いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第146回:2024年ノーベル平和賞と原爆裁判

 12月10日夜(日本時間)、今年のノーベル平和賞の授賞式がノルウェーの首都オスロで行われ、被爆者の立場から核廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)へ授与された。
 会場には被団協関係者ほか、ノルウェーのハラルド国王、在ノルウェー各国大使ら、およそ1,000人が出席し、その模様はテレビ、新聞でも大きく報道された。核保有国のロシア、中国、事実上の保有国といわれるイスラエルの大使は欠席した。
 被団協代表委員の田中熙巳[てるみ]氏による講演に先立って、ノルウェー・ノーベル委員会のフリードネス委員長によるスピーチがあり、国際規範「核のタブー」構築への貢献は他に類を見ないものだったと、被団協の活動を評価した。
 田中氏の講演は、長崎での自身の被爆体験や、核廃絶に向けた被団協の68年の活動を紹介したうえで、日本での被爆後に海外在住となったひとたちの存在にも触れながら、「核なき世界」を求める被爆者の想いを語った。
 ウクライナ戦争において核で威嚇するロシア、ガザ攻撃のなかで核使用を口にするイスラエル閣僚、第五福竜丸事件を引き起こしたアメリカの水爆実験などを批判し、被爆者に対する日本政府の対応の薄さも訴えた。
 被爆者援護法に触れるなかで、「何十万という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております」と述べた直後、「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたい」と語気を強めた。
 この部分は原稿にはない、咄嗟に出た叫びだったというが、テレビではほとんど触れなかったように思う。他方ネットのX上では田中氏の想いは伝わらず、まったく異なる反応で盛り上がっていたのだが、のちに取り上げることにする。
 
 田中氏は講演の冒頭部分で、原爆被害の賠償と核廃絶という被団協の基本要求について触れている。これは、1984年に被団協がまとめた「原爆被爆者の基本要求」のことで、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」、そして「原爆援護法の即時制定」の二本柱からなる。つまり被団協が訴えてきたのは「核廃絶」だけではない。核戦争による被害の責任を認め、そのうえで原爆死没者に対する補償も含めた援護法を制定せよと、日本政府に訴えてきたのである。
 自分なりに調べてみると、被団協が「国家補償にもとづく被爆者援護法」の要求を出したのが1961年、その要求運動に対して政府が「国家補償拒否、原爆被害者を含む戦争被害受認論」を打ち出したのが80年だった。被団協の「原爆被爆者の基本要求」の背景には、政府の「戦争被害受忍論」があったことが理解できる。
 「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべて国民が等しく受忍しなければならない」(「原爆被爆者対策基本問題懇談会」答申、1980年)
 1968年、戦争で失った海外資産の補償を求めた裁判での最高裁判決が、この考えが打ち出された最初で、以来政府はこの「受忍論」を盾に戦災被害者の訴えを退けてきている。東京大空襲の被災者や遺族が求めている国による補償も同様の扱いである。
 1952年の戦傷病者族援護法、53年の軍人恩給復活などはあるが、これらは軍人・軍属に限られた戦災者援護法制であって、一般人の被害は対象外である。
 我が国は一方的に攻撃されたわけではない。国の判断で攻撃を仕掛けての戦争である。その判断の誤りも少なからず指摘されている。それでも国は責任を認めようとはしない。
 我が国と同じ敗戦国であるドイツでは、1956年の「連邦補償法」により、国の内外を問わず、ナチスドイツによる被害者に対してこれまで7兆円におよぶ補償を行ってきていて、今後の補償予定額も3兆円になるという。さらに2000年になって、強制労働をはじめとした戦争被害にも補償が行われるようになった。
 
 田中氏の咄嗟に出た訴えに対して、X上には「補償は、日本政府ではなくアメリカに言うべきことだ」という書き込みがあふれた。それに対して「サンフランシスコ平和条約で、日本は請求権を放棄している」というわずかな反論もあって救われた。
 正確には1951年9月8日締結のサンフランシスコ平和条約、第十九条「戦争請求権の放棄」である。ドイツがポーランドに攻め入った第二次世界大戦勃発の39年9月1日から、条約の効力が発生した52年4月18日までの間、戦争により発生したすべてにおいて連合国側への請求権を放棄している。したがって、アメリカへの賠償請求はできないことになる。
 ただ敗戦前のことになるが、日本政府はわずかな抵抗を示していた。
 衆議院「米国による原爆投下に対する日本政府の対応に関する質問主意書」によれば、長崎に原爆が投下された翌日の1945年8月10日、日本政府は中立国のスイスを通じて「原爆を使用せるは人類文化に対する新たな罪状なり」と、アメリカに厳しく抗議している。もちろん抗議だけで終わっていて、その後はアメリカの核抑止力に頼りきったままで現在に至る。
 
 今年前半のNHK大河ドラマ「虎に翼」は、原爆裁判に携わった女性判事三淵嘉子[みぶち よしこ]をモチーフにしたもので、視聴率も高かったようだ。
 1955年4月、広島と長崎の被爆者たちは国による損害賠償とアメリカの原爆投下の国際法違反を問う訴訟を、東京地裁に提起した。判決が言い渡されたのは63年12月。
 原告の請求を棄却したが、「アメリカによる広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」という画期的な判決を下した。さらに「被爆者個人は損害賠償請求権を持たない」が、「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府および内閣の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」というものであった(「被団協」HPより)。
 田中氏の訴えの背景にあったのはまさにこの判決文だった。これがありながら、国は「戦争被害受忍論」など唱えはじめたのだから呆れるしかない。この判決文を読み返せと国に訴えているのだ。
 三淵はこの裁判を担当した3人の裁判官のひとりだが、途中交代することなく8年にわたって評議に携わったのは三淵だけである。
 
 田中氏の講演のなかに、核兵器禁止条約に不参加の我が国を非難する言葉はなかったが、授賞式の翌日、ノルウェーのストーレ首相との面会の席で日本政府に要請することを述べていた。
 授賞式のあと、晩餐会が始まるまでの間、ノルウェーの平和団体主催のノーベル平和賞恒例のトーチパレードが行われた。たいまつは例年の2倍以上の2,500本が用意され、酷寒のなか、市民たちはノーベル平和センターから20分ほどかけて田中氏らが滞在するホテルまで歩いた。ネット上で見たその動画は美しく、感動的だった。 (2024年12月)


 <2024.12.19> 

授賞式で講演する田中熙巳氏(ノーベル財団HPより)

授賞式後のトーチパレード(ノルウェー大使館Xより)

いま、思うこと

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon