いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第95回:和歌山モデル

 前回取り上げた沖縄県の新型コロナウイルスの感染者数について、玉城デニー知事は8月16日がピークとみていたが、ほぼそのとおりになったようだ。正確には8月14日の105人がピークで、以降どんどん下がってきて、9月5日頃から20人を下回るようになり、それからはひと桁の日もあるくらいである。
 一方赤羽一嘉国土交通大臣(菅義偉政権で留任)は、10月1日からGoToトラベル事業に東京を追加する方針を表明したほか、プロ野球、Jリーグなどのイベントの人数制限も緩和の方向である。東京都の小池百合子知事は、酒を提供する飲食店への営業時間短縮の要請を予定どおり9月15日で終了とした。東京都の感染者数は減少傾向にあるとはいうものの、増減を繰り返している状況で、けっして大きく減っているわけでもなく、不安は拭いきれない。GoToトラベルを含めて、しばらく様子を見守るしかないだろう。

 8月中旬のこと、東京都の世田谷区が国とは別に独自のコロナ対策を行うことを発表し、取材に応じる保坂展人区長の姿をテレビで観た。「世田谷モデル」と呼ばれ、医療関係者、介護施設・障害者施設職員、保育士などに定期的に無料でPCR検査を行うほか、現在1日360件のPCR検査能力を2,000〜3,000件まで強化し、「誰でも いつでも 何度でも」検査できるように目指すという。この「世田谷モデル」は、東京大学先端科学技術研究センター名誉教授児玉龍彦氏から保坂区長への提案から始まったもので、児玉氏の指導のもとにすすめられている。
 羨ましい思いでこの報道を観ていたのだが、新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあった2〜3月、和歌山県知事の仁坂吉伸氏の会見をよくテレビで観かけたことを思い起こした。仁坂知事は国の指針には従わず、「和歌山モデル」ともいうべきものでみごと感染拡大を抑えた。
 記者会見を行う仁坂知事の隣に、女性が座っていることが何度かあった。和歌山県のコロナ対策の陣頭指揮をとっていた医師で和歌山県職員、野尻孝子技監である。仁坂知事は信頼する野尻氏にすべてを託していたと思ったのだが、それだけではなかった。知事自身も相当勉強したらしいことがわかってきた。
 いまや「和歌山モデル」は忘れ去られた感があるが、和歌山県の対応について、『日刊ゲンダイDIGITAL』(2020年8月3日、22日、9月3日付)で、知事へのインタビューをまじえて掲載しているので、それらからまとめて紹介したいと思う。

 国内で初めての感染者が報告されたのは1月16日。中国、武漢市から帰国した神奈川県の男性だった。それから1カ月ほどが過ぎた2月中旬、クルーズ船で大騒ぎだった頃だが、和歌山県湯浅町の済生会有田病院で国内初の院内感染が発生した。中国渡航歴もなく、中国関係者との接触もない男性医師で、患者を含めて5名の感染者が確認された。
 当時、国のPCR検査の指針は中国への渡航歴、中国人との接触の有無だったが、和歌山県は中国由来とは無関係なところで発生していることを重視し、入院患者がいることも考慮して病院の新規外来の受付をストップした。次に医師や看護師全員、感染の可能性の高い順番にPCR検査を進め、関係者474人の検査を10日間で済ませた。徹夜の作業だったという。厚労省からは「やりすぎ」と指摘されたが、知事と事務次官との直接交渉で了解を得た。検査キットを送ってもらい、大阪府の吉村洋文知事にも協力を仰ぎ150件の検査を引き受けてもらうことで可能になった。ほかに、県内の病院の肺炎の入院患者全員にPCR検査を行い、陽性者がいないことを確認したという。
 国の指針をまったく無視したやり方だったが、国に従っていてはまったく検査もされず、感染を拡大させてしまっていたことは予測がつく。この判断は現場では無理で、知事がしなくてはならないものだったという。
 多くの自治体の保健所には、不安なひとからの問い合わせが殺到し、その対応に追われたという報道があった。和歌山県では保健所にはそういう業務はさせないように、県庁内に5回線の電話を設置し、24時間対応の専用窓口をつくって対応したという。
 さらに、聞き込み専用部隊もつくった。有田病院周辺エリアで中国人が泊まった可能性のあるホテル、立ち寄った可能性のあるコンビニ、飲食店など、徹底的に聞き込みを行い、症状のあるひとの有無を確認して回っている。
 軽症者や、体温37.5度が4日以上続かなかったら病院に行かないようにという国の指針があった。これは病院が逼迫していない状態では明らかに誤りで、和歌山県はクリニックや診療所で「風邪症状で肺炎」の患者がいたら保健所へ連絡してPCR検査を受けてもらい、陽性なら隔離病棟へ入院してもらった。陽性者は大病院へ送り、軽症者はクリニックで対応するという形である。
 8月末、政府のコロナ対策本部は、重症者を優先的に入院させ、無症状・軽症者は自宅療養とする方針を示したが、和歌山県はこれにも異を唱えた。9月1日の会見で仁坂知事は次のように述べている。
 「無症状でも初期に悪化する可能性があるため危険だ。和歌山ではこれまで通り、全員入院してもらう」
 和歌山県は医療体制がさほど逼迫していない。逼迫している地域に合わせる必要はないということである。

 仁坂知事のいう「和歌山モデル」とは、PCR検査をたくさんやることではなく、「3プラス1」だという。その中身は次のようなものだ。
 1.早期発見 2.早期隔離 3.  行動履歴の調査 + 保健所や行政の統合システムを早期につくること、である。
 このなかの「早期隔離」について、日本の保健所は感染法上、隔離の強力な権限をもっていて、他国ではない例だという。欧米の国などでは、強制的にいろいろなことをやっているようにみえるが、「隔離の権限」がないため感染拡大を招き、重症者も増えていったという。日本は保健所が隔離を進め、それに国民の行動自粛が重なった。それが効果があったのではないかという見方をしている。
 新型コロナウイルスの対策は、保健医療行政と国民の行動の自粛に半分ずつ依存する形になるが、後者の行動の自粛のみに依存してしまうと、生活、健康、経済に与える影響が大きいので避ける必要がある。保健医療行政の責任者は知事であり、知事がどれだけ懸命にやるかによって、後者の自粛部分が違ってくる。知事が現場に入り、担当者と同じくらいのレベルまで一生懸命勉強することが必要で、これをせずに保健所に丸投げしていたら、いつまでも感染は収まらないともいう。

 結果的に和歌山県の成功体験を語ることになるので、幾分得意げにみえる部分もないではないが、これほどすっきりと言い切る仁坂吉伸氏のプロフィールを調べてみた。
 元通商産業省(現経済産業省)官僚から外務省に転じ駐ブルネイ大使、自民党・公明党推薦で和歌山県知事に当選、現在4期目である。地元選出で自民党幹事長二階俊博氏(菅政権で留任)とは昵懇の間柄で、ともに和歌山県へのIRカジノ誘致をすすめ、原発も積極的推進という立場である。
 新型コロナ対応にのみに関していえば、官僚上がりゆえ国との付き合い方をよく心得ているのではないか。地元の県議や県職員から知事になった人物では、このような対応はできないのではなかろうか。
 新総理に就任した菅氏は、我が国の新型コロナウイルス対策には大きな誤りはなかったと語っていて、今後も方針を変えずに進めるつもりだ。PCR検査料金を安価にといっているが、検査件数を増やすとか、医療従事者や老人・障害者施設職員の検査を無料にするという話も出ていない。さらに、コロナ対策をバックで仕切るのは官邸官僚のひとり和泉洋人首相補佐官である。遅れて始まった「世田谷モデル」には、圧力が増す懸念もある。我々には自己防衛しかないということらしい。 (2020/09)


<2020.9.19> 

「覚悟の瞬間」動画より(和歌山県HP「ようこそ知事室へ」)<以下同>

いま、思うこと

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon