いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第79回:安全には自信のない日本産食品

 今年の4月中旬のこと、世界貿易機関(WTO)の紛争を処理する上級委員会(二審に相当する)は、福島第1原発事故後に行われている韓国による福島県など8県産の水産物輸入禁止措置について、紛争処理委員会(一審)が不当とした判断を破棄したという報道があった。またもや日韓問題だが、こちらは日本側の明らかな逆転敗訴である。WTOの紛争処理は二審制のため、これが「最終審」の判断となるという。
 韓国は、2013年に青森、岩手、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、千葉の8県で水揚げ・加工された水産物の輸入を禁止したが、2015年、日本政府は科学的根拠がないとしてWTOに提訴。昨年2月、一審の紛争処理委員会では輸入禁止は不当な差別として28種の禁輸解除をうながし、韓国はこれを不服として上訴していたのだ。

 二審の判断は、韓国の措置について「必要以上に貿易制限的」とはいえないなど、放射性物質の影響を懸念する韓国の訴えに沿った内容だが、食品で許容できる放射線レベルなどの安全性に関しては見解を示していない。
 日本政府は、自分たちの主張が否定される事態をまったく想定していなかった。WTOのお墨付きを得て、日本産食品の安全性を世界に訴えるつもりだったのだが、大誤算となってしまった。それでも日本政府は強気の一点張り。菅義偉[よしひで]官房長官はこんな記者会見を行っていた。
 「(菅官房長官は)『敗訴の指摘はあたらない』と強調した。理由として、上級委が日本産食品の安全性に触れていないため『日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を十分クリアするとの一審の事実認定は維持されている』ことを挙げた」(『朝日新聞 DIGITAL』2019年4月23日付)

 いったいなにを言っているのかと首を傾げてしまったのだが、この記事のタイトルは「WTO判決『日本産食品は安全』の記載なし」である。
 『朝日新聞』の記者はWTOの報告書を読み込んだが、一審の報告書には「日本産食品の科学的安全性は認められた」との記載はなかった。さらに、一審では「日本産食品が韓国の安全基準を十分クリアする」と認定していたものの、二審は「食品に含まれる放射性物質の量だけに着目した一審の判断は議論が不十分」との理由で取り消していた。
 翌日、早速日本政府側から抗議があった。河野外務大臣は「わが国が適切な基準値の設定、モニタリングと適切な出荷制限管理により安全性を確保し、食品中の放射性セシウムの濃度が日本と韓国の基準を下回ることを認めている」と反論した。
 報告書を仔細に調べ上げている『朝日』の記者は、その場で「科学的に日本の食品の安全が認められた」との表現に関する認識をただす。河野外務大臣は「一審の報告書の文言を読んでもらえれば、日本産食品は科学的に安全であると、科学的な知識のある方は当然に理解できる」 と具体的に根拠を示すこともなく逃げた(『朝日新聞 DIGITAL』同年4月24日付)。

 いつものことだが、政権側の言うことはすっきりしない。この件について、「LITERA」(同年4月24日付)が興味深い分析をしていた。
 「LITERA」編集部によると、やはり一審の報告書には「日本食品は科学的に安全」という文言は見つからなかった。さらに「食品中の放射性セシウムの濃度が日本と韓国の基準を下回ることを認めている」という河野外務大臣の発言は誤魔化しのようだ。報告書で問題になっているのはセシウム濃度ではなく、韓国の安全基準である。韓国の安全基準は多面的な複数の要素で構成されているにもかかわらず、「食品に含まれる放射性物質の量だけ」でもって韓国の安全基準をクリアとした一審の判断を否定したのである。

 「LITERA」の記事にはさらに興味深い内容があった。WTO協定のひとつに「衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)」がある。日本政府は韓国を提訴する際に、「科学的な原則に基づいて(必要な検疫措置を)とること」(SPS協定第2条2)で争うことを避けて、「恣意的な不当な差別の禁止」(SPS協定第2条3)や「必要以上に貿易制限的でないことを確保する義務」(SPS協定第5条6)などの違反にあたるとして提訴している。
 つまり、日本政府は当初から「科学的に安全」であることの立証から逃げていたのだ。一審の報告書に「日本産食品は科学的に安全」の文言がないことは当然で、二審の報告書でも科学的な安全の立証の不十分さが指摘されているという。
 つぎは、WTOに詳しい中川淳司中央学院大学教授のコメントである。
 「日本が2条の2違反を主張しなかったのは、立証が難しいと考えたからだろう。日本が『王道』の議論を避けた時点で、この裁判は勝ち目がなかったと思う」
 菅官房長官がどうしても隠したかったのは、みずから「科学的立証」を避けたことこそが逆転敗訴を招いたことであった。そのために必死になって事実を歪曲していたのだ。

 現在、福島第1原発事故を起因とする日本食品の輸入規制を行っているのは、次の23の国や地域である。
 香港、中国、台湾、韓国、シンガポール、マカオ、米国、フィリピン、インドネシア、ブルネイ、仏領ポリネシア、アラブ首長国連邦(UAE)、エジプト、レバノン、コンゴ民主共和国、モロッコ、欧州連合(EU)、アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン、ロシア、イスラエル。
 事故直後は輸入を停止した国が50カ国もあったが、いまではここまでに減った。多くの国や地域は規制を緩和してきているのだが、韓国は2013年に規制を強化している。ここに韓国のみをターゲットにして提訴した理由があるようだ。正直のところ、ぼくは安倍政権による韓国叩きの一環ではないかと調べはじめたのだが、こういうところに落ち着いた。
 いくら日本政府が安全と言ったところで、安心できなければ規制するのは当然のこと。輸入牛肉のBSE問題では日本も実施してきている。輸入するかどうか判断するのは相手方である。安倍政権と最も親密なアメリカ政府さえも、いまださまざまな品目を輸入規制しているのだ。 (2019/05)
  
  
<2019.5.20> 

東京港、青海コンテナ埠頭(2017/11)[写真提供/筆者]

同上

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon