いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第158回:ある孤独死

 老いてくれば誰でも死を考えるようになるようだ。死にはさまざまな形があるが、まずは、ぼくが体験した孤独死について記録しておこうと思う。
 
 もう10年以上も前のことになる。田舎の実家で独り暮らしだった兄が、遺体となって発見された。郵便受けにたまった新聞を不審に思った新聞配達員が近所のおばさんへ声をかけ、東京で暮らすぼくへ電話で知らせてきた。母の死の際にも大変お世話になった方だが、生前の母が緊急のためにと連絡先を教えていたのだ。
 「新聞配達の人が入って確認するというけど、入っていい?」
 心の準備もないままに咄嗟に問われ、「申し訳ありません。ぜひお願いします」と応じた。新聞配達員が家の周囲を調べたところ、トイレの窓から入れるというのだ。
 1時間以上も過ぎ、兄の死を伝えてきたのは弟だった。連絡を受けて、40キロ離れた勤務先から車を飛ばして駆けつけたという。二階の自室で毛布にくるまり遺体となった兄が発見され、警察へと通報された。
 警察立会いのもと、駆けつけた親戚たちによって遺体の確認は済ませたという。それならば、遺体は兄と考えるのが自然なのだが、警察はそういう素直な解釈はしないのだ。兄は旅行中であり、その留守中に忍び込んだ誰かの遺体という可能性もあるという言い分だ。
 無茶苦茶だ。そんなことを電話で聞かされて啞然としてしまったが、警察とはそういうものらしい。ありえないことではないだろうが、ほとんど考えにくいことだ。
 
 翌日の昼過ぎに田舎の駅に降り立ったぼくは、弟が運転する車で警察署へ直行した。若い警察官に狭い取調室に通され、DNA鑑定を受けた。左頬の内側の粘膜を採取され、鑑定にまわされた。「押収品目録交付書」という書類を渡されたが、そこには「被疑者不詳に対する殺人被疑事件につき、……」と記されていた。殺人事件として扱われていることを突きつけられた思いだった。対応した警察官の「司法警察員」という肩書を初めて知った。「押収品目録」の欄には、「工藤茂の口腔内細胞若干」と、乱暴な筆跡で記されていた。
 DNA鑑定の結果が出るまで2〜3日を要すること、遺体となった兄の司法解剖が行われていること、本人確認がとれるまで葬儀はできないことなどが告げられた。
  
 実家へ行ってみると、周囲に「立入禁止」の黄色のテープが張り巡らされていて、警察官がひとり警備をしていた。実家に立ち入ることも許されないのだ。弟の車で8歳年長の従兄弟の家へと向かい、今後のことを相談する。
 そこでぼくは、電話を受けたときの判断を誤っていたことを気付かされ愕然とする。遺体発見にかかわった新聞配達員や近所の人たちは、何人もの警察官から同じ質問を繰り返し受け、自宅へ帰りたくとも帰られない状況を、長時間にわたって強いられたのだった。新聞配達員が家に入ることに応じるべきではなかった。拒否して警察に任せるべきだった。
 
 夕方になって携帯電話に警察から連絡があった。DNA鑑定の結果を待つこともなく、歯科、整形外科の治療歴から本人確認がとれたという。間もなく遺体が警察署へ到着するので、引き取りに来るようにとのことだった。
 警察署で横になった兄に対面した。ミイラのように頭部全体が包帯でぐるぐる巻きにされ、顔を見ることもかなわなかった。腐敗がすすんでいるので包帯は取らないようにという。兄かどうかの確認もできないまま、葬儀をへて火葬されることになった。やむを得ないことだった。
 
 担当警察官が法医解剖医から訊いた話を伝えてくれた。それによれば、冠動脈が8割方詰まっていて、血はほとんど通えなくなっていたという。死亡日は特定できず、10日間の幅をもっての記載となった。相続開始日もそのような記載となる。
 実家への立ち入りは許されたが、部屋に異臭が残っているので業者を入れてクリーニングすることを勧められたほか、葬儀は外の会場を借りて行うこと、「死体検案書」の受け取り方、その費用など、いくつかのアドバイスを警察から受けた。初めて体験することばかりで面食らうが、どんどん処理していかなくてはならない。
 兄には以前より糖尿病の合併症と思われる症状が複数出ていたが、病院へ行こうとしないため弟との間で喧嘩となっていた。さらに4カ月前に転倒骨折で入院した際にも並行して糖尿病治療も勧められたが、強硬に拒否して退院してきたのであった。63年の生涯だった。
 夜の7時半、子どもの頃から何度もお世話になってきた老舗の葬儀社の車で、兄の遺体は小さなセレモニーホールへと運ばれた。翌日病院の受付で「検案料・検案書料」として34,650円を支払い「死体検案書」を受け取った。領収書には負担率100%と記してあった。
              ***        ***
 つい2年前のこと、同い年の知人が亡くなった。30年ほども前に妻と離婚してひとり暮らしだった。数年前から健康を害していて、外に家庭をもっていた息子がときどき様子をみにきていたという。
 知人は根っからの医者嫌いで病院へ行こうともしなかった。それでも息子は嫌がる父親を説得して、訪問診療を受けさせていたという。そしてある日、息子が仕事帰りに立ち寄ったところ、ベッドで臥せ呼吸の様子もみられなかったという。慌てて訪問診療医に来てもらったがすでに遅く、死亡診断が下された。推定死亡時刻は当日の午前5時頃、死因は慢性閉塞性肺疾患という。
 この場合は病院で逝った場合と同様、警察の介入はない。息子は賢明な判断をしていたのだ。治療を受けていたか否かで扱い方の違いは大きい。
              ***        ***
 冒頭の実家の後日談である。
 昨年、築45年になる実家の処分の相談のために不動産会社を訪ねた。依頼するからにはすべての情報を提供することになる。「不動産登記権利証(登記識別情報)」を差し出す。とはいえ、記載内容は法務局で誰でも閲覧可能な公開情報である。
 末尾の「登記完了証」のなかに「登記の原因」という項目があり、そこには「平成◯年7月21日頃から31日頃までの間相続」と記されている。通常であれば「平成◯年7月21日に相続」となるはずが、10日間の幅をもって記されている。「大事なことなので、確認させてください」と問われ、隠す必要もないので「病気での孤独死」と伝えると納得してくれた。
 「売地」の情報を得た人(他の不動産会社の担当者や個人)が、法務局でこの記載を見て事故物件ではないかと疑い、関心のある物件でも問い合わせを控える原因になってしまうという。そこで法務局へ出向いて記載変更を求めて掛け合ってみたが、「そういうことを気にしない方に購入してもらうしかありませんね」と断られた。
 幸いなことに、不動産会社へ相談して10カ月で買い手が現れてくれた。ただ、田舎は土地が安いせいか、広い土地を買ってつい大きな家をつくる。家を建てるときはそれでよい。しかし処分するとなると、大きな建物は解体費が高くつき、土地は安い。その結果、手元に残る金額は悲しいほどにわずかということになった。
 
 我が家のように夫婦ふたり暮らしでも、相棒に先立たれれば独り暮らし。孤独死など誰にでも起こりうることと受けとめるしかないが、関わった方にはできる限り迷惑をかけないようにしたいと思う。 (2025/12)


<2025.12.16> 

実際に交付された「押収品目録交付書」と「死体検案書」

いま、思うこと

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon