いま、思うこと〜提言・直言・雑感〜 工藤茂

第165回:袴田秀子氏、パリへ行く

 袴田秀子氏は、殺人死刑囚から40年以上の時間をへて一転無罪となった袴田巌氏の姉で、今年93歳になる。「ひで子」とも表記されるが、新聞でも用いている本名表記に従った。まずは、事件発生から無罪確定までの時間経過を記してみる。
 静岡県清水市(当時)で強盗殺人事件が起きたのは1966年6月30日。同年8月に巌氏が逮捕、裁判をへて1980年12月に死刑判決確定。1981年、2008年のニ度の再審請求をへて2014年3月に再審開始確定、同時に死刑と拘置の執行停止決定、自由の身となった。逮捕からの身体拘束期間は47年7カ月に及んだ。再審開始後の審理はさらに10年を要し、無罪が確定したのは2024年10月であった。逮捕時に30歳だった巌氏は88歳となっていた。
 巌氏は当初より一貫して無罪を主張するとともに、家族にも同様の手紙を多数送っていたが、警察の過酷な取り調べに抗うには限界があった。一連の裁判で問題となったのは自白の強要であり、証拠物件の偽造である。全45通の自白調書のうち証拠採用されたのはわずか1通、後者は2024年9月までという長い時間を要したうえで証拠捏造という判断が示された。
 そうした裁判の途中の1968年9月、静岡地裁が死刑判決を言い渡した直後、誰よりも巌氏の無罪を信じていた母が死亡。「弟の支援が母への孝行」と、当時35歳だった姉の秀子氏が巌氏の積極的な支援に立ち上がった。弁護士や支援者たちに支えられての長い闘いだった。秀子氏の存在が新聞やテレビの報道で大きく取り上げられたのは再審開始確定の2014年だったように思う。以来、その力強く逞しい表情を何度目にしたことであろう。現在では、司法の理不尽さを訴える場面では支援者として必ず登場し、コメントを求められる存在となっている。
 
 「パリ。本日は素晴らしい一日でした。袴田秀子さんと過ごして本当に良い出来事がありました。後で報告します」(2026年7月1日付、西村カリン氏X)
 このXを目にしたのは偶然だったが、驚いた。袴田秀子氏はパリにいたのだ。西村カリン氏は2002年より日本在住。現在ラジオ・フランス、日刊紙『リベラシオン』の日本特派員、夫は漫画家のじゃんぽ〜る西氏である。2013年に袴田事件を知り18年になって袴田家を訪ねて取材、再審公判も傍聴している。高市政権にとっては煙ったい存在である。
 慌てて情報を探ってみたが、西村カリン氏のXはじめ静岡朝日テレビの峰島孝斉氏による密着リポート「袴田ひで子さん93歳、パリへ行く/1〜5」、袴田さん支援クラブの「袴田家物語」、弁護士海渡雄一氏Xなどを参考にまとめてみる。
 今回のフランス行は、死刑廃止を訴えるフランスのNGО「ECPМ」主催、フランス政府後援でパリで開催される「世界死刑廃止会議」出席のためで、主催団体による招待である。会議は6月30日から7月2日(フランス時間)まで、マクロン大統領も出席し、秀子氏のスピーチも予定されている。
 まったく知らなかったが、秀子氏は昨年10月もローマで開催されたローマ教皇レオ14世も出席する国際会議に招待されてスピーチをしていた。90歳を超えていながら、海外渡航も国際会議でのスピーチも難なくこなしているようだ。
 
■6月28日(日本時間)
 袴田秀子氏一行は羽田発22時05分、エール・フランス、パリ直行便で飛び立った。一行とは秀子氏、前出「袴田家物語」スタッフ2名、通訳として同行のフランス生まれの西村カリン氏の4人である。15時間のフライトの間、秀子氏は二度の食事をたいらげ、ほとんどぐっすり眠っていたという。
■6月29日(以下、パリ時間)
 朝のラッシュアワーのパリに到着。ホテルで主催者側スタッフに迎えられ、部屋で軽く昼寝。午後、フランス外務省で行われた「ECPМ」の記者会見にホテルからリモート参加し、メッセージを述べる。
 巌氏の拘置中の紹介が中心だが、死刑確定が精神状態へ影響を与え、拘禁反応により妄想の世界で生活するようになり、解放から12年も過ぎた今でもその状態でいる実態を伝えた。
 「弟だけが助かればいいとは思っていません。冤罪で苦しんでいる人はたくさんいます。死刑囚でなくても悔しい思いをしている人、処刑されてしまった人、その方たちの無念を晴らすよう応援してほしい」
 「メルシー」で締めくくったメッセージに、会場から惜しみない拍手が起こった。
■6月30日
 今年の6月30日は、いわゆる「袴田事件」発生からちょうど60年の節目にあたった。
 午前「世界死刑廃止会議」のオープニング・セレモニー。メイン会場となったラジオ・フランス本社ビルのホールには、130カ国からおよそ1,300人が集まった。秀子氏が会場に入った途端にメディアの取材があり、ラジオ・フランス社長ほか要職の人々の挨拶を受ける。
 いくつかのスピーチやディスカッションがあり、いよいよ秀子氏登壇。スピーチ直前の秀子氏に心境を尋ねると「緊張なんかしていないよ。屁の河童だよ」と笑っていたという。
 「弟は殺人犯、死刑囚として47年7カ月の間拘置所に収監されていました。見えない権力と真実を求めて58年間闘い、再審無罪が確定しました。なぜこんなに長くかかったのでしょう」
 日本の再審制度の現状、死刑の恐怖からくる拘禁反応について、前日のメッセージ同様の説明。そして次のように締めくくった。
 「日本にはまだ死刑制度が残っています。死刑制度がこの世界の果てからも、皆さんの前からも、なくなることを切に願っています」
 立ち上がっての大きな拍手が送られ、ホールから出た秀子さんのもとには、さまざまな国の人々が声をかけ、握手を求めてきた。さらに何件かのメディア取材を受ける。
 ランチを済ませてホテルで休み、夕方、マクロン大統領のスピーチを聞くために再び同ホールへと向かった。壇上のマクロン氏は次のことを強調した。
 「死刑は社会をより安全にしたことは一度もない。なぜなら、抑止力にならないからだ」
 フランスでは、ミッテラン政権下で法務大臣を務めた弁護士のバタンデール氏主導で1981年10月に死刑廃止法が公布、死刑が廃止されている。
 スピーチのあと、カリン氏がマクロン氏の側近を通して秀子氏のことを伝えたところ、
マクロン氏は秀子氏のもとに歩み寄りがっちりと握手、さらに肩に手を差し伸べた。
 「あなたのことは知っています。あなたがやってきたことは素晴らしい。尊敬します」
 秀子氏は次のように応じた。
 「日本には今も死刑制度が残っています。廃止するために力をお貸しください」
 マクロン氏は秀子氏の手をずっと握ったままで応えた。
 「私は日本へ行くたびに首相に訴えているんだが、なかなか大変です」
■7月1日
 フランスの中学・高校生たちとの交流会。巌氏の身に起きた冤罪事件の経緯や拘置中の様子などを丁寧に説明した。
 「死刑ほど残酷なことはありません。私が面会に行っても、房から出ると処刑されるという恐怖心から、面会も拒否されました」
 中高生たちからは相次いで質問があったが、秀子氏の答えをまとめる。
 「警察の初動捜査が杜撰だったために冤罪が起きた」「報道のほとんどが巌を犯人として扱った。私は世間と距離をおいて生活していて、盆も正月もなかった」「警察官や検察官を恨んだことはない。法務省には改正すべき法律はしっかり改正してほしい」「50年闘ってダメなら100年やると言ってきた。無実の人間を処刑されてたまるかという思いだった」
 熱心に聞き入っていた中高生のなかには涙を浮かべている姿もあった。みんな秀子氏の周囲に集まり写真を撮ったり握手したりした。秀子氏は「子どもは大人と違ってどんどん質問してくるね」と感心していた。
 和食が食べたくなったという秀子氏を連れてパリ中心部のラーメン店へ直行。あっという間に醤油ラーメンを完食し、「日本のラーメンと味が変わらんね」と満足げだった。
■7月2日
 午前中はパリ市内観光へと繰り出した。エッフェル塔、ノートルダム大聖堂、ルーブル美術館へ。美術館前の広場で昼食のおにぎりを頬張り、次のようなことを言って笑っている。
 「パリはいいね。住みたいぐらい。巌はハワイに行きたいと言ってるけどね」
 午後は主催団体「ECPМ」によるクロージング・セレモニーに出席。国民議会(下院)のアエル・ブロン=ピヴェ議長から「あなたはみんなを引っ張っていくリーダーです」と声をかけられた。終了後、秀子氏は次のように振り返っていた。
 「すごい大会だった。みんなが何を言っているのかまったくわからなかったけれど、言いたいことは言えた」
■7月3日
 パリ、シャルル・ド・ゴール空港より帰路につく。
 (1行アキ)
 弟を救うためには、人前に立つことを嫌がってはいられなかったのであろうが、それにしても1,000人を超える聴衆を前にしてのスピーチ、カメラに向かってのコメントなど、驚くばかりである。長い闘いによって現在の秀子氏が作り上げられたのだ。健康を祈るばかりである。
 「世界死刑廃止会議」出席のための訪仏なので、どうしても死刑廃止が主要なテーマになったが、証拠非開示の問題をはじめ、再審制度や人質司法、弁護士が同席できない取り調べなど、日本の司法には多くの欠陥を抱えている。
 カリン氏は日本の司法のあり方を「非人道的」と指摘していたが、滞仏中にラジオの2時間番組に出演し、日本の司法制度の抱える問題点を伝えてくれたようだ。フランスではラジオのメディアとしての重要度が日本よりも高いという。 (2026/07)



<2026.7.10> 

スピーチをする袴田秀子氏(「袴田家物語」HPより)

マクロン大統領と面会(「袴田家物語」HP添付動画より)

中高生たちとの交流会/西村カリン氏と袴田秀子氏(「袴田家物語」HPより)

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工藤茂(くどう・しげる)

1952年秋田県生まれ。
フリーランス編集者。
15歳より50歳ごろまで、山登りに親しむ。ときおりインターネットサイト「三好まき子の山の文庫」に執筆しているが、このところサボり気味。

工藤茂さんの<ある日の「山日記」から>が読めます。LinkIcon