いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第73回:築地へ帰ろう!

 豊洲市場は予定どおりに10月11日に開場となった。ターレの行進が築地から豊洲大橋を渡る様子をテレビでみたが、築地の職人たちがヒーローのように行進するさまは、なかなか絵になっていた。
 すでに仕上がっていた豊洲市場が抱える多くの欠陥については、建築エコノミスト森山高至氏や建築士の水谷[みずのや]和子氏、東京中央市場労組委員長の中澤誠氏などが数年前から繰り返し指摘していて、築地市場移転の愚かさを訴えてきていた。
 それは、築地市場と高級消費地銀座をセットとした食文化としての価値に加え、建築史的価値をそなえた施設としての同市場を、未来への遺産として維持しつづけることを訴える説得力のあるものだった。目くらましのように解体されてしまった国立競技場への悔恨の念もあってか、懸命のはたらきかけとなっていた。
 もう数年前からの動きなので、この方々は移転を確実に食い止める方策をすでに手中に確保しており、豊洲への移転はないものと信じていた。しかし森山、水谷両氏は一介の建築士であり、中澤氏も築地仲卸の一従業員にすぎなかった。なかでも中澤氏は、自身は移転反対でありながら勤務先は移転推進の立場らしく、厳しい境遇での行動のようだった。
 森山氏たちの訴えは正しく、正しいことは貫かれるはずだと思っていたのだが、なんともあっけなく豊洲市場は開場してしまった。「権力なき正義」とはなんと非力なものであろうかと思い知らされたものだ。

 さて、その築地市場は10月10日で閉場、11日からは一部解体工事が行われることになっていた。しかし11日朝8時、水谷氏呼びかけの「お買い物ツアー」に賛同する100人が正門前に集まり、築地市場営業権組合の2店が場内で営業を行い、鮭フレークやウニの瓶詰め、アジ・サバの干物などを約30分で完売した。組合には150業者が加盟していて、もっと多くの店舗の参加が期待されたが、都職員による「築地での営業をつづけると、豊洲の営業許可を取り消す」との脅しで多くは参加をひかえてしまった。
 当初、都職員は入場を拒んだが、駆けつけた熊本一規明治学院大学名誉教授(都市工学)より都には入場を拒む根拠がないことが示され、しぶしぶ入場を認めた経緯がある。
 市場法では「一般消費者及び関係事業者の利益が害される恐れがないと認められるとき」でなければ、市場廃止の認可ができないと規定されている。したがって、営業がつづいていれば利益を害することになり、廃止は認可されないという熊本氏の主張だ。これに対し都は、「条例によって、築地市場の位置と面積を豊洲市場に変更したので、築地は市場としては営業していない」とする。
 10月18日以降、バリケードによって市場は完全に封鎖されてしまったために現在では店を正門前に移し、週2日、午後1時からの営業となっている(『週刊金曜日』オンライン、2018年11月6日付)。出店数には日によって増減があり、品揃えは以前よりも豊富になってきているようだ。
 東京都の主張は廃止ではなく移転である。すでに農水大臣より移転認可を受け、10月18日付で入居者の残置物撤去を求める明け渡し仮処分を東京地裁に申請している。農水省としては、この場合は移転認可での対応で、都側の手続きで間違いはないという。このため都は、移転による損失補償には一切応じようとはせず、自費での移転に対応できず廃業した100社ほどの業者を切り捨てる結果となった。千葉市中央卸売市場の移転の際には、補償が適法との東京高裁での1991年7月の確定判決もあるのだが(『AERA dot.』 同年11月11日付)。
 都の仮処分申請に対して、11月8日に営業権組合から裁判で争う旨の答弁書を送付したところ、都は9日付で申請を取り下げてしまった(「東京法律事務所Blog」同年11月12日付)。都にとって裁判は不利で、仮処分申請は単なる脅しとか思われない動きだった。都は組合側と話し合うこともせず、12月以降の予定だった本格的な解体工事を11月中旬からへと、なりふりかまわずに強行前倒しとした。解体工事の模様の動画や画像もネット上で確認できるが、今後の動きを見守るしかない。
 
 中央卸売市場には地方から商品が運ばれ、買い付けのひとたちがやって来て取引きが行われる。当然車の出入りは多い。豊洲市場開場の初日、大渋滞になった周囲の道路の様子がテレビで放映されていた。しかし翌日には、そのような渋滞はみられなかった。ひとも車も来なくなったというのだ。地方から商品は運ばれてきているはずだから、買い付けのひとびとが減ったということだろうか。
 ネット上には、動線が悪いため、買い付けに時間がかかりすぎてランチ営業に間に合わないという飲食店業者の話が出ていた。買い付けを電話注文に切り替えた、築地場外や築地魚河岸で済ませるようになった、時間と交通費をかけて豊洲へ行くよりもデパ地下で買ったほうが安く済むという話や、大田市場や足立市場、横浜市場に客が移ったという話もあった。そういえば、近所のスーパーには「大田市場直送」の札があった。ただ築地場外にしても、築地市場があったころの賑わいにはおよばず、客でどっと賑わっている様子ではないともいう。
 豊洲市場が開いて2日目くらいに、建物が揺れるという話が流れた。4階は震度2〜3くらいの揺れになるという。さらに毎日のようにどこかでシャッターが閉まらない、自動ドアが途中で止まる、エレベーター故障中の写真、ほかに下水がマンホールから噴き出した動画までも。「日々、壊れつづける豊洲市場の怪」というツイッターもあった。
 地下水管理システムもまったく機能していない。地下水の上昇を防ぐため、地下水を毎日バキュームカーで回収している写真が流された。それも何カ所でも行っていて、回収した水は下水道放流基準pH5〜9を大きく上回り、流すことも不可能だというし、「ベンゼン検出、環境基準の140倍」との情報もあった。
 『日刊ゲンダイ』には「豊洲市場 腐敗臭」(同年11月2日付)、「腐敗臭に続いて床が穴だらけ」(同年11月15日付)という見出しが躍った。森山氏によると、築地では水が流れやすいように床面に傾斜がついていたが、豊洲は大量の水を流さないことが前提のため傾斜が緩く水平に近い箇所が多い。つまり水はけが悪く魚のウロコや肉片が残りやすいため、悪臭の原因となり、床の陥没についてはコンクリート厚が薄いことによるという。この時期にそんなに匂っていては、真夏になったらどうなるのかと、ふと思う。
 最近のツイッターでは、場内の机や帳簿に降り積もる黒いチリが指摘されているが、食品を扱っているところだけに気になるところである。都はこうした問題のほとんどを市場関係者に責任転嫁する方針という。つまり、業者の使い方に問題があるという姿勢だという。

 11月11日、豊洲開場1カ月を迎え、各新聞はその現状を報じたようだ。一般紙では売り上げをふくめておおむね順調という報道で、ネット上にあふれる今後を危ぶむ情報はほとんどみられず、ネットや『日刊ゲンダイ』での関係者の話とはだいぶ開きがあるようだ。
 小池百合子都知事は「築地も豊洲ものこす」と言ったことがあったが、このままでは豊洲も築地も廃れてしまうのではないかと危惧する声まである。豊洲市場に出かけてみると、観光客が列をなして押しかけていて、ここで書いたことなど嘘のように思われるが、あくまでも市場内で働く業者の話である。われわれのような観光客が入れるエリアはほんの一部にすぎない。
 ただ築地市場は歴史のある賑やかな町のなかにあって開放的だったが、豊洲市場は陸の孤島に建つ倉庫のようなものである。閉鎖された造りのため、おそらくなかで働いていても外が見えないと思われるが、屋上緑化広場からの眺めだけは素晴らしい。
 10月末ころだったが、建築士の宮崎好彰氏がツイッター上に築地市場内部の写真を掲載していた。昨年6月のツイッターの再掲である。80年間高い天井を支えてきた、職人の手になる鉄骨アーチ構造の美しさを的確にとらえた10点ほどの写真だったが、そのツイッターには「土曜なので場内をゆっくり眺めることができました。改めて、改修改築すれば今の何倍も素晴らしい市場になると確信」とあった。やはり壊してはいけないものだ。
 最後に森山氏のツイッター(同年10月13日付)で締めくくろう。
 「築地に帰ろう! いろんなことがあって、みんな騙されたけど、やっぱりお客さんは豊洲には来ないよ。このままじゃみんな死んじゃうよ。魚河岸のふるさと、築地に帰ろう」
* 掲載の写真は、2018年11月17日撮影の豊洲市場である。 (2018/11)  

<2018.11.21> 

デッキから望む青果棟(写真提供・筆者/以下同)

混雑する飲食店街(管理施設棟)

クロマグロ模型(水産卸売場棟2F、見学ギャラリー)

マグロの競り見学デッキ(水産卸売場棟2F)

魚がし横丁(水産仲卸売場棟4F)

屋上緑化広場より豊洲大橋を望む

いま、思うこと

第1〜10回LinkIcon 
 第1回:反原発メモ
 第2回:壊れゆくもの
 第3回:おしりの気持ち。
 第4回:ミスター・ボージャングル Mr.Bojangles
 第5回:病、そして生きること
 第6回:沖縄を思う
 第7回:原発ゼロは可能か?
 第8回:ぼくの日本国憲法メモ ①
 第9回:2013年7月4日、JR福島駅駅前広場にて
 第10回:ぼくの日本国憲法メモ ②

  
第11〜20回LinkIcon
 第11回:福島第一原発、高濃度汚染水流出をめぐって
 第12回:黎明期の近代オリンピック
 第13回:お沖縄県国頭郡東村高江
 第14回:戦争のつくりかた
 第15回:靖国参拝をめぐって
 第16回:東京都知事選挙、脱原発派の分裂
 第17回:沖縄の闘い

 第18回:あの日から3年過ぎて
 第19回:東京は本当に安全か?
 第20回:奮闘する名護市長

第21〜30回
LinkIcon
 第21回:民主主義が生きる小さな町
 第22回:書き換えられる歴史
 第23回:「ねじれ」解消の果てに
 第24回:琉球処分・沖縄戦再び
 第25回:鎮霊社のこと
 第26回:辺野古、その後
 第27回:あの「トモダチ」は、いま
 第28回:翁長知事、承認撤回宣言を!
 第29回:「みっともない憲法」を守る
 第30回:沖縄よどこへ行く
  
第31〜40回LinkIcon
 第31回:生涯一裁判官
 第32回:IAEA最終報告書
 第33回:安倍政権と言論の自由
 第34回:戦後70年全国調査に思う
 第35回:世界は見ている──日本の歩む道
 第36回:自己決定権? 先住民族?
 第37回:イヤな動き
 第38回:外務省沖縄出張事務所と沖縄大使
 第39回:原発の行方
 第40回:戦争反対のひと

第41〜50回  LinkIcon
 第41回:寺離れ
 第42回:もうひとつの「日本死ね!」 
 第43回:表現の自由、国連特別報告者の公式訪問
 第44回G7とオバマ大統領の広島訪問の陰で
 第45回:バーニー・サンダース氏の闘い 
 第46回:『帰ってきたヒトラー』
 第47回:沖縄の抵抗は、まだつづく 
 第48回:怖いものなしの安倍政権
 第49回:権力に狙われたふたり 
 第50回:入れ替えられた9条の提案者 
 第51~60LinkIcon
    第51回:ゲームは終わり
 第52回:原発事故の教訓
 第53回:まだ続く沖縄の闘い 
 第54回:那須岳の雪崩事故について
 第55回:沖縄の平和主義
 第56回:国連から心配される日本
 第57回:人権と司法
 第58回:朝鮮学校をめぐって
 第59回:沖縄とニッポン
 第60回:衆議院議員選挙の陰で

第61回:幻想としての核LinkIcon 

第62回:慰安婦像をめぐる愚LinkIcon

第63回:沖縄と基地の島グアムLinkIcon

第64回:本当に築地市場を移転させるのか?LinkIcon

第65回:放射能汚染と付き合うLinkIcon 

第66回:軍事基地化すすむ日本列島LinkIcon 

第67回:再生可能エネルギーの行方LinkIcon 

第68回:活断層と辺野古新基地LinkIcon 

第69回:防災より武器の安倍政権LinkIcon 

第70回:潮待ち茶屋LinkIcon 

第71回:日米地位協定と沖縄県知事選挙LinkIcon 

第72回:沖縄県知事選挙を終えてLinkIcon 

第73回:築地へ帰ろう!LinkIcon 

第74回:辺野古を守れ!LinkIcon 

第75回:豊洲市場の新たな疑惑LinkIcon 

第76回:沖縄県民投票をめぐってLinkIcon 

第77回:豊洲市場、その後LinkIcon

第78回:元号騒ぎのなかでLinkIcon 

第79回:安全には自信のない日本産食品LinkIcon 

第80回:負の遺産の行方LinkIcon 

第81回:外交の安倍!?LinkIcon 

第82回:「2020年 東京五輪・パラリンピック」中止勧告LinkIcon 

第83回:韓国に100%の理LinkIcon 

第84回:昭和天皇「拝謁記」をめぐってLinkIcon 

第85回:濁流に思うLinkIcon 

第86回:地球温暖化をめぐってLinkIcon 

第87回:馬毛島買収をめぐってLinkIcon 

第88回:原発と裁判官LinkIcon 

第89回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第90回:動きはじめた検察LinkIcon 

第91回:検察庁法改正案をめぐってLinkIcon 

第92回:Black Lives Matter運動をめぐってLinkIcon 

第93回:検察の裏切りLinkIcon 

第94回:沖縄を襲った新型コロナウイルスLinkIcon 

第95回:和歌山モデルLinkIcon 

第96回:「グループインタビュー」の異様さLinkIcon 

第97回:菅政権と沖縄LinkIcon 

第98回:北海道旭川市、吉田病院LinkIcon 

第99回:馬毛島買収、その後LinkIcon 

  

第100回:殺してはいけなかった!LinkIcon 

第101回:地震と原発LinkIcon

第102回:原発ゼロの夢LinkIcon 

第103回:新型コロナワクチンLinkIcon 

第104回:新型コロナワクチン接種の憂鬱LinkIcon 

第105回:さらば! Dirty OlympicsLinkIcon 

第106回:リニア中央新幹線LinkIcon

第107回:新型コロナウイルスをめぐってLinkIcon 

第108回:当たり前の政治LinkIcon 

第109回:中国をめぐってLinkIcon 

第110回:したたかな外交LinkIcon

第111回:「認諾」とは?LinkIcon 

第112回:「佐渡島の金山」、世界文化遺産へ推薦書提出LinkIcon

第113回:悲痛なウクライナ市民LinkIcon 

第114回:揺れ動く世界LinkIcon 

第115回:老いるLinkIcon

第116回:マハティール・インタビューLinkIcon 

第117回:安倍晋三氏の死をめぐってLinkIcon

第118回:ペロシ下院議長 訪台をめぐってLinkIcon 

第119回:ウクライナ戦争をめぐってLinkIcon 

第120回:台湾有事をめぐってLinkIcon 

第121回:マイナンバーカードをめぐってLinkIcon 

第122回:戦争の時代へLinkIcon

第123回:ウクライナ、そして日本LinkIcon 

第124回:世襲政治家天国LinkIcon 

第125回:原発回帰へLinkIcon 

第126回:沖縄県の自主外交LinkIcon 

第127回:衆参補選・統一地方選挙LinkIcon 

第128回:南鳥島案の行方LinkIcon 

第129回:かつて死刑廃止国だった日本LinkIcon 

第130回:使用済み核燃料はどこへ?LinkIcon 

第131回:ALPS処理水の海洋放出騒ぎに思うLinkIcon 

第132回:ウクライナ支援疲れLinkIcon 

第133回:辺野古の行方LinkIcon 

第134回:ドイツの苦悩LinkIcon 

第135回:能登半島地震と原発LinkIcon 

第136回:朝鮮人労働者追悼碑撤去LinkIcon 

第137回:終わりのみえない戦争LinkIcon

第138回:リニア中央新幹線と川勝騒動LinkIcon

工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon