに気づいた筑波さんがA級戦犯の『収まりどころ』として先手を打つ形で建立したのではないか。(中略)筑波さんは宮司の任免権を持つ総代会から合祀を求められ、拒めなかったが、同時に合祀する気もなかった。昭和天皇の意を体していた」と語っている。
 筑波宮司没後、後任の松平永芳宮司が1978年にA級戦犯を合祀するが、「筑波さんを補佐していた禰宜[ねぎ]に話を聞き、A級戦犯は一時、鎮霊社にいたことを確認した」と秦氏は語る。
 この件について同神社側からの回答がある。「学者にはいろいろな推論もあろうが、御本殿の御祭神と鎮霊社の御祭神では全く性格を異にしている。鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象と認識している」。
 秦氏は、「肯定はしていないが、否定もしていない点が重要だ。(中略)肯定すれば、A級戦犯は鎮霊社から分祀して本殿に移されたと認めることになる。これは靖国を深刻な矛盾に直面させる。つまりA級戦犯の本殿からの分祀を拒んでいる靖国自身が、分祀した過去を認めることになるからだ」とみる。雑誌に考察を発表した2001年当時、「自民党内から『A級戦犯は鎮霊社にお帰りいただいたらどうか』という声が出たと聞いている。靖国神社はA級戦犯分祀論との絡みで、鎮霊社が話題になることを嫌がっているのではないか」と秦氏はいう。
 靖国の正統護持を唱える一兵士氏は、「A級戦犯の収まりどころ」説をきっぱりと否定したうえで、「小生に言わせれば鎮霊社はすみやかに廃社すべき存在。心ある人々は鎮霊社を破棄したい。これが正論です」。さらに「松平宮司なら廃祀出来たはずなのに、前宮司(筑波氏)に遠慮して、鎮霊社に触れることを厳禁しただけ」としている。
 ついでに祭神の分祀について触れておく。前掲島田裕巳『靖国神社』によれば、神道には教義はなく、一般の神社では霊を分ける分霊は行われてきているし、分祀できないというのはあくまでも靖国神社側の言い分にすぎないという。ちなみに、1974年にフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎氏自身は「靖国神社に一度祀られた」と述べているが、靖国神社側は、「招魂はしたが生きている人間の魂なので合祀にはならなかった。したがって最初から祀られたことはない」としている。

 ところで、先の靖国神社の回答のなかに、「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象と認識している」とある。「奉慰」と「慰霊」は同じ意味であろう。しかし「顕彰」といえば、善行や功績をたたえ、ひろく知らせることになる。戦争を否定しておいて「顕彰」はあり得ないだろう。少なくとも戦争の肯定なしには「顕彰」はないのである。
 これでは政治家、一般人にかかわらず靖国神社に参拝するということ、真榊[まさかき]を奉納するという行為はどういうことかというところに立ち返ってくる。靖国神社も自衛隊や米軍基地同様、平和を希求し、戦争の放棄を宣言する日本国憲法と矛盾する存在ではないか。昭和天皇はA級戦犯合祀以降に参拝を取り止めたが、日本国憲法施行以降、参拝すべきではなかった。戦没者の遺族でもあった石橋湛山が「靖国神社廃止の儀」で訴えたように、戦後早々に廃止すべきものだったのではないか。
 安倍首相の参拝によってちょっぴりスポットライトを浴びた鎮霊社だが、存在自体が定まらないものであり、首相が意図したことも空振りに終わったまま、再びその一画は閉じられてしまった。首相官邸サイドから鎮霊社参拝の打診があったときの内部の様子を知りたいところだが、確認できない。靖国神社執行部は、どうやら以前のように「日陰の身」にしておきたくなったようだ。 (2014/11)


<2014.11.17>

工藤25/06.JPG閉ざされた一画

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工藤 茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの
<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon

工藤25/01.JPGパンフレット『やすくに大百科』

工藤25/02.JPG大村益次郎銅像(以下、靖国神社境内/2014年9月/写真・筆者))

工藤25/03.JPG神門

工藤25/04.JPG拝殿

工藤25/05.JPG「鎮霊社・元宮」の案内板

工藤25/06.JPG閉ざされた一画

工藤25/07.JPG 貼り紙