いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第94回:沖縄を襲った新型コロナウイルス

 不愉快な暑さが続くと思っていたら、静岡県浜松市で、とうとう国内の歴代最高気温に並ぶ記録が出た。熱中症で搬送されるひとも増えている。毎日ニュースで流される数字も、これまでの新型コロナウイルスの感染者数に熱中症搬送者数も加わって、注意しないと混乱しそうである。
 日本の新型コロナウイルスの感染状況も、少し前までは「重症者が少ない」「ベッド数に余裕がある」などと報じられていたが、最近はそういう余裕もなくなってきたようだ。いったいこれからどうなるのかと、みんな首をすくめて周囲を窺っているかのようだ。総理大臣や官房長官をはじめ政府関係者も、責任の火の粉がおのれに降りかからないように、明確な発言を控えているようにみえる。
 ひと頃は菅義偉官房長官に「東京問題だ」とまで言われ、感染者が急増していた東京都だが、いまは沖縄県が全国ワーストになった。8月16日時点だが、直近1週間の人口10万人あたりの感染者数は33.7人で、2位の東京の13.21人を大きく引き離している(『沖縄タイムス』電子版、2020年8月18日付)。
 沖縄県は7月31日、8月15日までの県独自の緊急事態宣言を発令していたが、8月13日になって29日までの2週間の延長、県の警戒レベル最上位への引き上げを発表した。

 『沖縄タイムス』電子版(同年8月9日付)に、「『沖縄はパラダイス』米兵、薄い危機感」という記事があった。
 アメリカのエスパー国防長官は6月8日、アメリカ39州と日本を含む海外5カ国について、米軍の旅行規制を解除し、沖縄などへの米軍兵士の異動を再開させた。
 軍のチャーター機で沖縄にやって来た米兵たちは、基地内の施設で14日間の隔離期間を過ごすことが義務づけられている。ただ出国時も、日本への入国時も新型コロナウイルスの検査を受けることもなかった。取材に応じた4人の米兵たちのなかで、マスクを持っている者はひとりもいない。外出は許可されていて、タクシーで街へ繰り出し、レストランで食事をしたりビールを飲んだりしている。カリフォルニア州からやって来た米兵たちが語った印象は次のようなものだ。
 「アメリカより安全。そして自由。沖縄はパラダイスだと思った」
 この当時(6月17日〜7月10日)、在日米海兵隊のコロナ対策の警戒レベルは「B」。基地外での食事やビーチでの海水浴も認められていた。その一方、彼らがいたカリフォルニア州では、3月19日に出された外出禁止令は5月10日に一時緩和されたものの、7月1日には再びレストラン店内での飲食は禁止、バーは営業停止、ビーチも閉鎖という厳しさに戻っている。
 新型コロナ感染者数の世界最多の国はアメリカである。在沖米軍の多くは、アメリカのなかでも感染率が高いカリフォルニアからやって来ている。在沖米軍の危機意識の低さについては米兵内部からも、憤りの声がある。

 沖縄県では、5月1日から7月7日まで感染者数ゼロが続いていた。それが8日になって、沖縄本島中部の保健所管内で1名の感染者が確認された。感染者数ゼロは68日間でストップとなった。前日の7日には、普天間飛行場に住む複数の米軍軍属の感染が確認されていた。以降、米軍関係者の感染者数は上下しながらも出ていて、米軍関係者以外の感染者は7月23日頃から目につくようになってきた。
 7月24日に新たに10人、米海兵隊員41人、翌25日には米軍関係者だけで205人も確認された。在日米軍は同日より、日本に入国する米軍関係者全員のPCR検査を始めたが、まだまだ不安は残るようだ。米軍関係者でも基地の外で生活している例もあれば、基地へ通勤している日本人もいる。感染者が基地内から市中へとひろがるのは自然のことだろう。記事では「68日間にわたり、コロナ感染を抑え込んできた沖縄に、米本土からウイルスが持ち込まれたことは間違いない」と断定している。
 この記事が出る直前の8月7日には、米軍関係者4人、米軍関係者を除く県民だけで100人、9日には158人、その後も100人をこえる日もあったが連日50人をこえる感染者を数えている。これに比べて米軍関係者は数人程度で落ち着いているようだ。

 国のGo to トラベル事業の開始は7月22日。沖縄県の感染者数の増加と安易に結びつけそうになるが、感染から症状が出るまで2週間ほど要することを考慮すると、8月6日以降についてはその影響と考えられそうだ。ただ、テレビのニュース映像を観ていて驚いたのは、予想以上に本土から沖縄への観光客が多かったことである。「どうしてこんなときにGo to トラベルなんか…」と、菅官房長官がさんざん突き上げられていた時期であり、東京の感染者数も増加傾向にあった。
 それでも、13日の玉城デニー知事の会見によれば、県外からの旅行客はすでに減少傾向にあり、発生源が「移入例」や「持ち込み例」から県内の市中感染に変化しているという。そのため、県内での不要不急の外出自粛の徹底を呼びかけたが、県外からの渡航自粛要請には踏み込まなかった(『琉球新報』電子版、同年8月14日付)。
 初めは米軍関係者から、そして本土からの観光客、そして市中感染へと、新型コロナウイルスは沖縄で感染拡大し続け、もはや誰もが感染しても不思議ではない。国も重い腰をあげたようだ。玉城知事からの要請に応じ、県外からの看護師や保健師の派遣や、医療施設が逼迫した際には自衛隊による県外への患者の搬送などの検討に入ったようだ。県では、8月16日が感染者数のピークと予測していたが、はたしてどうであろうか。結果は、もう少し待つ必要がありそうだ。

 東京都医師会の尾崎治夫会長は7月30日の会見で、「このままでは、日本全体が火だるまに陥っていくと考えている」と警鐘を鳴らし、「良識ある国会議員のみなさん、コロナに夏休みはない。国会を開き、国がすべきことを国民に示してほしい」と訴えたが、政治の側からの反応はあっただろうか。
 「AERAdot.」(同年8月13日付)に尾崎氏へのインタビュー記事があり、地方自治体に丸投げする政府の姿勢に懸念を表している。
 「国が各地の知事に強制的に店舗を休業させる権限や補償の財源など、戦[いくさ]でいう「武器」を持たせるなら任せてもいい。しかし武器を持たせず、責任だけ自治体に押しつけ文句ばかり言う。先日、沖縄でコロナの療養ホテルの確保が追いついていないことに菅義偉官房長官は記者会見で苦言を呈したが、丸投げしておいてそれはおかしい」
 冒頭にあげておいた「東京問題」も、まさにそうである。尾崎氏が国に求めていることは、特措法を改正しての休業補償をともなう強制力のある休業要請、原則無料でのPCR検査の拡充、新型コロナ専門病院の設立である。同氏は自民党員であるが、「危機の時こそ、リーダーは積極的に話をするべきだ」と、コロナが感染拡大する前は能弁だった総理が、なぜ何も言わなくなったのかと、あえて安倍晋三首相に苦言を呈している。
 その安倍首相が、広島、長崎と久しぶりに会見に現れたが、長崎での会見では特措法改正については感染が収束した段階で検討すると答え、唖然とさせられた。健康上の問題があるのなら即座に辞任し、治療に専念すべき。いまの日本はそんな体調で乗り切れるものではない。まさに日本中が火だるまになってしまう。
 インターパーク倉持呼吸器内科の倉持仁院長が、テレビの報道番組で「日本のやっているところをみると、まるでブラジルを見ているようです。何もやっていないのと同じです」と憤っていた。同氏のツイッターには、「今のままの無策ではいずれ、高齢の方に感染が広がり、重症者・死亡者が急増してしまいます。もう政権を自民党内でもよいし、野党でもよいので変えないと、取り返しのつかないことになります」(同年8月10日付)とあった。
 政府のやっていることよりも、このおふた方のほうが信頼がおけそうなのだが、いったいこれからどうなるのであろうか。いま我々は、泥舟に乗っているのだろうか。 (2020/08)


<2020.8.20> 

沖縄県の感染者数/8月17日現在(Yahoo Japan「新型コロナウイルス感染症まとめ」より)

全国の発生状況/8月17日現在(Yahoo Japan「新型コロナウイルス感染症まとめ」より)

いま、思うこと

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 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②

  
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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon